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一週遅れの映画評:『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』真実はひとつでも、ひとつの道じゃ辿り着けない。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』です。

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 確か先週「読み方が全然覚えらんない」って言ってたけど、見た後なら完全にわかる『羅小黒戦記』ですよ!ちなみに切り方も視聴前はわかってなくて、「ロ・シャオヘイ/センキ」です(「ロシャオ/ヘイセンキ」だと思ってた)。
 
 私としては珍しく映像の話から入るのだけど、特徴的だったのが「FPS視点」とでも言うのか一人称視点からの映像とブレて見えるキャラクター、それにアクションシーンにおける異常ともいえる「速度」で。
 これって近年のゲームにおける視点と、アメコミヒーローもののアクションスピード(思い出したのは『マン・オブ・スティール』のこの評論「「世界は大きすぎるよ」速度の映画について(2) マン・オブ・スティールに触れる-映画監督佐々木友輔特別寄稿」http://blog.livedoor.jp/book_news/archives/36282780.html )からの影響は絶対にあって、中国の作品がいまめちゃくちゃ貪欲に色々なものを吸収して応用していこうとしているのをまず感じました。
 
 素晴らしいのはその視点の差が内容と合致していて、FPS視点、つまり主観的な視界と、まともな動体視力では捉えきれないぐらいの高速アクションにおける客観的な視界が並列して存在していて、FPS視点では見えるもの(ピントが合っている)と見ていないもの(ブレている)があり、高速アクションでは基本的に何が起こってるかほとんど理解できなくて、ただ結果だけが最後に提示されるようになっているのです。
 
 これをいったん頭において、主人公の小黒が前半で「善悪の判断くらいできる!」って言うんですよ。物語全体を通してこの発言は真です、小黒は自分の知っていることに基づいて善悪を正しく判断することはできる。
 ただ、ただ問題は「小黒の知っていることが全てではない」ということで。
 これって真実/フェイクニュースの問題で、私はまぁ牧歌的と言われればそれまでなんだけど人間の知性とか判断力を結構信頼しているんですよ。それでもこう色々な対立が、それもこう考え方の差だけとは言えないほどの致命的な断絶が起きてしまうのって、持っている情報の違いによるものなんだろうなとは感じています。
 だから小黒は正しく善悪の判断はできる、ただその判断材料がひどく偏っていることで間違えてしまう
 
 『羅小黒戦記』の世界観だと人間と妖精ってのがいて、小黒もその妖精なのだけど、まぁ妖精全体は住んでる地域を人間の開発によって追われつつある……という背景がある中、「妖精は妖精の住む世界を守らなくてはならない」派と「人間との共存を目指すべきだ」派に分かれている。
 それで妖精派のフーシーって人が妖精がその力を存分に振るえる場所を作るため、都市のど真ん中に「領海」って空間を作ろうとする。この「領海」からは人間は追い出されてしまい、妖精の理想郷みたいなものが出来上がるようになっている。
 
 それで、あの、身も蓋もない話をすると現実には「妖精」なんていないじゃない?虚構の、フェイクの存在であるわけですよ。だから「領海」っていうのは、世界の一部をフェイクで覆って、そこではフェイクの存在が生きやすくて他の者はその外側へ弾き飛ばされてしまう。
 つまりどれだけ正しく善悪の判断ができる人でも、そこではフェイクの世界が提示されて、その間違った前提によって善悪の判断のを迫られてしまう。これに最初話した視界の話が沿っていて、主観的には「見たいものにしかピントが合わせられない」し客観的にも「全てを捉えきることができない」ように、この作品では描かれている。
 それは結局のところ個人の能力では主観も客観もどっちも間違えてしまう。善悪の判断はできるけど、「私」だけではその判断に必要なものが捉えきれないことを意味している。
 それが結論として「人間と共存する」、要するに自分たちと異なるものと一緒にいることでより多くの判断材料を得ることが、もっとも「善」に近づく。になるのは映像と物語がきちんと一致した作品として、本当に良いと思いました。
 
 そしてそのメッセージが情報の規制に関して問題を持っている中国の内側から発せられてることに、その「領海」の壁を壊して外と共存する必要を訴えてることに、希望のようなものを感じています。

 ただひとつ残念だったのが、吹き替え版のED。
 本来のEDは様々な妖精のキャラクターが描かれていて、彼らに生活がある=この作品世界の広がりを強く提示するものだった(そしてそれは作品のテーマとも合致している)のに、その後の吹き替え版で追加されたEDは本編のダイジェスト映像が流れるという……なんというか「ものすごく世界を狭く狭くしている」ものに見えた。正直その演出は無いな、雑だな、と思いました。
 それだけが残念。

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 次回は……ついに!ついに!ついにきました!『魔女見習いを探して』評を予定しております!見に行くのが本当に楽しみ!

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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