ライトワーカーってなに?(~今更聞けないシリーズ~)
ライトワーカーは、いろんな定義があるのを承知の上で、その是非ではなく、わたしはこう感じます。
ライトワーカーとは:
イイ時にできるのはふつうの事ですが・・・
自分が深い闇や混沌の中でも、「自分の幸せ」が「世界の幸せに繋がっている」ことを「確信」し、愛や喜びを日々に惜しみなく「表現する人」です。
もちろん悲しみや迷い、怖れがないわけではありません。
それらをも正直にありのまま享受して、それでも尚、愛を見つけようという姿勢や、それを表現するその人は、やはり愛の表現者・ライトワーカーなのです。
その表現が自己だけでなく周囲の人たちをも癒し、自分の知らぬところで目を醒ましたり、意識や視野をひろげるきっかけとなり、自然と周りを喜びへの覚醒に促進してしまうような、そんな存在なのだと思います。
ライトワーカーが、自分の人生にどんなときも素直で正直に在り、どんな時でも喜びに生きようとしていること自体が、ライトワークの一環なのです。
そんな人がいっぱいいたら、世の中素敵だなって思います。
ライトワークとは?
意識的なライトワークをする人もいますが、日々の在りようによる無意識的なライトワーク貢献をする人のほうが圧倒的に多いです。ここでのライトワークのお話しは、上述のようなところを書いています。
毎日の自己表現、です。すごく日常的な。
ライトワーカーに覚醒してくると、自然と意識せずに、自分の生きようや在りようのあらわれ(表現)によって、何かしらの形で、ライトワーク貢献をしはじめます。
そこでは、この世界の光も闇も、それを超えたなにかがあることも、知っていることも知らないこともあることの全てを認識して、みとめた上で、宇宙全体の大きな方向性の中の「今ここ」に、この世界でその人が真の目的を見出した時、それがライトワーカーとしての覚醒の”始まり”です。
また、ライトワーカーとしての覚醒が始まって、それが人間の「心と精神レベル」と「顕在意識」と「在りよう」に落とし込まれてくるというか、染みわたってゆくと、(それはどこまでも極められるものなのながら)はじめはエネルギーが強くなり、生きていることに自信と確信が持てるようになります。
強いる意味ではなくて、すごく脱力した意味で、「自分がすべきことをして、人生を生きる」ことの一部として、それ(ライトワーク)ができるのがライトワーカーです。
そして無意識のライトワーク貢献をしているうちに、自分の中から顕われるものに正直になって、素直さで生きられるようになることが、最も重要なところだと思います。
それは、三次元的で地上的なカルマを糧として学び、その中にある愛を感じて生きるというよりも、それがあるままで、その自分を超えた人生を生きる、そんなプロセスになります。