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ラジオドラマ『もう手遅れの映画評『オカルトの森へようこそ』回』脚本。

 今回は特別編として映画『オカルトの森へようこそ』の映画評を中心とした、ラジオドラマを配信しました。

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ラジオドラマ『もう手遅れの映画評『オカルトの森へようこそ』回』
監督/脚本/録音:すぱんくtheはにー
演出/編集:野村 隆子
出演:Eye of the すぱんく

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「はい、この配信は脳のダメージで滑舌に障害が出た、私すぱんくtheはにーの喋るリハビリのために行っております。なのでお聞き苦しいところが多々ございますがご了承くださいね……っていういつもの挨拶をですね、今日はちょっと丁寧にやったんですけど来週にはね、これを言わなくてよくなると良いなぁとは思っているんですけど。

 それよりもどうですかこれ! 眼鏡! 眼鏡装備しましたよ! という話はとりあえずしておいて……なんの話しようかな。
 えーっと今週、じゃなくて先週か。なんかやたら雨が多くてね、私お仕事へ行くのに普段はバイクなんですけどさすがに雨の中を、全身びっちゃびちゃになりながら出勤するわけにもいかないので。帰りはいくら降ってもらってもいいですけどね、帰りに濡れる分には構わないので。それでまぁ頑張れば、こうグッと気合を入れれば歩けない距離でもないので、いきおい徒歩通勤が増えるわけですけど、まだ暑っついじゃん。結局「あれ傘さして来なかったの?」ってぐらいべっちゃべちゃになるっていう(笑)。汗だくよりは雨のほうがマシなんじゃないか? とか思うぐらい。
なんだろうねこの天候。まぁ今週は台風らしいので理解の範疇だとしても、先週だと秋雨って言うには早すぎるし、さすがに8月も終わったてのに梅雨ってわけでもねぇし。なんかこないだは私の住んでる近くで結構大きな停電があって、たぶんそんときに見た赤い光が原因だと思うんですけど。あれですねぇ、世界のおしまいが如実に迫ってきてる気配ですが。

 じゃなくて、今回はちょっと話したいことが山盛りなので速攻で映画の話に行きますよ、映画の! いやもうねホント良すぎて、はやく話したくて我慢してるのが大変だったのよ、タイムリミットもあるし……っていうかもう時間的にはほぼアウトなんだけど頼み込んで、「このキャスだけはやりたい!」ってお願いしてなんとか、ね。そう! だからちょっといま状況っていうか、場所? 姿勢? が普段は座椅子に座って話してるんだけど、今回はいつもと違って立ってる状態で、正確にはちっちゃい脚立みたいのにのぼってやってるから、たぶんコメントとかちゃんと見れなくていつもより反応できないと思うけど勘弁してくださいね。
 それで、えっと、今回は『オカルトの森へようこそ』って作品なんですけど。私は元々この作品の監督してる作品がめちゃくちゃ好きで、ツイッターとかでもしょっちゅう言及してるし、前も『貞子vs伽椰子』の話もキャスでやったけど……あのときはまだ映画評の文字起こしやってなかったから残ってないんですけど。
 それで『オカルトの森へようこそ』は監督の過去作品を参照できる要素がすげぇあって、ざっと思いつくだけでも『ノロイ』『コワすぎ!』あと超名作の『オカルティズム』に『ある優しき殺人者の記録』『カルト』……とか色々あるんですけど、そこらへんを絡めて話そうかなと最初は考えてたんです。だけどよく考えたらその話が通じる人にいまさら関連付けて喋る意味がどれだけあるのか? ってことと、まぁこうやってね私が話す意義を考えたらやっぱりこの映画単体でのことでまとめた方がいいかな、と。だからこれを聞いて興味持ったりとか、『オカルトの森』見て面白かった! て人は時間がないかもしれないけど、そういう過去作品も追ってくれると嬉しいなと思います。あ、ただ監督のYoutube動画でネトフリの『呪詛』の話してるのがあって、そこで語ってる「POV作品の撮り方」については先に見とくと、この作品の凄さがよりわかりやすいかなと思います……文字起こしにはリンク付けておいてください、つけといてね。 そこらへん、よろしくおねがいします。あといつも通りネタバレは全開でいきますので、そこらへんはご容赦ください。

#130 『呪詛』『女神の継承』話題のPOVホラーを見てみた


 えーと、それでね、この作品はPOV、ゲームでいうとFPS視点。つまり出演者の一人がカメラを持っていて、その映像という一人称視点のドキュメンタリー形式になっているんですね。
 物語の発端はホラー映像作家の黒石監督の元にある一本の動画が届く。そこには赤く光る隕石が落下する映像と、その直後に撮影者のところにちょっと変わった生き物があらわれて、その方から黒いミミズみたいのを賜ると腕にまとわりつく……っていうのが映ってる。その映像の撮影者は私みたいな(笑)黒石監督の大ファンで、「ホラードキュメンタリー作家の監督に話を聞いてもらいたい」って送ってきてるのね。
 で、まぁその映像が撮られた投稿者の女性を訪ねて鬱蒼とした森の奥にある一軒家に行くんだけど……その家がさ、もう入り口から家の外壁全体にバァーッと紙が貼られていて、その紙には「世界の終わり」とか「宇宙から神がくる」「寄るなキケン!」「死んだほうがマシ」「新しい世界がはじまる」「霊体ミミズがくる」「殺す」「死ヌ死ヌ死ヌ」とかいう事実が書き殴られていて、正直めちゃくちゃ不気味だし「あーこれは完全に頭のヤバい奴が住んでるわ……」って感じなの。
それでも監督が意を決してインターホンを押すと、ひとりの女性が出てくるんだけどそのお方が「あー! 黒石くんだぁ! 待ってたんだよぉ、やっと来てくれたぁ!」つってすげぇ朗らかで明るいの(笑)それが超怖くて。だって不気味な家から不気味で陰鬱な人間が出てきたら、まぁ予想通りだし「あぁ普通に(?)おかしい人なんだな」っていう常識の範疇じゃない。だけどそこから朗らかで明るい、しかもかなり美人が出てきたら家と人物のギャップが凄すぎて「一体ここで何が起こってるんだ?」ってなる。

 それってここでちょっと作品の質が変わったことなんですよ。そこまでは「不気味な映像の真相を探りに行く」だったのが、「異様な状況とそれにそぐわない人の間に何があったのか? を探るホラードキュメンタリー」になる。この作品、そうやって作品のありようが何段階にも変化していくんですけど、それがね、全部「新しく登場した人物」によって引き起こされるのね。

 あ、ここからマジでネタバレしていくからよろしくね。

 その後も、いきなりその女が「うーーーーーーーーかーーーぐーーたーーーばーーー」って呻きだして「やっぱヤベェ方だ!?」ってなったり、

この森で行方不明になった女の子を探している「スーパーボランティア」と名乗る人物の登場によって、どうしようもないぐらい強烈な怪異にギリギリで抵抗しながら逃げ惑うパニックホラーになったり、「ナナシ」って名乗る霊能力というか超能力を持った……いやこいつの見た目が金髪と着崩したスーツで完全にホスト風なんだけど(笑)自称「超人」のそいつがその怪異を霧消させたり、クリスタルみたいな鉱石を射出して殲滅しやがったり、果てはテレポートまで使って一矢報いようとするオカルトバトルものになったりするんですよ。
これがまず映画として良いのが、POVのドキュメンタリーとして撮ってるから時間軸が一定なんですよ。つまり「いま、そこで起きていること」をずっと撮り続けている、だから私たちは目の前で作品のモードが/様相がすごい勢いで移り変わっていくのをリアルタイムに目にする。そのダイナミックさがあるのに、一人称視点で時間も同期しているから没入感がハンパなくて、常に状況が変わり続けるから見ている方が気を抜ける時間が一瞬たりともない。ずっと面白いものがスクリーン上で繰り広げられていて、第一に映画としてめちゃくちゃに面白い

 さらに物語として新しい登場人物が出てくるたびに作品内のルールというか世界観が一新されていく。さっきナナシってヤツが「超人」って名乗っていたけど、まぁ「超人」といえばニーチェじゃないですか、つまりここで効いてくるのは「神は死んだ」ということで。人間のための神がいたと仮定してもいいけど、そういったものにイメージされる「世界のルール」みたいのが一応はあるわけですよね。
だけどそれはもう「死んでいる」。だから新しい登場人物が出てくることで、そのルールが容易く変化するようになっている。特にナナシ登場以降はその「新しい世界のルール」を誰が手にするか? って争いになっていく。

 それで終盤、新しい神さまを顕現させようとするカルト教団との戦いになるんですけど、ここまででナナシは力を使い果たしてしまっていて。そこで監督たちに「自分は一度死ぬ。だけど教団の人たちを全員殺せば、そこで死んだ人間は生き返るから、やれ」って言うんですよ。
まぁいまの常識で言ったら「そんなわけねーじゃん」じゃないですか。けど、それを言った状況って教団が神さまを呼び出す儀式がすでに完了しつつあるところで、言うなれば新しい神さまによる「新しい世界」がはじまりかけている段階なんですね。そこに働くようになる「新しい世界のルール」っていうのは今の世界とは全然違う、だから私たちの理解している因果とかとかけ離れた事象が起こるようになっている。超人としての能力を持っているナナシには、その想像もつかない新しいルールの因果が少しは見えているから、そういう指示が出せるんですかね。

 そこにあるのは人間というものに対するある種の信頼だと思うんですよ。ひとりの人間によって世界のルールはある程度書き換えることができる、そこには確かに意志の力とかがあって、その作用を信じてはいる。
一方でしょせん人間というか、本当に世界全部をどうこうできるほどの力はなくて、自分が支配してる側だなんていうのは狭い世界しか見えてないだけの思い込みで。素晴らしくて立派な新しい神さまの前では、人の力なんて微々たるものだ……だから人の限界というか矮小さに対する負の信頼もあるんですよね、「人間なんてこんなもんでしょ? お前も俺も大したことねぇよ」っていう。

 そういった中でカルト教団と殺し合いをしてる中で、登場人物のひとりが「これ、私たちが死んじゃったらどうなるんですか? 復活できるんですか?」って言うんですよ。つまりナナシの指示に従えばそこで殺されたナナシと教団の人たちは生き返るとは言っていた、けれど撮影クルーたちが復活できるなんて一言も言ってなかったりするんですよ。
それでね、最後に殺さなきゃいけない相手が、さっきちょろっと話したスーパーボランティアの野郎が探してた女の子で。彼女は新しい神さまの大事な依代として教団に保護されていたただの器だから、本人はなにもわかっていないんです。それを殺さなきゃいけないってなったとき、そのスーパーボランティアは「ほいなら、ちょっと眠っとこか。大丈夫や、おじちゃんも一緒に寝たるさかいな」つって自分の喉を包丁で切り裂いて自殺するんですよ、「あー気持ちよくなってきたわぁ」とか言いながら。
自分が絶対に生き返れるか不明な状況で、それでもこの子を安心させるために、この選択ができるっていう凄さと優しさ、それに加えて人間がもう触れるルールじゃないことを理解した上で、それでもできることを最大限やろうっていう志の高さに敵ながらあっぱれと思いました。

 あと一番感動したのが、最初に映像を送った監督ファンの女性ね。彼女は新しい神さまに選ばれて、その体に神さまの一部を賜っているんですよ。それでもうこの世界が終わって新しい世界になることを察知して、黒石監督に「私はもうおしまいだけど、黒石くんは傑作を撮ってね」と言う。ここがね、もうめちゃくちゃ良くて……世界が終わろうが、自分が終わろうが、作品の価値は変わらないっていうか。現実がどんな姿になったとしても、フィクションの素晴らしさはそんなものに左右されないって告げてるわけじゃないですか、これって。
それってどこまでも虚構の力を信じてるってことで、それはさっきの人間に対する信頼と一緒で。ある点までは現実と虚構は相互補完の関係にあって、お互いに影響を与え合うわけですが、ある境界線を越えたところで現実と虚構はまったく別の世界に旅立つわけですよ。最後の最後で現実と虚構は、全然関係のないものになっていく。そのうえで「現実が終わっても、虚構があればそれでいい」って力強さがそこにはあって。それがPOVのドキュメンタリーという形式で出てくることで「こっち/虚構の世界も”ホンモノ”だぞ!」って宣言しているようで、こういうの私は本当に感動してしまうんです。虚構は決して、決して現実に負けてないんだぞ! って。


 ……それでね、ここから、あの、真実というか、ものすごく大事な話をしたいと思うんですけど。
この作品をずっと「ドキュメンタリー」って言ってたけど、本当は違くて。うーん、自分で言ってて頭おかしいなとも思うんですけど、これって予言みたいなもんなんですよ、実は。「このままだとこうなっちゃうぞ」っていう。虚構の方はこうなっちゃうけど、そっちとこっちは最後には別になるから、現実の方で一生懸命やれって予言で。
今日の最初の方に言ったように、いま立ったまま、というか脚立の上に立って話してるんですけど、それはこうしたほうが神さまに近くてちゃんと聞こえる……正確には届いてくるって感じなんで、うるさいっ!

 ……ごめんなさい、時間が迫ってるみたいで。先週の赤い光から、新しい世界が来るよ―って教えていただいて、それで黒石監督の作品を見てね、それを邪魔するヤツラがいるってわかったんです。それでどうしたらいいんだろう? って思ってたら、私が頑張ればね、新しい世界がちゃんと来てくれることがわかったんです。だからね、いまからちょこっとだけがんばって一足先に新しい世界で準備をしに行ってきます。
えっと、その、ホントのこと言うと少しだけ怖いんですけど。新しい世界になればみんな生き返るし、それは幸せな世界になるから。だから大丈夫だから。それがいまもう変わってしまった新しい世界のルールだから絶対に大丈夫だから、大丈夫、大丈夫だから。
 だからみんなもその時が来たら、怖がらないでね、安心してこっちの世界においでね。絶対来てね。

 それじゃあ、ばいばい。またね。

 禍具魂」

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 少しだけなんでこんな形式でこんやったかというと、まず第一に『オカルトの森へようこそ』がめちゃくちゃに面白くて、その面白さに拙くても迫りたい!と思ったんですよ。
それで最初は普通にいつも通りの映画評を考えていたんですけど、ほら、この作品ってモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)形式なわけで……だったら音声配信って形式でやる中で「映画評の配信そのものがモキュメンタリーになっている」というのはどうだろうか? というのが発端。

 それで映画評自体はいつもと変わらずガチで(これは本当。そこは当初考えていた評とほぼ同じ)、でもこの世界では「白石監督」ではなく「『オカルトの森へようこそ』の黒石監督が実在している」世界線だと設定し、ところどころに違和感を散りばめていく。
それで最後には怪異に魅入られておかしくなっている女が……このキャラクター像も過去の白石監督作品に出てきた人物から着想を得てるんですが、そいつの狂気がまろび出ることによって、散りばめた違和感が線になるようにしてみた……のですがどうでしょうか?

 でもあれね。やっぱこういうのは滑舌がちゃんと生きてる人がやらないとダメね。私のいまの声だと、どうにも上手くいかない。これ、というか次にこういう形式でやるときは、お金払ってでも誰かに喋ってもらうことにしようかな。

 あ、来週は『さかなのこ』評を予定しています。よろしくおねがいします。

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