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一週遅れの映画評:『アイアンクロー』その手を開くとき。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『アイアンクロー』です。

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 いや~、どんよりする映画でしたねぇ。
 私はほんのちょっとだけプロレスがわかるので、≪鉄の爪≫フリッツ・フォン・エリックのことは知っているし、彼の一族が「呪われた家族」と呼ばれていることも一応知識としてはあったのよ。
だから「事実に基づく作品」として作られたこの『アイアンクロー』が、かなり辛い内容なんだろうな……って予想はできていたんだけど、にしてもやっぱキツイわね。

 こうやって映画評とかをやる上でノンフィクションかあるいはノンフィクションに近いような作品って、取り上げるのがめちゃくちゃ難しいんですよ。特に映像とか演技とかが主軸じゃない、私みたいな「作品で描かれたことを、何らかのメッセージやテーマとして解釈していく」スタイルにとっては。
 というのも、フィクションなら起きた出来事を……まぁ直接的に言うならキャラクターが死んだときに「ここにはこれこれこういった意図があって、物語としてこういう意味を持つよね」って話になるじゃあないですか。だけどノンフィクション作品で人が亡くなったときって、その死は「物語的な必然性」なんて存在しないわけですよ。人は確率として病気になったり事故あったりして死んでしまうし、最終的にはどんな人間だって死ぬわけで。だからその「死」がなんらかの(ストーリー的な)設計意図を持つわけがない、持つわけがないんです。
 はっきりと申しておきますが、ただの確率として起きた「死」に意味や理由を求めるのは間違っているの。人の死には「たまたまそうなった」以外のものなんて何一つ無ぇのよ。
 
 それは『アイアンクロー』内でも繰り返し言われてて。フリッツ・フォン・エリックには息子が6人いるんですけど、次男のケビン以外は全員が若くして亡くなっているんです(下は5歳から上でも33歳)。それで兄弟が亡くなるたびにケビンは「自分たちは世間が言うように呪われた家族なんだ」って落ち込み、それを配偶者が「呪いなんてない」って慰める場面が何度も描かれるのね。
 でもそれって慰めである反面、なかなか辛い事実でもあるわけですよ。自分の兄弟が次々と死んでしまうことが「呪われいるからだ」って思うことって、なんで自分たちが呪われなきゃならないんだ! という理不尽への怒りであると同時に、呪われてるんだから仕方ないのか? という諦めにも繋がっていて。辛い出来事に対して、辛さを受け入れることと、辛さを諦めることってほとんど変わらない……というか誰だって割合の違いはあれど「辛さ」に直面したとき、その両方を使って何とかやり過ごしていくしかないわけよね。
 
 ということを考えていくと、この映画が何を言いたいか少しは見えてくる。それは「仕方ないと諦める」ことから「仕方ないと受け入れる」ことへの変化なんじゃないかな? と。
 兄弟の三男・デビットが亡くなったとき、父親のフリッツは「泣くんじゃない」と息子たちに言うわけです。それは当時(1984年)の強い男像を体現すべき「プロレスラー」として、涙を見せてはいけないという不文法な決まりがあるわけで。それから兄弟たちが亡くなってもケビンが泣くシーンは描かれてない。
ただ映画のラストに来て、ようやくケビンは滂沱の涙を流すわけですよ。

 その前に何があったかと言うと、父のフリッツは自分のプロレス団体を持っていて(NWAビッグタイムレスリング→WCCW→WCWAって団体名は時代によって変わってるんだけど『アイアンクロー』で描かれるのはほぼWCCW時代)、その管理をケビンは任されていたんだけど。自分たちフォン・エリックファミリーがエースだった団体だから、興行的には兄弟が亡くなっていったことでかなりの苦境に立たされているわけ。
そしてついにケビンは団体の売却を決心する。当然のように父親のフリッツは反対するわけですよ、そこには自分の起こした事業を手離すことよりも、「プロレスラー」としての背景が強いように思うんです。つまり強くて、頑強で、大金を持っていて、権力もある。その証明として「団体のボス」という役割を求めているように見える(これたぶん現代だと金持ちで女にモテるってリリックを繰り出すHIP-HOP/ラッパーのメンタリティに引き継がれていると思うんだけど)。

 で、ケビンが涙を流すのは団体を引き渡し、父親と決別した後なんですよね。ここでケビンは「強い男像」としてのプロレスラーからも「フォン・エリックファミリーのひとり」からも、離れることになる(まぁプロレスラーとしての引退は1995年なんですけどね)。
 そこでようやく兄弟の死を「プロレスラーだから」泣いてはいけないし、「フォン・エリックファミリーだから」呪われているんだから仕方ないと諦めていた状態から、愛すべき家族の死を起こったこととして仕方ないと受け入れることができた。
 
 ここには時代の変化もあるだろうし、次々に重なって起きた悲劇を受け入れるのには長い時間がかかるのも当たり前で。それとプロレスラー/フォン・エリックファミリーという役割を手離せたこととが相まっての変化なのでしょうね。
だから『アイアンクロー』なんですよね。硬く握りしめた鉄の爪を、ようやく開くことができた。それはプロレスラーとしてでもあり、フォン・エリックファミリーの代名詞としてでもあるわけだから。

 そして現在66歳のケビンは存命で、彼の息子であるロスとマーシャルは「フォン・エリック」の名を継いで日本の団体プロレスリング・ノア所属のプロレスラーとしてデビューし、いまはアメリカのMLWで活躍中です。
 
 鉄の爪は、未だ顕在である。

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 次回は『リンダはチキンがたべたい!』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。


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