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【スペイン生活】DANAの記憶

悲劇の震源地

バレンシアを襲った大洪水。DANA(Depresión Aislada en Niveles Altos)
その「悲劇の震源地」と呼ばれる街に住んでいた私たちは、初めて被災を経験しました。その時どんな状況だったのか、書き留めておくことは、もしも同じことが起こってしまった際、被害をより小さくするために役立てることができるのではないか、この災害を日本語で綴ることに意味があるはずだ、と思い記事にすることにしました。
自然災害は危機やその規模を予見することが難しいですが、今回の経験をみなさんにも、遠く離れた地で起きていることかもしれないですが、知ってもらえたらなと思います。

2024年10月29日 14時半

この日は天気予報で警報級の大雨だとニュースで伝えられていたため、夫は出勤せず在宅で仕事をしていました。昨夜から滅多に雨が降らないバレンシアらしくない量の雨が降っていました。それでも、日本の台風の方が強い勢力のように感じるほどです。昼頃には雨も止んだので、少し外へ出るとゴオーーというすごい音がして、それが川の流れる音だと気づきました。いつもなら、木の根元まで見えており、「お散歩ロード」と呼んでいる原っぱが写真のように。

本当は、草っ原なんですよ

強い濁流とその引き込まれそうな荒々しさがとても恐ろしく、急いで帰宅。

18時頃

部屋で大人しく過ごしていて、外は時々雨が降ったり止んだり。一週間前にも雨が降っていましたが、その際は風が強く、物が飛んできてガラスが割れるのでは思いましたが、そこまでではありません。しかし、外が何やら騒がしくなってきて、大きな声でご近所さんが話している様子が普段と違う感じ。楽しそうには聞こえてこないので、様子を伺おうとベランダへ顔を出しました。

気づくと既に人の膝下まで道路一面、浸水しています。この時点で、1階に住むご家族を2階の我が家へ避難するように伝えました。お父さんと8歳の女の子と犬のガジータ。(スペイン語でクッキー)
女の子はとっても明るく天真爛漫で、この状況を怖がったり泣いたりせず、突然のお宅訪問にも動じない逞しい子でした。自分がこのくらいの歳だったらと考えると、きっと号泣です。知らん外国人の家でなんて落ち着けない小心キッズに違いありません。
普段からさまざまなルーツをもつ友達と、文化と、慣習とに触れて生きている子どもの「生きる力」の強さを目の当たりにしました。
日本の子どもたちよ、強く生きて!

19時

連絡を取っていた友達へチャットが送れなくなりました。通信が遮断され、ニュースなどが見られない状況に。ちょっと怖くなってきました。他の友達が住んでいる街は浸水しておらず、私たちが住んでいる地域の被害が大きいことをここで認識しました。女の子のお母さんは仕事だったようで、この状況から今晩は帰らないことに決めたようです。安全が確認できてホッとしました。ほぼ同じ時間に停電。キャンプ用のライトを点けます。街一帯が真っ暗になり、これまでにないくらい静まっていました。

初めてのお客様がスペイン人!

女の子が、「タブレットで一緒にゲームしようよ」と誘ってくれ、4人と1匹は暗い部屋の中でも明るい気持ちで過ごせました。こういう時にこそ、子どもの屈託ない笑顔と無邪気さに救われます。

19時半

1階の家は水没。2階への階段も水没し、いよいよもう外へは出られません。スペインは道路に車を停めるため、道路に停まっていた車のエンジン部分にも水が入り込み、オイルが漏れ出して外がガソリン臭くなりました。誤作動を起こしてハザードランプが点滅していたり、クラクションが鳴り続けたりしていて、次は火事が起こるのではと怖くなりました。

あたりは真っ暗

近所の人から情報が入り、どうやら大雨によって川の上流部が決壊してしまい、下流の私たちの街に流れ込んできているということでした。どんどん水位は上がっていき、止まる様子はありません。

「あ、私たちの新車が〜〜!!泣」

か、悲しい、、、

車が水面に浮き、どんどん大きな通りの方へ流されます。途中、他の車とぶつかり合い、ものすごい金属音を響かせながら、納車して2ヶ月の新車のフロントガラスはバキバキに。
スペイン人のお父さんも「Madre mía!!」(スペイン語版Oh My God)と頭を抱えてしょんぼり泣きそうに。女の子はガジータを抱えて「あらま〜〜」って感じです。
100m流され、大きな通りまで車を見送ると、とうとう見えないところまで流されてしまいました。ああ悲しい。けれどもっと悲しいのは夫だろうなあと。短い間だったけれどありがとう、車よ。涙

21時

水の勢いが弱まってきて、2階までは到達しないだろうと考えて今晩は休息を取ることに。もちろん、水が止まってシャワーは入れません。
トイレは、かろうじて1、2回分タンクに水が残っていました。シャワーは我慢できても、トイレは我慢できませんからね。しかし、いつもならご飯を食べてすぐに食器洗い、シャワータイムなのに今日に限ってどちらもせず過ごしていたことが悔やまれます。
後々、お皿を全て拭き取り、シャワーは翌日も入れませんでした。辛かった!

Bien o Mala

女の子が大きな紙が欲しいと。なるほど。犬を飼っていたので、察しがつきました。犬だってトイレは我慢できませんからね。ビニールの上にペーパーを敷いて犬用のトイレを準備。「お願いだから、外さずしてくれよ〜〜」と私。「ガジータ、Mira(見て)」トイレを指差し「Es Bien〜〜(これは、いいよ)」床を指差し「Es Mala〜〜(これは、ダメよ)」女の子がガジータに教えてくれ、「よしよし、トイレの心配はなさそう。」と思ったのに。
ご丁寧に、私が可愛がっている犬のぬいぐるみをガジータに見立てて「シャーー」とお手本も見せてくれました。ああ、あなたそこ靴で歩いていたじゃない。真っ白のぬいぐるみが。。。

教育を受けたガジータ。
そのあとしっかり外してくれました。だっていつもと環境が違うものね。お散歩いけないものね。うんうん。
着替えだけしてベッドイン。お父さんたちにも寝床を作っておやすみなさいです。

翌朝
一夜にして姿を変えた街

この泥が厄介

夜が明け、いつもよりも静かな朝を迎えました。
外を覗くと水位も下がり、外へ出てくる人の姿が見られます。しかし、街の様子は一変していました。隣の空き地の壁が押し流された上に1階部分が全て流され、一つ奥の通りまで見えるように。

家の壁に洪水の跡が

家の前の道路は土砂と大量の木材が積もって、安全に歩けるかどうか怪しく、ほぼ孤立状態。お向かいのおばあさんは、きっと長くこの街に住んでいたのでしょう。ショックで泣いている様子でした。
家から確認できるだけで被害の大きさが想像を超えています。
街の様子を少し確認し、できることなら食材を確保しておかなければ、と思いました。直感的に、長期戦になりそうだと。

自然の猛威が残したあと

ゴミ袋を二重にし、その上からサンダルを履いて街へ出ると、昨日の洪水の水位が2m近くになっていたことに気づきました。さらに、どこから流れてきたのか、大量の泥に足が埋もれて、大きな通りに出るのも一苦労。1階のお家は泥まみれで、外から家を見ると空っぽです。水に押し流されたのだと思います。

流された車が道を封じています

近くのスーパーへ行くと商品は全て泥まみれで、店員さんも「もう、何でも持って行っちゃって〜(もう売れないから)」という感じ。すぐ近くに決壊した川と橋がありますが、柵や標識、建物まで根こそぎなくなって風景が一変していました。特に、メトロ(といっても地上を走る)の線路がなくなってしまったことから、交通手段も絶たれていることをここで知りました。

脱出作戦

このままでは、自分たちの安否を伝えることもできず、情報を得ることもできない。そこで、この街を一度離れることに決めました。
昨夜を共に過ごしたスペインファミリーは、無事、朝方にママと合流し、同じ建物の3階のお友達のところで過ごすそう。居場所も見つかったようでほっとしました。
翌朝、貴重品だけを持って、またまたビニール袋2枚重ね+サンダルで出発。
唯一の幹線道路を目指して30分ほど歩きます。

左側にあった建物ごと
流されてしまいました
橋のガードレールも全て、
流されてしまいました

どの道は歩けそうか、どの方角へ行ったら良いのか、道行く人に尋ねながらひたすらてくてく。こういう時に、「日本語だったら」「もっと土地勘があったら」と考えてしまいますが、頼もしい夫に身を委ねてついて行きます。いつもありがとう!

ようやく幹線道路に辿り着き、汚れた上着とサンダルを片付けて靴に履き直し、私たちを乗せてくれる優しい運転手さんを求めてヒッチハイク。
ありがたいことにすぐに救世主に出会えました。
一度はやってみたいと思っていましたが、まさかこんな形でヒッチハイクの夢?が叶うとは。

中央市内まで運んでもらうと、驚くほど中心部は普段と変わらない様子で、「あれ?もしや私たちの街が一番被害が大きかったり、、?」なんて。急いでスマホをWi-Fiに繋ぎ、夫は上司に、私は連絡をくれていた友達と上司の奥様に連絡。
ひとまず自分たちの無事を伝え、ホテルを確保しました。

日常の幸せを噛み締めて

ようやく、ホテルで一息つける状態に。
熱いシャワーを浴びることができて、トイレの水がちゃんと流れて、温かい部屋のふかふかベッドで寝られることがこんなに幸せだなんて!
気づかぬうちにとっても気を張っていたのだと思います。ベッドに入ったら一瞬で夢の世界へ。

起きて、ニュースを見ていると悲惨な街の様子と、人々の様子が映し出され、「あ!私たちの街だー!」と、小さな街が一晩にしてスペイン中から注目を集める存在になっていました。

自分たちはホテルで過ごせる場所を確保できたけたけれど、向かいで涙ぐんでいたおばあさん、いつも元気はつらつな近所のおじさん、美味しかったお気に入りのレストランはどうなっただろう?と、街を離れても心配事は尽きず、復興までの軌跡をちゃんと。見守っていきたいなと思いました。そしてできるなら私も力に。

Valencia volveràs a BRILLAR
(🟰バレンシアは再び輝く)

こんなに大きな災害に見舞われても、バレンシアの人々はとっても明るく前向き!
翌日には多くのボランティア達が泥だらけになりながら作業をしてくれ、廃棄物処理や清掃を手伝ってくれました。「一丸となって」ってこういうことか!と。「困っている人がいたら放っておけないよ!」という優しさをひしひしと感じました。
中心街では、サッカースタジアムのメスタージャへたくさんの水や食料、衣類が市民から集められていて、トラックで被災した街へ届けられているようでした。
政府の指示を待つなどせず、「いけいけゴーゴー!仕事、学校どころじゃあないぜ。現場へ駆けつけよう!!」という感じ、好きです。(もちろん、それによる渋滞などもありましたが)

そんなこんなで、凄い勢いでただ今復興中。
街が公式のInstagramやWhats Appアカウントで情報発信をしてくれていて、活気ある街が戻りつつあるのが伝わってきます。よかったら見てみてください。

訳 バレンシアは再び輝く

バレンシアが再び輝く姿を、よかったら一緒に辿ってくださいね。また記事書きます!

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