一週遅れの映画評:『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』あなたを知った、喜びを。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』です。
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いまさら『ベイビーわるきゅーれ』の設定なんて説明する必要があるのか? と思わなくもないけど、まぁ一応やっとくと。
社会生活に関してはボロボロだけど殺しの技術に関しては超一流のまひろと、彼女とコンビを組んで殺し屋をやっているちさと。二人は緩やかな日常を過ごす傍ら、殺し屋協会から依頼を受けて活動している。今回の依頼は、殺し屋協会ランキング1位の代わりに宮崎へ赴き、ターゲットをひとり殺害するだけの簡単なもの……のはずだった。
しかしターゲットの所に向かうと、そこには協会に属していないフリーの殺し屋・冬村かえでがいた。かえではこれまで149人のターゲットを殺害し、今回の仕事で目標であった150人を達成するところで。それを邪魔されたかえではまひろとちひろに襲いかかり、一方で殺し屋協会はフリーの殺し屋を粛清するためふたりに地元の殺し屋と協力してかえで殺害を命ずる。
バカクソ強いかえでと、アホクソ強いまひろ&ちとせコンビはお互いの命を取り合うことになるのだった……ちゅうのが今回のあらすじね。
でね、実を言うと今回の映画評をどういった方針で進めていくか、かなり迷っていたんですよ。映画のクライマックスはまひろvsかえでになるんだけど、どっちも対人関係を構築するのが壊滅的にダメで。まひろは社会性が必要な場面で上手く立ち回れない、かえでは他人の心情をはかる能力がとても幼いっていう、方向性としては別々なんだけど。それでも両者ともに「社会生活に適応するのが著しく苦手」って特徴を持っているんですね。代わりにハチャメチャ強いという能力も持っている。
っていう部分を持ち出すと、ものすごくストレートに読み解けば「かえではまひろの”もしも”の姿」で、その分岐はちひろの存在によるものだ……みたいな話になるじゃない?
でもそれって正直、当たり前すぎて。そら「同じくらい強い敵、しかも似たような特徴を持っている」なんて主人公のネガ(あるいはオルタ)的存在であることは明白すぎるわけです。かといってそれを避けて本作を語るのもちょっとおかしい話だよなぁ……みたいなことをモニョモニョ考えていたのね。
だから今回はその補助として『ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ』も合わせて視聴して、映画評の助けとしました。だからタイトルに偽りありよね。本当は「一週遅れの映画評:『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』+『ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ』」です。
で、その『ドキュメンタリー〜』内で「かえでは、ちさとと出会わなかったまひろ」というのが明言されていたので、やっぱその方向でいくことにします! ぶっちゃけその一言を確かめるために映画館に行ってきたようなもんですよ。いや『ドキュメンタリー〜』はちゃんと興味深い内容だったんですけどね、今回の映画評に関しては……という点での話として。
ということでまひろオルタである冬村かえでなんだけど、彼はいままで殺した149人について詳細な日記をつけているのね。何を使って、どういった目標を持って、いかにして殺し、それが上手くいったかどうか、さらには反省点と次回の課題までを。なんだろう殺しのPDCAサイクル的なw
それによって最初は殺し屋としてずぶの素人だったかえでが、メキメキと殺しの腕前を上げていく様子が描かれているんです。さっき言ったようにかえでは他人の心情を推し量る能力がすごく幼いんですね。作中で自分に殺人の依頼をしてきたグループと仲違いしてしまうんですけど、まぁあっさり返り討ちにしてしまうんですよ。
だけどひとりではまひろ&ちさとに勝つことが難しいことを理解している彼は、仲間が欲しい。だから自分を襲ってきたグループの生き残りに対して「命がもったいない! 僕のほうが強い、君たちでは僕に勝てない! だから友達になりましょう、仲間になってください!」って言い放つんですよ。これってまぁ〜〜めちゃくちゃじゃない。自分たちの仲間をガンガン殺した相手からそんなこと言われても……って感じがある。
だけどそのグループはかえでの仲間になるんですね。「そんなこと言われても」とは思いつつ、仲間になってしまう気持ちがちょっとわかるんです。自分よりめちゃくちゃに強い人から「仲間になってください!」って言われたら、力に屈服したわけじゃあなくて、「それだけ強いヤツが仲間になってくれと頼んでいる」状況に、嬉しくなる気持ちって間違いなくあるわけです。しかも自分が属していた組織が壊滅状態になっていて、寄る辺が無くなった身としてはすごく魅力的な申し出でもある。
これって小学生と中学生あたりの幼さなんですよね。強いやつはとにかく「=偉い」で、その偉いやつと仲間になることで自分の自尊心も満たされるというのは。つまりかえでは自身の対人コミュニケーション能力をその段階で止めている。代わりに別のコミュニケーション能力を使っているわけですよ、それが「自分自身との対話」で。
殺しのPDCAサイクルってさっき言いましたけど、それってつまりは自分とのコミュニケーションなんですよね。どんな道具を使ってどう殺すかを自分の能力と相談して決め、目標を設定することで自身の成長を促し、その結果を自己反省するっていう対話を延々と繰り返している。かえでのハチャメチャな強さはそうやって、コミュニケーション能力を向ける配分を「自己対話」に大きく割り振ることで成立している。
じゃあ反転した存在であるかえでに対してまひろはどうしてるか? って疑問が当然出てくるわけです。だってかえではifのまひろなのだから、同じようにコミュニケーション能力の割り振りに特徴がでるはずで。
で、ここで重要なのはやはり「ちさとと出会ったから」って部分なんですよね。ひとりではなくふたりであること、つまり生活に「他者」が絡んでくる。確かにまひろの社会性は壊滅的なんだけど、それでもちさとという気の合う仲間が確かにそこにいる。さらには殺し屋協会の死体処理班である同僚とも、映画1・2およびテレビ放映中のドラマ『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』を通して親交を深めていく様子が描かれている。
この『ナイスデイ』内ではさらに、最初は険悪なムードだった地元の殺し屋協会に所属する協力者とも有効な関係を築くことに成功しているんです。つまりまひろは苦手は苦手なりに、他者とのコミュニケーションを改善したいとは思っていて、少しずつではあるけどその成果が出ているわけです。
そしてそれが最終決戦の勝敗を分けるカギになるのが、この作品の良いところで。
まひろとかえでは都合2回、直接対決をするんですけど。初戦は壁を蹴って体当たりをしかけるまひろ、それを躱して頭突きを叩き込むかえでが勝利するという展開になる。
そして2回目の殺し合いで決着した場面は、同じように壁を蹴って体当たりをするまひろ、それを躱して頭突きしようとするかえで、その振り下ろされる頭を読んで膝蹴りでカウンターを入れたまひろの勝利で終わるんです。ここでかえでは「自分自身との対話」しかしていないから、確かに強い、強いけどそれは独りよがりの強さで。相手に合わせる、相手の動きを読むことができない。だから「同じ状況で、同じ動作」をしてしまうんですよ。
一方でまひろは、苦しみながら「他者との対話」をどうにか改善しようとしていた。だから「相手の行動を予測して、カウンターを放つ」ことができるわけです。力量差があるなら、相手に合わせるよりも自分を高めたほうが勝利しやすい。これまでのかえではそうやって殺しを重ねてきた。
だけどまひろとかえでの強さはほぼ拮抗している。そうなったとき勝敗をわけるのは「どれだけ相手のことを理解しているか?」で。不得手だけど、他人と上手くやっているようになりたいと思っていたまひろは、かえでのことをほんの少しだけ理解できた。それが「カウンターの膝蹴り」としてあらわれてるわけです。
もちろんそこには「他人を知ること」の喜びと楽しさを教えてくれたちさとの存在が不可欠で。だから「かえでは、ちさとと出会わなかったまひろ」ということになるんですね。
そういうかたちで生死をわける戦いの決着をつけた。ものすごく単純化してしまえば「友情の勝利」なんですけど、それが緩やかな日常で熟成された結末だというのは、まさに『ベイビーわるきゅーれ』という作品が描いてきたものであったな、と思いました。
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次回は『ふれる』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。