一週遅れの映画評:『きみの色』「勇気」は遅れてやってくる。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『きみの色』です。
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ブルーとグリーンが一緒にいるのって、結構少ないんですよね。近作だと『キラメイジャー』とかその前だと『ジュウオウジャー』まで遡る感じで……いや『キュウレンジャー』もあったけど、あれを持ち出すのはちょっとズルじゃんね? とはいえ『ゴレンジャー』からある組み合わせではあるので、珍しいってほどでもないですが。
ていう「人間が色付きで見える」という設定に対して、「我々も毎週日曜に色付き人間を見てるが?」というジョークを思いついたので消化しました。これ以上この話題に発展性はねぇ! あとたぶん気づく人は気づいちゃうネタバレで、わりと最悪だよ!
まぁそれは置いといてですねw 私にとってこの作品の肝は、たびたび言及される「神よ。変えることをできるものを、変えるだけの勇気を。変えられないものを、受け入れる平穏を。そして、変えられるのもと変えられないものを、見分ける知恵をお与えください」っていう、誰だっけ? ラインホルド・ニーバーって人が広めた言葉で。これを私が最初に見たのってAA(アルコホリック・アノニマス)っていうアルコール依存症からの回復を目的とする自助グループのものなんだけどさ。
アルコール依存症から回復して上手く付き合っていくためによく言われるのが「今日も一日断酒でがんばります」なのね。アルコール依存症って基本治ることはないから、そこから離れるためには「もうお酒を飲まない」ってことしか出来ないわけですよ。だけどそれってめちゃくちゃ難しいわけで、スリップ(再飲酒)の確率もすごく高い。だから「これから一生お酒を飲みません!」って宣言したところで、本人も(そんなこと無理だろうなぁ)ってどこかで思っているだろうし、いざスリップをしたときに「あぁ自分はダメなんだ、一生これから逃れられないんだ」と感じですっごい落ち込んでしまう。
そうならないように「一日断酒」。とにかく今日一日、今日一日だけお酒を飲まないようにがんばりましょう。っていうのを目標に掲げるのね。そうやって「今日一日」だけの変化を積み重ねていけるように。
あれ? こんなキラキラ青春アニメの話で私はなにを語ってるんだ? いや、でもこれってちゃんと繋がってるからね。
そんで急角度で作品の話に戻るけど、作中でかなり日常的な所作が精密に描かれるじゃない? 例えばただ歩いているだけのところとか、授業を受けている横顔とか、スマホでメッセージの文面を打つときの指とか。まぁこれを単純に「日常描写がすごいねー」で流すのは間違ってると思うんですよね。えっとね、その中でも印象的だったのが、校門から校舎までの道を俯瞰で描いているシーンで。こうまっすぐに道が続いているわけじゃなくて、センターに一番広い道があるんだけどそこにはおっきな噴水があってまっすぐ行けないし、中央以外にも左右に遠回りする別のルートがある。それぞれの道は花壇で仕切られていて、大勢の生徒がその別れた道のどれかを通って学舎に向かっているわけですよ。
それで最短ルートを歩いてる生徒が思いの外に少なくて、左右の花壇に挟まれた道を行く集団が一番多いのね。いやちょっと「オイッ! 1年は真ん中通るんじゃあないわよ!」的な感じもありそうなんですがw 何にせよ、生徒たちは毎日違うルートを通ってもいいし、惰性に任せて同じ道を通ってもいいわけよね。そして作中の季節だと初夏だから、花壇には色とりどりの花が咲いているの。
確か前に『きんいろモザイク Thank you !!』評で喋ったことがあるんだけど、その中で
って定義したのね。
だから作中で描かれる日常の所作っていうのも、例えばただ通学中の歩いているシーンだって同じ道だけど昨日とは歩幅も違う、季節が変われば気温も変わるから着ている服だって変わる、花壇に咲いている花だって枯れたり違う蕾が膨らんだりするわけじゃない。そういう日々の、本人たちですらそうと気づいていない「変化」をこの日常の所作に対する描写は意味してんのね。
そこから主人公たちの話に移るけど、あのギターを引いてる子。色彩戦隊キミイロマンのキミイロブルーねw あの子がもっとも顕著なんだけど、彼女は学校を中退していて、それを保護者であるおばあちゃんに黙っているわけじゃない。キミイログリーンはグリーンで、親の期待に応える意志はあるけど、そこから外れる音楽の趣味に関しては隠している。キミイロレッドも「バンドやってる」からさらに「バンドメンバーに男子がいる」という二重の秘密を抱えているわけじゃない。ちなみに「〜マン」を採用したのは「3人チームだから”ライブマン”だな!」だからです。
結局キミイロマンたちは自分たちのやっていることを正直に言うことができないでいるわけよね。そこからラインホルド・ニーバーが広めた言葉に戻るんだけど。レッドはなんかしらんけど「変えられないものを受け入れる平穏」を求めてるが、ふざけんじゃねぇ若造が! と思うわけですよ。だってさっき言ったように毎日同じことをしているようで、実は全部違うんですよ。日々はどう足掻いたって変化している。特に高校生なんて「変えられない」と思い込んでいるものを嘆くことぐらい、もっと後からいくらでもできんの! 君らの人生まだ20年もなくて、これから5倍くらい生きんだから過去のこととかどーでもいいんです。
コイツらにもっとも足りないものは知恵ですよ、知恵。変えられるものと変えられないものを見分ける知恵が備わってねぇ。とはいえそれを身につけるのは死ぬほど難しいのでしゃーない。許す。いや、赦す。
ここで大事なのは「勇気」の話で。ニーバーのだと「変えられるものを、変える」ことに勇気が必要だって言ってるんだけど、何度も繰り返すように「変える」ことはすでに起こっているんですよね。日常の所作に付随する日々の変化だけじゃなくて、ブルーはすでに学校辞めちゃってるし、バンドはもう活動してるわけだし。
作中のエピソードで言うと、おばあちゃんに学校辞めたことを言えていないブルーが修学旅行の日程をごまかすため寮に潜り込む。私は高校時代、2年近く寮生活をしてたから(途中でトラブル起こして自宅からの通学になったけど、それはまたいつか話すわ)知ってるけど、寮に部外者を泊めたらバチクソ怒られる。ていうか怒られるじゃ済まないよね。だいたいは停学処分、ヘタすりゃ退学ぐらいの問題行為なわけ、タバコとか飲酒バレるほうがマシなぐらいの。
それをレッドは「やってしまう」わけですよ、ほとんど蛮勇。でも恐らく当人たちにはそんな意識ないわけ、そりゃコソコソするぐらいは気をつけているけど。
だからこの作品ていうのは、まず「変える」というか「変えてしまう/変わってしまう」ことが先に立っていて、そこから後出しで「勇気」を絞り出すしかない。そういう話なんですよね。で、それに対して是非を述べてるわけでもないんです。人間、大抵の状況で先に「変える」ことが起きて、それを後からどうにか都合をつけたり、正直に言ったり、やり過ごしていくしかない。
だからブルーとかの行動よりも先に「日々の中で変わっていく、変わっていってしまう」という日常の所作が描かれているわけですよ。後出しの勇気しか持てないのは決して全肯定できるものではないけど、季節が巡って咲く花の色彩のように、コントロールできるものでもない。ただそこにひとつの回答を与えるのが、日吉子先生で。
彼女はスーパーアイススクリーム……じゃねぇ、だめだインパクト差でこっちしか覚えてないわw えっと主人公たちのライブでテンションあがって、だけどひとりでこっそり抜け出して、誰もいないところで踊るわけですよ。
踊る衝動はコントロールできない。だけど「踊る場所」を選ぶことはできる。そういう「知恵」を身に着けた姿を提示することで、主人公たちがこれから獲得していくであろう「知恵」を予感させている。
そういうどうしても「変わる」「変わってしまう」中で、後から「勇気」を奮い立たせることが当然だということ。そしてここから「知恵」を得ていく未来を祝ぐことで、若い人の背中を押す。そんな作品であるように私には思えました。
平穏なんて、一番最後でいい。それこそ神の国に招かれてからでもな!
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次回は『夏目アラタの結婚』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。