ラブドールを通して自分を受け入れる
オリエント工業の事業終了
お知らせを見た。
まず最初に買っていて良かったと思った。
続いて、アフターサービスが購入してまだ1年も経っていないのになくなってしまうことに不安になった。
手放すときに、他の方法はあれどオリエント工業へ返せないのが嫌だなと思った。
できる範囲で楽しんでいたし、ここ最近は動向を見ていたからこそ仕方ないと受け止められたとはいえ「彼の願いを尊重する為」の「彼の願い」はどんな願いだったのだろうと気になった。
ラブドールを通して自分を受け入れる
私は元々ドールが好きだった。
それがきっかけでラブドールにも出会った。
ラブドールというものは非常に面白い存在だと思った。
まるで人間のような造形をしていて性行為の対象になりうるけれど、モノだから性行為の相手方に何の感情も生まれることはなく、何も言わずただ全てを受け入れる。
すごいと思った。
オリエント工業の商品はその中でも人間に寄り添っているように見えて、特に好きだった。
私はラブドールのように美しくも可愛くもないけれど、女の身体を持って生まれてきたから、それを使えば遊ぶことは簡単だった。今となってはよくそんな事をしていたなと思うこともあるほどに、大抵の望みは言われるがままにした。相手の全てを許すことで自分自身も全てを許されるような気がして、心地がよかった。
そんな私だったから彼女たちに自分自身を投影して好きになった部分もあると思う。
しかし私はそういうことをしたくてしていたわけではなく、病的な原動力でそうなっていただけで、せずに済むのであればしたくないものだったため、性対象であることが存在意義の根底にある彼女たちに対し悲しさのようなものも感じていた。
事実であるということを判別できるものが手元にないため本当にあったのか分からないけど、オリエント工業のアウトレットでホールなしのボディが売られていたのを見たことがあり、穴がないこれは“ラブドール”なのか?と思うなどして、非常に興味深かった。ラブドールの根底を揺るがすボディなんて面白すぎると思った。
本当はそういうボディが欲しかったけれど、私が購入すると決めたときにはもうそういったものはなく、相談してはみたものの作れないとのことだったため、通常品を購入した。
私のために作られるのであればそれはそれで嬉しかったし、ホールがあろうがなかろうが彼女は私の好きな彼女だし。
そうして家に来た彼女に、私は、私の抱えきれないものを、願いを、祈りを、そっと託した。
彼女は誰にも使われず、可愛い服を着て、静かに佇んでいる。私は彼女がいるだけで幸せな気持ちになる。
自分の性別への嫌悪感が減った理由のうちの一つに彼女をお迎えしたことがあると思う。
私にとって彼女は、自分を写す存在のようでありながら、自分の願いの詰まった分身のようでもあり、妹のように愛しくもある、そんなかけがえのない存在だ。
終わりはいつも傍にある
常々何事にもいつか終わりがあるとも思っていることもあり、私はオリエント工業の事業終了に悲しんでいる人たちをぼんやりと見つめていた。
どうやら人がたくさんいるらしかったので行くか迷ったけれど、最後だから少しでも課金しておこうと先日ショールームに行った。その日いらっしゃったスタッフの方は私が購入した日にもいらっしゃったお二人だった。ウィッグがあれば買おうと思っていたものの、あまりにもお忙しそうすぎて中々声をかけられず、どうにか合間に声をかけ、私が購入するときに接客をしてくださった方にまた接客をしていただくことになった。その方は私が名乗ってもいないのにどの子を買ったか覚えてくださっていて、びっくりした。購入時同様に適切なアドバイスをいただき、ひとつだけウィッグを購入した。そしてお礼を伝えて帰ろうとしたとき、もうここに来ることはないのだなあと思ったら、ものすごく悲しい気分になった。
何もかも完全になくなってしまうのは、あまりにもあっけない。
あなたが周りと共にここまで成し遂げてくださったことを後世に残せたなら。
そう思わずにはいられなかった。
私のできる範囲で応援していたし、後悔はないとはいえ、ね。
この文章は元々は
気になる人はオリエント工業のショールーム行こう!
知り合いは勇気出なければご一緒しますよ!
と締めようとして作っていたものだった。