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一週遅れの映画評:『好きでも嫌いなあまのじゃく』転んだまま這いずって。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『好きでも嫌いなあまのじゃく』です。

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 いや〜〜〜厳しい。かなり厳しい作品でしたね、これは……
正直、冒頭部分でちょっと飲み込めないところが多くて、そこで転んでしまったまま立ち上がることなくズルズルと話が進行してしまい。結局最後まで「ここは面白いな」と思うことなく映画が終わってしまった感じでした。

 えっとね、主人公であるヒイラギ君がかなり気ぃ使いだって描写がされるんですよ。クラスメートに「おはよう」って言おうとしたら、目の前で部活の後輩と話し始めたのを見てそそくさと顔を伏せて通り過ぎたり、別のクラスメートとちょっと仲良くなるために「掃除、手伝うよ」って申し出たら「お、サンキュー。俺ら用事あるから任せたわ」って押し付けられて「あっあっ、う、うん」みたいな感じで受け入れてしまったり。これって引っ込み思案で、気を回しすぎて、それで他人に対して強く出れない子なんだなー、って性格描写じゃないですか。
 だけど、その後ひょんなことから知り合ったヒロインのツムギに対して、結構いきなり「ツムギ」って呼び捨てなんですよ。いや、違う違うと。君はどう頑張っても「ツムギさん」じゃん、数ヶ月かけて少し打ち解けても呼び捨て出来ないタイプじゃないの!?

 だけどみなさん、私だってアホではないんですよ。ここで「はは〜ん、さてはこれ”実は幼い頃から知っている”とかいう情報が出てくるんだな。なるほどなるほど、シンプルなボーイ・ミーツ・ガールじゃなくて幼なじみ再会パターンね」ぐらいのことは当然に予想でき……えっ、ガチ初対面なの? オイオイオイオイ、さすがに嘘でしょ

 しかもそのツムギがいきなりヒイラギ君の家に泊まるわけですよ。初対面の女の子をホイホイ泊めるご家庭ってなに? 倫理観があまり無いハウスなのかしら? と、思いきやヒイラギ君のお父さんはかなり強権を発動するタイプの、子どもに対して支配的な父親だという描かれ方をされるんですよね。
子どもをコントロールしたい父親が、初対面の女の子をいきなり家に宿泊させたりするの、ちょっとよくわかんないな……。

 だけどみなさん、私だってアホではないんですよ。ツムギの頭には小さな角が生えている、なるほどね、と。たぶんそういう鬼的な種族が共存している社会で、なんかお遍路さんみたいに鬼的な種族を家に泊めたりするのが常識になっている設定なんだろうな。こうやって明らかに変なことをしているのに、作中では当然みたいに描くことで暗に伝えているんでしょ〜、そのぐらいのことは当然に予想でき……お? その角見えてないんだ。しかも鬼的な種族が認知もされていない? オイオイオイオイ、さすがに嘘でしょ

 しかもその後ヒイラギ君とツムギは家出するんですけど、そこでヒッチハイクをしようとするのね。それを提案したツムギに対してヒイラギ君は「いきなりヒッチハイクなんてしてたら、みんなビックリするよ」みたいなことを言うんですよ。いや、その社会常識はあるんだ、設定としてもヒイラギ君の感覚としても……だったらなおさらおかしくない!? ヒッチハイクよりも息子が見も知らない女の子を家に泊めてくれって言い出すほうがビックリだよ!
 話が前後するけど、真夜中に家出して翌朝ヒイラギ君とツムギが居なくなっていることに気づいた両親もオロオロするだけなの。まず通報せいよ。息子が行きずりの女と姿くらましてんだぞ、事件性あるって絶対。まぁ少なくともその日の夜までは様子見るとしても、話を進めていくと「ヒイラギ君が家に電話をして安否を伝える」まで数日経過してんの。その電話で母親が安堵して軽く泣いてんだけど、いや泣くぐらいなら先に警察、警察行きなさいよ。

 こうやってとっかかり部分で転んでしまうと、まぁ後はなにをやられてもマイナス方向にしか読み取れなくなってしまうよね。なんか透明でうにょうにょしたモンスターが出てきて襲われたりとか、鬼の隠れ里の情景とか、そこの長がひょうひょうとした老婆でめちゃくちゃキリっとした女性副官みたいのがテキパキ動いてる感じとか。もう完全に「あぁ、ジブリやりたいんスね」っていう感想しか出てこなくなってしまう
 正直なところ、単独のアニメ映画でボーイ・ミーツ・ガールをやって、しかもその相手が少し人外キャラって設定の作品は「どうジブリの呪縛から逃れるか?」というすごく頭の痛い問題を抱えていると思うんですよ。いや最近は人間と人間だと「どう新海誠を意識させないか」という問題もあって、めちゃくちゃ大変だと同情もするんですけど。
そういった意味では「ジブリやりたさは脱臭しきれていないけど、それ以上に独自の味わいが強い」というある種の唯一無二性を発揮していた『君は彼方』のほうがハッキリと面白くて

本当に「あ、のっぺりと面白くないね、これは」というかなり厳しい評価をせざるえないわけですよ。

 それに加えて、その襲ってくるうにょうにょしたモンスターというのが本来は鬼の里を雪で覆って隠す役目を持ってるんですね。だけどある年、そのうにょうにょが弱って雪が降らなくなってしまった、そこでうにょうにょを元気にするために村から生贄を捧げることになった。それに選ばれたのがツムギの母親で、それでまだ3歳だったツムギを残してうにょうにょになってしまうんですよね。
でもお母さんの意識は残滓みたいに残っていて、10年ぐらいたったところで「ひとりは寂しいの……」とかいって鬼を片っ端から喰っていくという。しかも生贄自体は「あのときはそうするしかなかったよネー」「ネー」みたいな感じで完全に受け入れられているわけですよ、それが明るい色調で流されていくからちょっと『ミッドサマー』っぽいっていうかw こっちは白い雪で明るいわけですけど、ここだけをガッチリ集中してやったらホラーアニメになるよねたぶん。
 それで親子の愛的なものでなんとなくお母さんが元に戻って、鬼の里の長が「この里も変わらなきゃいけないねぇ……」と過去の反省も具体的な提言もないままふわっと良い感じの空気だけを流して終わるっていう。
ダメだ、こいつら全然現状を正す気ないって。これたぶんエンドロールが終わった後に雪の中かうにょうにょの触手がザフッ! ってあらわれて続編を匂わしてきてもおかしくないよね。そして実際半年後ぐらいあとも鬼の里はうにょうにょによって維持されていた呪術的な結界を張ったままなので、悪い予感は完全に的中しますね、これは。

 あとはもう「なんでもしますので、ここ置いてください!」「……その心意気に免じて」みたいなよくあるヤツがかなりカジュアルに発生したり(中学生の男女で、ひとりが結構な怪我してる状況でそのやりとは流石にダメでは? 完全に気絶してる子どもを見て「救急箱持ってきて」って、救急箱でどうこうできる範囲じゃないって! 頭打ってるかもしれないから箱じゃなくて車(しゃ)! 車の方を呼びなさいよ)。ヒイラギ君の父親もツムギの父親も、かなり人格的な問題を抱えたまま全てがうやむやに終わっていったり……なんかもうちょっとやりたいことを絞ってくれないと、批評する側としても意識が散っちゃって超難しい。
 また映像としてはキレイだし(それが「こういう雪に埋もれた村の景色って良いでしょ〜」が透けててなんか嫌だったりするんだけど)、ヒイラギ君とツムギの姿形は確かに可愛いから、「これってもっと面白いはずなんじゃないのか?」ってちょっと脳がバグりそうになるんですよね。そういった意味では、ひたすら歩くシーンが出てくるんだけど、普通の街並みをふたりがテクテク歩いていくところは結構好きでした。なんかストーリーの綻びっぷりが「少年と少女がどうしようもなく歩くしか無い」という寂寥感を増していて、そこはね、ちょっと良かったです。

 私は最後に褒めときゃどうにかなると思ってんな!? フォローになってないからな、これ!

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 次回は『マッドマックス:フュリオサ』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。


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