スピリチュアルとは何か?
スピリチュアルとは何か?
引き寄せ、スピリチュアルをはじめ、
愛着障害、アダルトチルドレンに至るまで・・
生きづらさを表す色んなキーワードが
多くの雑誌やメディアで取り上げられるようになり、
ユーチューブでも垂れ流され、
たくさんの書籍も刊行されています。
しかし、
果たしてどのくらいの人が
その本当の姿に
気がついているのでしょうか?
そしてまた、
自分自身が楽に生きられるようになるために
どのくらいその知識を活用し、
実践することができているのでしょう?
~スピリチュアル・覚醒~をキーワードに
人の人間心理をちょっと解説してみます。
「なんで私は生きにくいの?」
「なんで私は自己否定しちゃうの?」
「なんで私はやりたい事ができないの?」
「なんで私はやりたい事がわからないの?」
「なんで私は十分豊かなのに、満たされないのだろう?」
そこに隠されたメカニズムを知り、
自分が楽に生きられるようになるために
一体何が必要か?をお伝えしてみる試みです。^^
1:カルマや前世が傷ついているから辛いのではない
あなたはもしかしたら・・
「私は未統合だから、未覚醒だから生きにくいんだ」とか、
「私はカルマや前世の問題で生きにくいんだ。」
そう思っていないでしょうか。
その気持ちも確かにわかります。
ですが、それは勘違いです。
「私にはさらに覚醒や統合が必要だから、
カルマがあるから、
前世で幾度も傷ついた呪いがあるから」etc…
「だから私は生きにくい」ではないのです。
「生きにくい原因てなんだろう?」
と調べたら↓
さらなる覚醒が必要になっている
今は未覚醒な意識レベルや、
感情レベル・思考レベルがあるなど、
カルマや前世、更なる覚醒や統合という所に
当てはまると気がついた。
↓
だから『私の不幸はこれのせいだ!』
『これを手放しちゃえ~!一気に超越だぁ!』
という順番です。
つまり最初にあるものは、
・生きづらさや、自分らしさの損ない感であり、
カルマや前世という呼び名じゃないし、
覚醒や統合という呼び名でもないですよね?!
その呼び名は後付けです。
(アダルトチルドレンや愛着障害なども同じですよね~)
なぜこんなことをわざわざ言うの?
それは、
後述する勉強の罠
に陥りやすくなるから。
ネーミングやラベリングは
時には少しだけ心を楽にします。
「だから私はそうだったのか」と。
でも、だからといって
根底の生きやすさや人生や覚醒レベルが
激変したりはしません。
自分を理解しやすい入口、に立った所だもの。
たとえば「自分らしさを損なってるんだ」
今ありのままの自分のその状態を知った後には
取り組めることをコツコツと
積み重ねていき、
残業断ってお家にひきこもらないで、
社会や世間と関わり合いながら、
その中で自己受容し解放し統合し、
現実創造の流れの中で
自分を成長進化させていくしか無いし、
そこが一番大切なのです。
毎日にす~っと溶け込ませる。
もちろん、最初は凸凹がたがたしながらだけど。^^
もしひきこもるなら、
定期的に数日間、
外と外の情報と断絶して、
プロの人にリトリートしてもらいつつ、
その間隔をひろげていくほうが
ずっと有効的かもしれません。
2:スピリチュアルについて学びすぎない
生きにくかった自分を変えたくて
ようやくスピリチュアルにたどり着いた時。
陥りがちなのは
座学的な学びと情報収集が
”止まらなくなる”ことです。
はっきり申し上げてしまえば、
誰でもすぐにSNSやYouTubeをはじめ、
情報発信し、メディアを持てる時代。
誰もふるいにかけられることなく、
すぐにスタートできる。
故に世間にはピンからキリまで
なんでも溢れかえっており
圧倒的に”情報過多”です。
情報過多ということは、
いくらでも学び続けられるということ。
スピリチュアルを取り組む方は
真面目で考えすぎる方が多いために、
「私は本当に○○なのかな?他の能力者はなんて言うかな?」とか、
「もっとちゃんと理解しよう。完璧に学ぼう。」と
その学びを 延々と続ける ケースになってしまう事も。。
現実の中に取り入れて
コツコツとできればいいのですけれどね~。
そこって鍛錬や
個人指導になることも多く、
その深めと落とし込みをする人は少ないです。
そのフォローを面倒がって
やらない指導者もいるのかもしれません。
あるのに使わないのは、
受取り手側にも
様々に理由や事情があるのでしょう。
指導者がそれを用意しないのはと
憤る人もいるけれど、
それが悪いとかではないです。
みんな役割がありますから。
大勢に少しずつ何かを拡げるなら、
どうしても芯にはいきづらいし、
一人ではさばききれないし。
さらに言えば、、、
スピリチュアルやアセンションだとか、
覚醒だと定義するその基準も
ヒーラーや指導者によってまちまちです。
だからこそ、
スピリチュアルという
カテゴリーの勉強をするのではなく、
それを活かして
”あなた自身のことを
学んでいって欲しい”と思います。
人生を変えるのも
目を醒まさせてくれるのも、
座学ではなくて『実践』なのです。