岩に押し潰された腕を自分で切断!?6日間の緊張は精神を狂わせるのか。
岩に押し潰された腕を自分で切断!?6日間の緊張は精神を狂わせるのか。
【押し潰された自分の腕を切断した男の話】
アーロン・ラルストンの話を聞いたら、明日の朝にはきっとこの話題で持ち切りになるでしょう。大袈裟に言って、一年後でもあなたはこの話をどこかの誰かにしているかもしれません。実際にこの話は、一生心に残る可能性が高いのです。今回は、アーロン・ラルストンへのインタビュー記事の内容をまとめたいと思います。
約二年前、アーロン・ラルストンはアメリカ、ユタ州で単独での冒険に出かけました。地面の裂け目に落ち、彼の腕に落石が直撃。その落石によって腕が岩壁と落石とで挟まれてしまうのです。肘から先は押し潰され、その場に閉じ込められてしまうという大惨事が起こりました。彼が生き延びるための選択肢はたった一つ。
自分の腕を切断することでした。
今や世界中が彼のやり遂げたことを知っていますが、彼がその瞬間に至るまで何を経験したのか、そしてその後何が起こったのかは、私が観た映画の中でも最も驚くべき内容でした。
そう、この事故は「127時間」という映画になっていまして、この映画のエンドロールで実話だということを知りました。この話が、こんなにも恐ろしい恐怖が現実だなんて。こんな体験をした人間がいるなんて、心底暗い気持ちになったものです。
2011年9月初旬、ノースカロライナ州在住の64歳の男性、「エイモス・ウェイン・リチャーズ」は、ユタ州のローワー・ブルージョン・キャニオンをハイキングしていました。リチャーズは、キャニオンの底に降りる途中で滑り、約3メートル落下して左脚を骨折、右肩を脱臼しました。彼は行く先を誰にも告げておらず、しかも所持していた食料はエナジーバー数本だけ。ここから3日後、国立公園局のパトロールがリチャーズの車を発見し、翌朝、ヘリコプターの乗組員が転落現場から約6.4キロ離れた場所で彼を発見しました。なんとリチャーズは3日間、砂漠を這って進んでいたのです。
と、このような事故がありました。ただ、この話、あの事故に似ているんです。
ブルージョンとは、2003年に「アーロン・ラルストン」が落石により腕を切断せざるを得なかったあのキャニオンです。「あのキャニオン」と、あたかも全ての人間が周知しているような言いぐさですが、この事故は山を登る人間からすると、物凄く有名な事故なんです。
ラルストン自身を除けば、ユタ州当局は1998年から2005年の間、ブルージョンやその周辺のキャニオンで一度も救助活動を行っていませんでした。しかし、ラルストンが2004年後半に自身の苦難についての本を出版し、特にジェームズ・フランコがラルストン役を演じた映画「127時間」が公開されて以来、このキャニオンでの救助活動は急増しています。2005年6月以降、ブルージョン内やその付近で行方不明になったハイカーは20人以上にのぼり、その多くはリチャーズのようにラルストンのルートをたどろうとしていました。
「腕を切断された男の映画を見て、スロットキャニオンについて読み始めました。映画も本当に興奮しましたね」とリチャーズは言います。(私もその一人です)
ラルストン後の出来事の中でおそらく最も有名なのは、70歳の大学教授で経験豊富な登山家であるルイス・シコテロが、3月に近くのノーマンズキャニオンで転落死したことです。彼の57歳の弟は、2003年にラルストンが挟まれた時間よりもほぼ1日長い145時間、岩棚に取り残されていました。
ブルージョンはソルトレイクシティから南東に250マイル(約402キロ)離れており、最寄りの町から車で2時間の距離にあります。ラルストンがはまり込んだ下部の狭隘部(きょうあいぶ)に到達するには、過酷な地形を10マイル(約16キロ)ハイキングする必要があります。さらに、北にあるキャニオンランズ国立公園内のホースシューニョンにはかなりの数の訪問者がいて、ブルージョンは公園の境界外にあり、この地域にある数多くのスロットキャニオンの一つです。2010年までは、熱心なキャニオニアやラルストンの回顧録『奇跡の6日間』を読んだ人々にしか知られていませんでした。ただ、「このキャニオンには、ここが人里離れた場所にあるということ以外、特別なことは何もありません」と、ウェイン郡の保安官カート・テイラーは言います。
【アーロン・ラルストンが行く先を誰にも伝えなかった理由】
ソロで山に登る時、クライミングをする時に破ってはいけない重大なルールがあります。それは「行き先を誰かに伝えなければならない」ということ。ですが、アーロン・ラルストンは、この重大なルールを破ってしまいました。
なぜ破ったのかという質問に、ラルストンはこのように答えています。
アーロン・ラルストン: 私にとって、あの日のブルージョンキャニオンでの15マイルのバイクライドと、その後の15マイルのキャニオニングハイクは、非常に低リスクなものでした。コロラド州のもっとも難しい高峰に、真冬に一人で登るような挑戦と比べれば、これはまるで休暇のようなものだったのです。ストレスのない、リスクの伴わない何かを求めていたのですよ。一般的に、キャニオンに入るときに唯一心配すべきことは、天候です。特に、私がいたような技術的に難易度の低いキャニオンでは、天候さえ安定していれば、非常にシンプルな体験になります。私にとっては、ビーチを散歩するのと同じくらいリラックスした時間を過ごすつもりでした。
と、述べています。つまり、この時のキャニオンはラルストンにとって非常に低レベルだったのですね。この後にインタビュアーは、岩に閉じ込められた時のことをラルストンに質問したのですが、続いてラルストンは以下のように答えました。
【右腕が岩に押し潰された経緯】
私が閉じ込められた場所は、鉄砲水によって形成されたキャニオンの一部でした。このキャニオンの一部では幅が30フィート(約9m)ほどで、壁の高さは50フィート(約15m)程度の場所もありました。しかし、スロットキャニオンの下部に差し掛かると、7マイルほど進んだ地点で、さらに8マイルほど進む予定でしたが、繋がった棚状の場所に到達しました。これらの棚は、キャニオンに洪水が発生すると滝のようになる場所です。そうして、滝の縁に洪水で岩が運ばれ、私の腕は壁と岩の間に挟まれ、動けなくなっていました。これらの岩は「チョックストーン」と呼ばれ、壁にしっかりと挟まれた状態になっているのです。
※チョックストーンとは、登山用語で岩壁の割れ目にはまりこんでいる石の事で、なかなか外れることがないのだとか。そうしてラルストンは、以下のように続けた。
私は、バスケットボールのバックボードの高さくらいの岩棚に立っていて、その下にはキャニオンが続く地面が見えていました。その棚から少し下の壁の間に岩が挟まっています。これはよく見られる光景なのですが、これらの岩は、キャニオンを下るための中間ステップとして利用できます。私はその岩に手をかけ、足を後ろ側に動かして、まるで家の屋根から雨どいを使って降りるようにしていました。岩にぶら下がりながら、自分を支えていたんです。そして、岩の前面に手を移動させ、足をキャニオンの底にもう少し近づけようとしました。下を見下ろすと、まだ2フィート(60cm)ほどの距離が残っていました。その時、丁度手を離そうとした瞬間…
なんと、岩が動き始めたのです。
岩の前縁にかけた力で、それを自分の方に引っ張り、回転させてしまいまいました。岩が揺れ動き始めたので、すぐに岩からすぐに手を離し、「その場所からできるだけ早く逃げ出さなければならない」という直感が働きました。ただ、その瞬間、考える時間はほんのわずかしかありませんでした。思考に体が追い付かず、手を離した途端、キャニオンの底に落ちました。
気が付くと私はキャニオンの底に立っていて、壁が左肩と右肩のすぐ横にありました。空を見上げ、すぐに両手を上げ頭の前に手をかざし、自分を後ろに押しやろうとした瞬間、岩が壁の間を行ったり来たりしながら右手を押しつぶし、左手でそれを押し返していると、岩が少し回転して腕をさらに引き込み、前に引っ張られました。岩は壁と壁の間の別の狭い窪みで止まりました。私の肩からわずか数センチのところで壁が岩を支え、反対側の壁もまた、肩からわずか数インチのところで岩を支えていまして、私の手は岩と壁の間の非常に狭い隙間に半分近く入り込んでいる状態でした。
最初は、とにかく手を抜くことに必死になりました。腕を挟まれている痛みがまだ襲ってきていなかったので、腕を引っ張ってみたのですが、その時、腕が完全に挟まっていることに気づきました。その瞬間、完全にパニックになりましたよ。岩が落ちてからほんの数秒後のことだったんです。私は体全体で岩にぶつかり、引き寄せたり、下から持ち上げようとしました。足と腕の両方を岩の下に入れて動かそうとしたんです。岩の重さは200ポンド(約90キロ)くらいだと思っていたので、力づくで持ち上げ手を抜こうとしたのです。
45分ほど岩をどけようと努力しましたが、汗だくになり、体力を使い果たしただけでした。そして私は、バックパックのストラップを外して前に引き寄せ、中にあった唯一の水、1リットルのナルゲンボトルを取り出しました。焦りと緊張から喉が渇いた私は、キャップを外して一気に3分の1ほど飲んでしまいました。10オンス(約300ミリリットル)もの水が一瞬で消えてしまいました。そして、その時悟ったのです。これが長い戦いになると…
私は冷静になった後、残りの水を3分の1も飲んでしまったことに気づきました。
【腕を引き抜く三つの方法】
水を一度に沢山飲んでしまった私は、絶望しました。そしていくつかの方法を思いつきました。まず最初に考えたのは、バックパックに入っていたポケットナイフを使って、岩の一部を削り取り、腕を引き抜けるようにする方法です。次に考えたのは、持っていたクライミング用具、つまりロープやカラビナ、プルージックループ、ウェビングなどを使って、最初に登った棚にアンカーを設置し、即席の滑車システムのようなものを作って、岩を腕から持ち上げる方法です。三つ目の選択肢は、助けが来るのを待つことでした。
誰かが偶然キャニオンを通りかかるのを期待していましたが、私がいた場所は非常に人里離れた場所で、ユタ州の中でも電気も水道もないエリアです。そこにはフェンスさえなく、住んでいる人もいません。家もなく、夜に車で走っても灯りが見えない、完全に殺風景な風景です。そのキャニオンを通る人は年間で数十人程度でしょう。彼らが来るまで待つのは不可能、状況は厳しいものでした。
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