一週遅れの映画評:『駒田蒸留所へようこそ』は、失敗した『ガンダムF91』説
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『駒田蒸留所へようこそ』です。
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問題は大きく分けると2つあって、「時間の取り扱い」と「家族」なんですけど。
こうさ、本編でたびたび「ウイスキーができるまでは時間がかかる」って言ってるじゃない? 3年とか5年とかの期間、樽で熟成させないといけない。だからすぐに儲けが出るものではない、みたいな話をずっとしてるわけですよ。だから本当はもっと長いスケールの話をするべきなわけ、3年後こうなった5年たったらここが変わった10年が過ぎてこう決着した……そういう長期的な流れを描くことで、若者の成長や年長者の老い、あるいは人と人との関係なんかを「ウイスキーの熟成」と重ねて語るのが、設定的には期待されてることじゃないですか。
にしては物語のレンジが狭ぇのよ。いやわかるよ、2クール作品だったらそれができるけど、今回だと100分ぐらいの映画でそんな期間を描いたらめちゃくちゃ駆け足になっちゃう。だったらその時間でもきちんと描ける範囲で……ってなるのは。でもこれたかだか数ヶ月の話じゃあないですか、最後にポンッと時間飛ぶけどそれも2年ぐらいだし。
そこで一番異常性が出てるのが主人公なんですよ。めちゃくちゃヤル気ないウェブニュースのライターなんですけど、もうひと目で「ダメだこいつ」ってわかるダメさなの。取材する相手が作ってるものも会社も全然調べてないし、質問のひとつも考えてきてない。
私はプロのダメ人間なので言わせてもらうと、ガチのダメ人間はそういうとき「付け焼き刃で、”いやぁ一応勉強してきたんですけど難しいもんすね〜w”って言えるぐらいの知識を用意しておく」もんなんですよ! なぜなら怒られるのが面倒だからです、ギリギリ怒られないけど期待もされない「無風」状態を作ることでダメ人間のまま居座れることを狙ってるんです! カスかな?
少なくともいまの若い子って、そのぐらいは軽くやってのける賢さと狡猾さを持ってるんですよね。いや作ってる方だってそのくらいわかってると思うんです、だけど「一見ちゃんとしてるけど、実はダメ人間で。だけどそれが段々成長していく」ってお話をやるには圧倒的に映画の尺が足りない。メインで動かしてるウイスキーの話をやりながら、そんなことを描いてる余裕は無い。だからすぐ視聴者にも作中人物にも「こいつダメだぁー!」ってわかってもらえるキャラクターにしなければならない、結果めちゃくちゃ異常な主人公になるっていうw
で、改心するのもちょっとした言い争いからのビンタ一発で覚醒。マジでビンタされてから急に真人間になるから、ここから読み取れるメッセージは「暴力は全てを解決する」もしくは「主人公はマゾ」のどちらかですね。ちなみにこの作品は主人公だけに留まらず、展開をどんどん前に進めるため「地震、肉親の死、家族の不和、買収、火災」を適宜いいタイミングでブチ込むことでブーストかけていきます。ウイスキーが出来上がるのを待つ時間なんて無ぇ! 物語を引っ張るのはパワーだぜ! という野蛮さが発揮されてるんですよね。
あとウイスキーを作るための蒸留器を購入するためにクラウドファンディングで2,000万円集めたって話もヤバくて。散々「ウイスキーが飲めるようになるのは最低で3年かかる」みたいな話をしてるってことは、このクラウドファンディングのリターンは恐らく3年以上あとになるってことでしょ? この作品で語られるスケールだと、もう超先の話じゃん。こんなの物語上の装置として「みんながお金をくれました」だけしかなくて、リターンとか期待へのプレッシャーが薄いんですよね。
で、この話と「家族」に関する問題が繋がってるんですよ。このクラウドファンディングの話って、つまりは支援してくれた「誰か」の姿が後退していって姿が見えなくなっているわけですよね。それと同じことが重要な場面で起きているんです。
そもそもヒロインは「わかば」ってウイスキーを作ったことで評価を受けているわけですが、それって彼女が「ブレンダー」として得たものなわけです。基本的に「ウイスキー」というお酒は複数のウイスキーを混ぜて(ブレンドして)作られるものなわけで、どこかで作られたもの単体で飲まれることってほぼ無いんです。
つまりは、ほとんどの場合で外からのものを取り入れていく必要がある。
この作品でも、「独楽」ってウイスキーを再生させるために、その「ブレンド」を行っていく過程がしっかり描かれているわけです。そこはすごくいいと思うの。
ビンタで覚醒した主人公の活躍によって、失われたと思っていた「独楽」のベースになっていた原酒が他所の蔵から見つかったりとか。それでもブレンドが上手くいかなくて苦戦していることを記事にしたら、全国から様々なウイスキーが送られてきて膨大な種類を使ってブレンドを試したりできるようになる。そうやって色んな人の助けを経て「あと一歩」のところまで来るんだけど決め手が見つからない。
ここでね、ヒロインは「”独楽”は家族のお酒だから、絶対に諦めたくない」みたいなことを言って、ケンカ別れしていた兄とも和解して「家族のウイスキー」を再生させようと奮闘するんですよ。ですけど。
なんかおかしくねぇか??
だってウイスキーってブレンドが肝なわけで、いろんなお酒を混ぜて作られているわけですよ。まぁ酒って「血」にも例えられるわけだから、ここでは「独楽」を完成させるために「余所からの血が絶対に必要」って話じゃあないですか。全国からいろんな人がウイスキーを送ってくれてる、そうやって外側の血を取り入れることでしか「独楽」は成り立たない。
つまりこれって「家族だけでは決してできないこと」をやってると思うんですよね。なのに何故かここで「家族」っていう狭い世界に閉じこもろうとする。
さっき言ったクラウドファンディング関連と同じことが起きてる、支援してくれた人たちや、協力してくれた人たちの姿がぐわーっと後退していって消えてしまう。そして「家族」という限定的な関係だけが前景化していってるわけです。絶対にひとつの家系だけでは成し得ない、他の「血」と混ざり合うことでしか達成できないもの。それが「家族」っていう限定された血筋の話に着地してしまうのって、ここまで描いてきたものと結論が空中分解していると思うんですよね。まったく”ブレンド”できていない。
いやこれって買収話の取り扱いがまずかったことにあると思うんです。大手酒造メーカーに買われたくない、独自路線を貫くんだ! って話と、ブレンドすることで素晴らしいものを作るって話は、絶対に正面衝突してる。昨今のトレンドから言っても「大企業が地方の独自性を守るため、買収はするけど方針は各蒸留場に任す」みたいな展開の方が納得感あるし(大手商業メーカーが、あえてマニアックな小規模運営をサポートする。みたいな話、みんな大好きじゃあないですか)、「混ざり合うことを恐れてはいけない」て物語とウイスキーの在り方も重ねられると思うんだけどなぁ……。
それで私はこの作品を「失敗した『ガンダムF91』みたいだな」と思ったんですよ。『F91』元々テレビ放映を予定していた企画だったのが劇場版になって、それで尺が大幅に短縮したのを「不意に突然崩れ去る平和な日常」て読み替えてコントロールし、家族という血筋(モビルスーツのF91は母の設計だし、セシリーは貴族主義の狂った父親に支配されてるし)から開放されて、シーブックとセシリーという新しい「混じり合った」世界を肯定して終わる話なわけで。
基礎にあるものは同じなのに、こうまで違う結論になるかねぇ……と感じました。いやはや、なにごともブレンド次第。「機械なんて使う人次第なのよ」ってことですかね。
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次回は『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。
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