本に、旅する。心を、探検する。


本から色々な人生をインプットしよう!

 私は、本が好きだ。もっと色々な本を読みたいし、まだ見知らぬ世界を知りたい。
 人それぞれ、同じような道のりを進んでいるようでも、まるでパラレルワールドを生きているかのように全く異なる角度で物事を見ている。
そして、そんな個としての「人」が生み出した発想の発明品である「本」は、一冊一冊が独自の輝きを放つ。
一冊の本の中には、私個人の人生では辿り着けない様々な考え方や人生、それによって生まれる教訓や気づきが含まれているのだ。
 中には、内容が難しすぎてつまらなくなってしまう本もあったりするものの、それは読んで得た知識によって予想以上の成果が上がったり、忘れられない感動体験になった時の心地よさによって、忘れられる程度のものだ。
 しかし、スマホによる活字離れや、文字を読むと眠くなるという人もいるのではないだろうか。
安心してほしいのは、私もかつてはそうした一人だったということだ。
つい最近でこそ本が好きだと自信をもって言えるようになったものの、今のように思えるようになるまでには紆余曲折あった。

本が読めることの有難さ

 いつからか、本を読めなくなっていた。子供の頃は、純粋に本が好きだったのに、大人になってから、何かと理由をつけて読むことを避けていた。
理由は、「読む=時間が無くなる」、「読む=悲しい話で落ち込む」という失敗体験を積み重ねた結果だった。
 しかも、本を読まないことに対して勝手に劣等感を抱いていて、読める人を羨ましいと思っていた。
 それでも、私が読書に対して成功体験がないからだと考え直して、本を読むことを諦めきれなかった。読むことは義務ではなく、自由なのだ。私は、本を読んでもいいし、読まなくてもいい。じゃあ、どちらかを自分で選択するために試しに読んでみよう。読んでみないと結論は分からない。
 もう一度勇気を出して、でも何故か一冊の本を通して読めなくて、何冊も途中で挫折しながらパラパラと流し読みしていたときだった。
その本の中に、『すらすら読める新訳フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン著)があった。目が留まったのは、彼が今の公共図書館の元となる仕組みを考えたという内容だった。
 若い時分から読書と文章を書くことが好きなフランクリンは、「『会員制の図書館を作れば、誰でも本が読めるようになり、多くの人の利益になるのではないか』」(p.208)というアイデアを実行に移し、成功を収める。当時のアメリカでは、本はイギリスから取り寄せなければならないほど貴重なものという背景の中、このアメリカ初の会員制図書館は多くの人の人気を集め、「わずか数年のうちに、他国の人々はアメリカ人のことを『ほかの国の同じ階級の人に比べ、豊かな教養と知識を備えた国民』とみなすようになった。」(p.209)とある。
フランクリン本人は、アイデアをまとめ、会員制図書館を管理した経験について、「好きなだけ勉強に打ち込むことができた」(p.212)と語っている。
 この話で、改めて公共図書館について考えさせられた。
重要なのは、市民の税金で集めたお金で、困った時にはいつでもアクセスできる知識がそこにあること。
 今のように読みたい本を無料で読める環境があることは、当たり前だと思ってはいけないと思う。
 この話を読んでから、先人の努力があってこそ、本を読める自由があるのだと思い、感謝の気持ちが芽生えた。そして、彼の本に対する熱意を考えると、私も本を読んでみたいと思うようになった。

一歩踏みだすことが大事

 次は、たまたま目に入った面白そうな表紙の本を手に取ってみた。
その本からもまた、別の角度で本を読むことの大切さを考えさせられた。
時間を有効活用するライフハックの本は、「本を読む=時間が無くなる」という自らの失敗体験を補って余りある話だった。
優先順位をつけ、重要度、緊急度のトリアージを付ける。医療分野の専門用語だと思っていたものが、意外と汎用性のある方法だったことに気づかされた。
 読めば読むほど、できることが増える。色々な可能性を考えられる。
読まないと、知らないから分からない。でも読んでみないと、どうなるか分からない。だったら、読んでみた方が面白い。
 今は、勢いに乗って読んでいる最中だが、いつか止まってしまうのではないかという恐れもある。
 そんなとき、「習慣化」についての本も読んだ。どんなに小さなことでもいいから、何か一つを継続して毎日やること。そうすれば、いつの間にかその何かは「当たり前」になる。読書を習慣づけたいと思って毎日ちょっとずつ本を読むことにした。
 様々な本を読んでいるうちに、読書好きの方が書く本の読み方についての本が気になって読んでみた時には、複数冊を同時並行で読むのがおすすめだと書いてあったので、試してみた。すると、数冊を同時に読み進めることで関連性を見つけたり、新しい発見や気づきが生まれた。さらに、比較対象があることでより深い考察ができることを知った。
 そんな季節を過ごしているうちに、いつの間にか「本を読む=心地いい」という図式が私の中で出来上がっていた。
成功体験を作ることで、本を読むことを自然と習慣づけ、当たり前に行えるようになった自分に気づいた。

いつでも、どこでも。

 私は元々旅が好きだが、コロナ禍の間に本も好きになった。リアルの旅はヨコの世界へ広がるが、本の旅は精神世界、タテの旅だと思っている。
「旅は、天然の成長促進剤」という記事を随分昔に書いた。この記事を今一度振り返ってみて、旅と読書の共通点はそこにあると改めて感じる。
 『0メートルの旅』という本を最近読んだが、この中で言われているように、「旅に距離は関係ない」のだ。いつでもどこでも、自宅からでも、その人の考え方次第で壮大な旅が出来る。
 そして、それが実際には身体を使ったリアルな旅でなかったとしても、その人の感覚では非常にリアルな手触りなのだ。記憶に生々しく、潜在意識には経験として刷り込まれる。それを、リアルと言わずして何というのだろうか。
 本を読んでいて、心を動かされたとき。たとえば悲しい話を読んで、泣いた人がいたとする。その瞬間の感情は、全くの現実なのである。
 人類にとって、言葉が最大の発明品と聞いたことがあるが、私は、文明を築いたという大きな理由ではなくて、言葉が威力を発揮すると感じるのはこうしたときである。
 現実世界で起きたことではなくても、感情は本物である。
 旅に出よう。本を旅して、沢山の人生を追体験して、リアルな感情に沈もう。それは、静かなる冒険である。



参考文献リスト
・ベンジャミン・フランクリン『すらすら読める新訳フランクリン自伝』
・堀田秀吾『24TWENTY FOUR 今日1日に集中する力』
・落合陽一『忘れる読書』
・樺沢紫苑『読書脳』
・西田文郎『エジソン脳をつくる「脳活」読書術』
・岡田悠『0メートルの旅 日常を引き剝がす16の物語』

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