
一)継ぐなと言った父
夕方のおぼろげな光が差し込む部屋に父は横たわっていた。
ある日、いつものように父を見舞いにきた彼に、
「お前はこの店を継がなくてもいい」病床の父が静かに、しっかりとした口調で語った。父は覚悟を決めていた。
「この100年以上続いた別子飴本舗は、自分の時代で終わりにしよう」
そう決めていた。
長い歴史を持つ別子飴本舗を父が経営するようになってから、いつかはこんな時が来るかも知れないと、心のどこかで感じていた。けれど、子供の頃の自分にとって別子飴本舗は、親戚のおじさんがやっているお店であり、自分の将来とつながっているとは考えてもいなかった。
だから中学生のころになり「僕は将来●●になる」という言葉をよく発言した。そのためには進学しなければならない、大学に行き、多くのことを学びたいと思った、そこで大学では●●を専攻した。
父とて思いもかけずこの店を継ぐことになり、職人気質で一本気な父が経営に奮闘するのを感じていた。
その頑張ってきた父の今の姿を見ると、子供の頃から思い描いていた自分の未来があっという間に音もなく消えていくのを感じた。
いつかは父の後を継がなければならないと感じながら、子供の頃から思い、自分が進み始めていた世界で生きてきた。
しかし「継ぐな」という父の言葉で、おぼろげだった思いを決めた。
「自分が後を継ぐ」自分を育ててくれた父、苦しい時代を頑張ってきた父、その父に100年続くこの店を絶やした者と思わせることは息子として絶対に許せなかった。病床の父にそんな思いをさせることは絶対に出来なかった。
これからどんなことが待ち受けていようと、精一杯努力して、もしどうしてもダメになったら、店を閉めるときが来たなら、それの時は自分がその場に立っていよう。こうして秀司は、名実とも別子飴本舗の四代目の当主となった。
世間は好景気に沸き、瀬戸大橋時代と呼ばれる時期を迎えていた。
経済発展が進み始めたアジア諸国で生産された商品が次々と国内に流れ込んできた。地域の和菓子屋の多くが、生き残りをかけて、機械化し合理化をすすめ競争に打ち勝とうと必死な時代だった。
病床の父を守りたいと覚悟はしたものの、父が継ぐなというとおり、経営はたち直せるどころか、その日その日をどうやってしのいでいくのかという状況だった。
(敬称は省略させていただいています)