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一週遅れの映画評:『仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ 』変身ポーズに全てを賭けて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ 』です。

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 正直あんま良くなかった、って言うしかないんだよなぁ……正直なところ。仮面ライダー50周年で、これまでの50年とこれからの50年……一世紀を貫く「仮面ライダー」って図式をやりたいのはわかるし、その方向性自体は良いと思うんですよ。とってもいい。
 でもそれがなんで「1971年に宇宙へ捨てられた男が、なぜか2071年の地球に戻ってきて。そこで起こってることを解決するため2021年にやってくる」っていう、謎の複雑さにしちゃったの?
 いいんだよ~いつもの冬映画でさぁ。普段なら「50年前からやってきた仮面ライダー、50年後からやってきた仮面ライダー。二人のライダーが2021年で激突する!」みたいな感じじゃん?それでリバイとバイスが「二人の仮面ライダー」であることを絡めてやる感じのを出してこれるじゃん!
 
 なんだろうな~、妙に複雑な状況説明に手間取ってる印象がすごく強い。そこにこう「父親と息子のすれ違い」みたな話を同時進行させるから、そこで語られる親子の関係が弱い。それでも一応の説得力があるのは古田新太の力で、いやねこうやってツイキャスで映画評するときはできるだけ演技力みたいな話はしたくないんですよ。私にとって「それ」は映画のことを考えるとき、判断基準にいれないようにしてるもので。
 そもそも私は役者の演技を語れるほどの知識がない、知識がないからその演技がどれだけ作品を左右してるかわからない。だからそこから離れたことを話すのが誠実なんじゃないのか?と思ってるわけですよ。
 
 そんな私でも今回の古田新太に関しては話したくなる。あのね50年前からやってきた仮面ライダー、その息子役で。だから2021年では60歳前後な設定なんですよ。そこに「自分たちを捨てた」と思っていた父親が20代のままの姿であらわれる。だから最初は60歳のおじさんとして振る舞っているのだけど、父親は息子との関係を修復したい。
 その対話の過程で顔を覗かせる、60歳のおじさんだけど「父の前では息子」っていう側面。その出し方がねぇ、本当にいいんですよ。特に感動的な和解シーンよりも、「あなたは私を捨てたんだ!」って言い争うところ。ここで嫌ってはいるんだけど同時に「父親にだからこうやって怒れる」っていう息子の甘えがチラチラと出てくる!ここがねぇ、すごく良い。60歳とまではいかないけど、私も結構いい年ですよ。だから親に対して「こいつらももうすぐ死ぬし、多少は”良い娘”みたいな記憶で終わらせてもいいのかな……」とか思うわけです。だけど実際はほとんど連絡もとらないっていうw普通に超親不孝なんですよ、でもまぁそれって他人だったらナケナシの社交性を振り絞る場面でも、頑張らない頑張りたくない。それができるのが逆説的に肉親なんだな、とは感じる
 そういう感覚が古田新太から滲んでいて、いやーやっぱすごい役者はすごい。みたいな当たり前の話ですね、これ。
 
 あと嫌だったのがねぇ、初代『仮面ライダー』をやるシーンがあるんですけど……まぁまぁまぁ藤岡弘、の息子がってことに関しては思うところがいっぱいあるんですが、それは今日はいいや。
 あのね、例えばライダーキックをうけた敵怪人が爆散する場面。そりゃあ当時の撮影技術ではライダーキック、倒れる怪人。そこからこう明らかに「あ、編集だな」っていう何ていうの画面がちょっとズレる?繋がってるけど細部が違うからわかっちゃう感じ?があって、そこから明らかに中身がカラッポの怪人着ぐるみからナパームぼかーん!みたいなのがあるわけじゃないですか。
 それをねぇ忠実に再現してるわけですよ、それが私はすごく嫌で
 
 当時だって別に「わざと嘘っぽくしよう」とは思っていないわけじゃない。そのとき出来ることを最大限やった結果が、今の時代からみたらアレなだけで。そして当時の子供はそれを楽しく見ていた……だからそのときの子供たちの目に映っていた仮面ライダーは、現代の仮面ライダーとなんら遜色のないものだったはずじゃないですか?と。
 それをね、こういう形で出してくるのはちょっと違うんじゃない?良くないんじゃない?って思うわけです私は!作品を見てるとき、それは映像だけを見てるんじゃあないんです、そこで描かれているものを受け止める心のフィルター、それ込みで私たちは作品を見てると思うんです。だから本当は当時の「気持ち」を再現するために、現代の技術でブラッシュアップされた『仮面ライダー』をやるべきだったのでは?とね。
 そういった点では『シン・仮面ライダー』はたぶんそういう方向性で、いまの本気の特撮で『仮面ライダー』を出してきてくれる気がするので、そっちには期待しています。
 
 つってまぁ文句ばっか言ってるけど、ラストの方で私しっかり泣いてますけどね。
 50年続いてきた仮面ライダーがこれからも続いていくって話と、親子の話が並行していて。それってつまり今この「仮面ライダー」を見ている子供たちがこれからの「仮面ライダー」を作っていくってことじゃないですか。つまり「仮面ライダー」ってミームの継承はされていく、だけど子供番組として実際に子供が生まれていかないと終わってしまう。だから遺伝子的な継承も絶対に必要で。
 その二つを一緒のものとして、切っても切れないどちらも大事な「継承」だと高らかに宣言できるのは、やっぱりこのニチアサの戦隊とライダーにしかできないことだと思うんですよ。そういう姿勢とか意志にはねぇ、やっぱ泣いちゃいね。うん。
 
 ずるいよなぁ。もう「仮面ライダー」ってだけで私は最終的に全部オッケーになっちゃうんだもん。そしてその気持ちの最終到達点が、常々「超傑作」と言っている『ジオウOverQuartzer』で……そうなっちゃうと「いやでも、この映画も良かったかな」って思えてきちゃう。
 特にあの仮面ライダーセンチュリーの変身ね。あんなの見せられたらやっぱ問答無用で「良い作品だったかも」ってなっちゃうもんなぁ。

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 次回は『劇場版 呪術廻戦 0』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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