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一週遅れの映画評:『哀愁しんでれら』反響し増幅するおとぎ話

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『哀愁しんでれら』です。

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 まずこれ前半は、言ってしまうと「ありきたりな」シンデレラストーリー。主人公は仕事でトラブルを抱えていて、ある晩に突然祖父が倒れ、救急車が到着し難い下町だから父親の運転で病院に行こうとするんだけど途中で事故を起こしてしまって、慌てていたせいで父親が晩酌してたのを失念してたから飲酒運転になってしまい、さらには家を出たとき火の不始末があって自宅兼自営業の店舗が全焼。諸々の始末をつけてとりあえず行き場が無いからか彼氏の家に行ったら職場の先輩とバリバリ浮気してるところに出くわしてしまう。
 それでまぁ全部を失った主人公。失意のまま歩いていると線路の上でブッ倒れてる人を発見してしまう。降りてくる遮断器。で、その人を助けるんだけど、その助けた相手がまぁまぁのイケメンかつ開業医で。彼はバツイチ子持ちだけど、そこからとんとん拍子に話が運んで結婚することになる……が前半部分ね。
 
 で、この主人公。幼い頃に母親が家を出て行ってる。それも当時の子供視点からすると家庭にはこれといった問題もないのに。その経験から「子供を大事にしない親なんて最低だ。自分は絶対にそんな親になんてならない」って強く思ってる。
 一方で結婚した男も、昔一度だけ母親に手を挙げられてそれで片耳が聞こえなくなっている。それがあるから「子供に愛情を注いで大事にするのが当然。それができないやつなんて人間のクズだ」という思想なのね。
 
 それでその連れ子っていうのが、小学2年生のややカワイイってぐらいの女の子なんだけど。そういう父親に育てられたからもう「世界が自分の思い通りじゃないと気がすまない」みたいになっていて……ただそれが表面には全然出ていないのよ。基本的に同年代の子供と比べてかなり賢くて、その賢さを「都合のいい世界を作る」ために発揮する悪どさを持っていて、しかも年相応に倫理観が発達していない。
 だからクラスに好きな男の子がいるんだけど、その子が自分を見てくれずに他の女の子と仲良くしてるのが気に食わない!となったときに「新しいお母さんがお弁当を作ってくれない」って泣いて(もちろん再婚した主人公は毎日ちゃんとしたお弁当を作っていて、この子はそれを捨てている)同情を集めたり、その好きな男の子に「ボールをぶつけられた」「筆箱を盗まれた」「靴を隠された」みたいにイジメられてる、と主張して……本当は完全に自作自演なんだけど、そうやって自分とその男の子に接点を作って、あわよくば謝りに家へ来ることで彼の時間を独占しようとする
 
 その行きつく先として、自分の好きな男の子と仲がいいクラスメートを教室の窓から突き落として殺害してしまう。
 
 で、その子の異常性に主人公は気がついている、気がついているんだけど注意することができないの。それは自分に母親がいなかったことから「自分は正しい母親にならないといけない」と強く思っていて、だけど夫はめちゃくちゃ子供を溺愛しているから、それでいまの生活を失いたくない主人公は「正しい母親=夫の期待する愛し方をする母親」に考えがすり替わっていく
 
 それでちょっと話は前後するんだけど、火災によって仕事を失った主人公の父は医者である夫の紹介で葬儀屋に就職することになる。最初は「死体に触るなんて」と嫌がっていたのだけど、まず給料がすごく良いことで就職を決意し、それで働くうちに嫌悪感もなくなっていくわけ……それが家族団らんの席で「自分が初めて納棺を任された」姿を録画して流すんだわ。
 主人公は「これ他人のお葬式でしょ?」ってその完全アウトな倫理観に引いてるんだけど、妹が「慣れて麻痺しちゃってるのよ」と言い放ち、父も「続けている内に環境へ適応してしまう」と言う。
 たぶんこの作品の重要なポイントはここなのね。
 
 表面を取り繕うことは上手いけで、行いが「悪」な子供に対して。主人公は違和感を感じながらも「自分はちゃんとした母親になれてないかもしれない」「娘を溺愛する夫に見放されるかもしれない」っていう不安から、娘の異常性に気がついても無視して円満な家庭を維持しようとする。一方で夫は病的なほど娘を溺愛してるから、娘の稚拙な嘘に気づかない(というか気づこうとしない)し天使のような我が子が悪いわけがない、と家庭の外側に全ての害悪の原因があると思い込む。
 
 そういう生活を続けるうちに、最初は違和感を持って、あるいはもう完全に娘の異常に気付いたあとでも、主人公はその「娘の悪に言及しない。娘への間違った愛情の注ぎ方」に慣れていってしまう、麻痺してしまう。そうやってこの狂った環境に「適応」してしまう
 
 結果なにが起こるかというと、ほらここ数年よく聞くじゃない「エコーチェンバー」って。小さな集団のなかで明らかにおかしい思想とかが、コミュニケーションを繰り返していくうちにどんどん強化されていって、いつのまにか社会の通念とか倫理とかとはまったく外れた主張を「正しい」と思い込んでしまう、ってやつ。
 家庭内っていうのも「小さな集団」であるのは間違いなくて、だからその中でも「エコーチェンバー」が起こりえる……学校に乗り込んでくるモンスターペアレントっているじゃん?あれってたぶん家庭内で「あれがおかしい」「それもおかしい」って言い合ってるうちに「自分たちの主張が間違ってるハズがない!」になった結果として起こっているのではないか?みたいに考えられる。
 
 で、まぁここからこの主人公夫婦は娘の「イジメられてる」という主張を丸のみにして学校へ乗り込んでいく……からクライマックスに突入していくわけど、その結末は大して面白くないのと無理があるから置いといてw
 
 なんでそういう話で『しんでれら』ってタイトルなのかなー、と最初は疑問だったんだけど(前半も無理に「シンデレラストーリーじゃん!」と主人公の友人に言わせてるぐらいだし)作品冒頭と最後に「女の子はいつだって自分が幸せになれるか不安」て言葉が出てくる。
 シンデレラというかおとぎ話は「いつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし」で終わるのが多いじゃない?それって基本的には良いことなんだけど、見ようによっては2つのネガティブな効果があって。
 ひとつは「そういった物語に触れ続けることで、幸せにならなければならないと思い込んでしまう」こと
 もうひとつは「この生活は”いつまでも幸せ”でなければいけないという義務感も持ってしまう」ことで
 それは翻って「今の生活は幸せで、この環境をいつまでも維持しなければならない」って思考に人を陥らせる。それはまるで家庭内でおこるエコーチェンバーを強化する作用として働いてしまう。そういった面もあるおとぎ話の代表として「シンデレラ」というタイトルを引用したのだろうな、と思いました。
 
 終盤の展開に無理があるけど、中盤の「娘が不気味な存在として徐々に浮かび上がってくる」部分はスリラーとして面白かったかな?総合的には「別に見なくてもいいと思う」って感じだった。

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 次回は『すばらしき世界』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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