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偏見と悪意(あるいはキングオブコント2021/ザ・マミィのネタ1本目に)ついて。

 昨日、キング・オブ・コントのザ・マミィ1本目のネタを見てこのようなツイートをしました。

 これに対して”コントが「人の偏見を利用する」構造してるのを悪意でぶったぎる”の部分を詳しく教えて欲しい、といった旨のとても丁寧なDMをいただきました。
 そのお返事がまぁまぁな分量になったので、完全に貧乏根性からnoteでも公開したいと思います。

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・【コントが『人の偏見を利用する』構造をしてる】について

 件のツイートですが、「コントが『人の偏見を利用する』構造してる」という前提部分……例えば今年のキングオブコントでならジェラードンのネタがわかりやすいと思うのですが、アタック西本が女子高生の格好をして出てきたときにまず笑いが起こる。そこからかみちぃ演じる男子生徒との恋愛ドラマや少女マンガめいたやり取りで笑いを作っていく、というものになっています。

 つまりここでは外見が決して良いとはいえない二人と、そのやり取りにあるギャップをネタにしているわけです。そしてそれは私たち(観客/視聴者)が「見た目が良くない人たちがそういうことをするのはおかしい」という偏見を元に、それを行ってる二人の滑稽さや自己の外見に対する客観性の無さを(言い方は悪いですが)バカにする面白さがあります。

 けれど審査員評でも言われていたように「だんだん(アタック西本の)女子高生が可愛く見えてくる」といった現象が起こる。それはコント内の二人にとってはそういったドラマ/マンガめいたやり取りが「正しい」からです。客観ではなく彼らの主観として、二人は輝かしい青春の恋愛模様の只中にいる……その設定がコント中で見ている方にも浸透してくることで「可愛く見えてくる」ようになる。
 それが漫才とコントを分けている部分、現実とは違う空間で繰り広げられる演劇的側面であるわけです。

 ただそれは一般の演劇やドラマでも、同じことが行われています。ここでコントには「ツッコミ」という存在の特異性があらわれてきます。つまり劇的空間に対して、そこに介入する役割が存在することで「設定」という距離を明確にすることで笑いを生み出しているのです。

☆☆☆

・【悪意でぶったぎる】について

 ここからザ・マミィの話になります。他のコントでも「街でなにやら意味のわからないことを叫んでいるおじさん」という設定は使われることがあります(これも審査員評で言及されていました)。ただその時よくあるのは

「なんだてめぇバカ野郎!俺が悪いのか!」
「うわ変な人がいる……それより道に迷っちゃったな、病院はどこだろう?じいさんのお見舞いに来たのに」
「ちくしょうなんだおら!病院はまっすぐいってコンビニを右だ!見てんじゃねぇぞ!」
「……あの人、道を教えてくれてる!」

 といった感じで、おじさんが「おかしいと思わせてまとも」というボケに対して「まともなこと言ってる」というツッコミという構造になってるわけですが、ここに私たちの「偏見」が利用されています。

 つまり「街でなにやら意味のわからないことを叫んでいるおじさん」とは、まともに会話することが不可能で、出来るかぎり無視して近づかないようにする、という意識。それがあるからこそ「そんなおじさんがまともなことを言う」がボケとして成立することになります。
 ところが今回のザ・マミィのネタは「そんなおじさんへ普通に話しかける人」というボケと、それに対して「こういう人間に話しかけるな!偏見を持って、見た目で判断しろ!」というツッコミといった作りになっている……つまりそういった「おじさん」が登場する一般的なコントとはボケ/ツッコミが逆転しているのです。

 現代的倫理では、人を偏見で判断したり見た目でジャッジすることは基本的に「正しくない」行為とされています。ところがここまで述べたようにコントはそういった偏見や見た目での判断を前提として成立しています。
 だから本来の理想的人間像ならザ・マミィの「そんなおじさんへ普通に話しかける人」のほうが正しいわけですが、コントの常として私たちは偏見を持ってネタを見ざるを得ません。だから「その人に道を聞くの!?」っていうボケが成立”してしまう”。本来なら道徳的な行いのはずが、異常で異質に思えてしまうのです。

 それに対して偏見に晒されてる側の「おじさん」が自ら「俺に偏見を持って接しろ!」と言うわけです。そしてそこで笑いが起きて”しまう”
 繰り返しになってしまいますが、偏見を持たないことの方が正しいです。それなのにこの場面では「偏見を持たずに話しかける」行為がボケ=異質なもの、「偏見を持て!」という忠告がツッコミ=訂正として機能しています。
 つまりここで観客/視聴者は「こういう相手には偏見を持つのが正しい」と思っている、ということを突き付けられているのです。

 ザ・マミィのネタはそういった方法で「お前たち(観客/視聴者)は偏見にまみれているんだぞ」という事実で刺しに来ている。そしてこのネタで笑ってしまったということは「お前たちは決してまともで正しい倫理なんて、持ち合わせてはいない」と宣告している。
 そういった態度を私は「悪意でぶったぎる」と(そこが素晴らしい、という意味を込めて)表現しました。
(ここでいう悪意というのは「憎悪で」ということではなく、どちらかというと法律用語的な「悪意」つまり「わかっていて、意図的に」という意味で使用しています)

 ついでに加えるなら、去年のキングオブコント2020で一部ちょっとだけ炎上した「空気階段のネタは障害者をバカにしてるのではないか?」という問題に対して「笑いとはどうしたって誰かを傷つける側面があるし、誰もが無意識にそれを行っている」というアンサーとしても働いていると思い、私はザ・マミィのネタを高く評価しています。

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