綾瀬の残忍な事件の拉致現場。テレビに映った拉致現場付近に住んでいた私が、実際に現場の写真を収めてきた。【綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件】
綾瀬の残忍な事件の拉致現場。テレビに映った拉致現場付近に住んでいた私が、実際に現場の写真を収めてきた。【綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件】
あまりにも有名な事件【女子高生コンクリ詰め殺人事件】。日本に住んでいたら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。この事件は1988年11月25日~1989年1月5日に、東京都足立区綾瀬で発生しました。私はこの事件の8年後に誕生するのですが、現在までも様々なところで耳にするのです。
それはいったいなぜなのでしょう?
その答えは「拉致現場が、私の家からほんの数百メートルの距離だったから」でした。それだけでなく、高校の教師が被害者の元担任であったり、親友の母が被害者の同級生だったりしたためです。
「それはよく聞くわけだ…」
※後半では拉致現場の写真、拉致現場のマップなどを公開致しますので、ぜひご覧ください。
【綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件】
綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件(以降”綾瀬事件”と表記します)については、有名な事件過ぎて詳しく知ろうともしませんでした。ですが、大人になった今でも、どこからか耳に入ってくるのです。
地元ではよく語られていた事件でしたし、私が小学生の頃にもテレビや雑誌で見ていました。気にもしなかったのは小学生だったからでしょうが、中学生、高校生にもなると話題になり始めます。
私が中学生だったころ『事件簿』をまとめた本が売っていました。真夏の肝試しと同様、友人たちとその本を買ったのです。様々な事件が記載されている中、家から一番近くで発生した残虐な事件に恐怖したことを覚えています。現場に行くような勇気もなかった私は、そのまま高校生になりました。
高校でも特に気にした事はありませんでしたが、ある日風の噂を聞くことになります。なんと通っている高校に「綾瀬事件」に詳しい人がいるらしいのです。
そんな噂を聞いてしまった私は気になってしまい、沢山の人に話を聞き調査を始めました。すると案外すぐに当事者が見つかったのです。その人はなんと英語の教師でした。お爺ちゃん先生で、なにかあるとすぐに怒鳴るような昭和気質な先生でした。仲良くはしていましたので、お爺ちゃん先生から直接話を聞くことができたのです。片言の英語で、なぜ担当が英語なのか不思議なくらいの先生でしたが、その先生は被害者の担任だったのです。
※名前などは後半に記載。
お爺ちゃん先生曰く、被害者は真面目な生徒で明るかったといいます。あの事件は物凄く悲惨で、事件のことを多くは語らずとも表情が曇っていたのを今でも鮮明に覚えています。
【大まかに事件に触れていく】
有名過ぎて知らない人がいないほどの事件でしたが、時が過ぎ風化しつつあります。「いつまでも事件のことを引きずって…」なんていう考え方もあると思いますが、私が事件を追う目的は、事件を風化させないことにあります。事件のことを知らない人が増えてゆくことによって、同じ過ちを繰り返す人が現れる。同じように被害に遭う人が現れる。そんな気がしてならないのです。
令和になってから、犯罪件数が増えたと錯覚していましたが、それは間違いで、感覚的には今も昔も全く変わっていないと思います。今でも十分悲惨な事件はありますよね。綾瀬事件については、ネット上でも沢山の情報があります。ただ私の記事では、現地付近の写真なども合わせて記載いたしますので、ぜひお付き合い下さい。
※今回の記事のため、久しぶりに地元に戻り写真を何枚か撮ってきました。
【終わりの始まりは1988年11月25日】
非行少年グループが、帰宅中の女子高生を拉致したことから事件が始まります。7人の加害者が被害者を強○し、リンチしてから殺害しました。監禁現場は足立区綾瀬、なんと40日間も監禁されていたといいます。
被害者の名前は「古田順子さん」当時17歳。なぜか本人の顔写真は新聞にも記載されるほど鮮明であったのに、今では犯人たちの顔にはモザイクがかかる始末。もちろん特定されていますが。
1989年4月2日に埼玉県三郷市の自宅で営まれた葬儀には、友人や沢山の人が集まり送り出されました。
順子さんがコンクリート詰めにされたドラム缶が発見されたのは、江東区若洲でした。残虐な暴行をされた彼女の体には信じられない程の傷があり、その傷は酷く化膿し異臭を放っていたそうです。 監禁殺害現場は、事件を起こした犯人の一人「湊伸治」(読み方は”みなとしんじ”)の実家。もちろん家族で暮らしていたそう。父は仕事で滅多に家に帰らなかったそうだが、母と兄は家に居たのだとか。
監禁殺害現場では、若い18~19の男が5、6人毎日たむろしていたと近所の人が語っている。ガラスを割る音や、異常な音、被害者の悲鳴が響いていたのだとか。被害者の声が徐々に弱くなっていくのも聞いていたと言う。しかも昼間。私はこの話を聞いた時に、周辺に住む人たちにも異常さを感じてしまった。我が物顔で事件を語る人がほとんどだったからだ。
主犯格は「宮野裕史(みやのひろふみ)」。柔道の有望選手だった宮野は、被害者に暴行を繰り返したそうだ。
【事件後も一切の謝罪のない加害者たちの親】
私も子どもが居る以上、子どもの人格は親が形成すると思っています。個人的な考えだとは承知ですが、やはり生まれた環境が子どもの性格に影響することは、少なからずあると思うのです。
自分の子が事件を起こした事実、その事実がありながら親が線香の一つもあげに来ないなんて、正直親のほうにも問題はあると感じてしまいます。
しかも湊伸治の親も、初めから気付いていた可能性があると言うのです。拉致されてから1か月後の12月末には、加害者数名と被害者の順子さんと一緒にリビングで食事をしたというではありませんか。1か月間の間酷い暴行を受けた姿を見た「湊伸治」の母親「湊ます子」は、警察にも通報せずのうのうとその場にいたのだとか。信じられない。
結局のところ、行動を起こした犯人たちが地獄に落ちるべきなのですが。
【犯人の名前と顔】
少年A 1970年4月30日 主犯格
宮野裕史(みやのひろふみ)→横山裕史(よこやまひろふみ)
少年B 1971年5月11日 サブリーダー
小倉譲(おぐらじょう)→神作譲(かみさくじょう)
少年C 1972年12月16日 犯行現場提供者
湊伸治(みなとしんじ)
両親は元共産党員
少年C兄
湊恒治(みなとこうじ)
ネット上に写真なし。
少年D 1971年12月18日 監視役
渡邊泰史(わたなべやすふみ)
被害者を鉄球で殴りつける
少年E
中村高次(なかむらこうじ)
出所後も反省の色なし
ネット上に写真なし
少年F
伊原真一(いはらしんいち)
ネット上に写真なし
ここまでの大きな事件なのに、顔写真がハッキリ公開されていないなんて、少年法とはなんと残酷なものでしょう。卒業アルバムを全て集めてやろうと思いましたが、さすがにそこまではしませんでした。
と思ったのですが、どうやら犯人までの道のりは意外にも近く、私の周りには足跡が沢山あったようです。今後ご要望があれば追ってもよいかと考えています。
※ 上記の画像の無断使用は、お控え下さい。直接ご連絡頂けましたら、使用許可を出します。
【拉致現場埼玉県三郷市戸ヶ崎】
1988年11月25日20時半前後、アルバイト帰りの順子さんが拉致された。その現場は「埼玉県三郷市戸ヶ崎」。
私の地元であり、幼い頃から生活していた場所。私が小学生だったのは20年以上前にはなるが、その頃の拉致現場付近の公園には、普段から親子連れや子どもが沢山いた。
もちろん私も足を運んだことがあるが、悪い雰囲気など感じない場所であった。事件を報道している人たちからすると、拉致現場は薄暗く、危険な場所などと言われているが、地元民からするとそうは感じない。戸ヶ崎には薄暗い場所、真っ暗な場所は多く存在するからだ。
写真撮影場所は、戸ヶ崎の奥にある通称「7丁目」と呼ばれる場所。正確には戸ヶ崎に7丁目など存在しない。そんな「7丁目」に、私は住んでいた。
拉致現場近くの公園は、夜になると不良のたまり場にはなっていたが、周辺に住む人たちからすると当たり前の光景だったのではないかと思う。
1989年当時のニュースを見ると、35年前の拉致現場付近は確かに暗かった。事件が発生した理由は、地元民ならではの傲りからだろう。「綾瀬事件」をきっかけに、地元民の気が引き締まり注意深くなったことは間違いない。
※拉致現場の詳しい場所、写真には個人情報も含まれているため後半で紹介します。
そんな中で少し疑問に感じたことがある。犯行現場、遺棄現場は住所まで詳しく記載されているのにも関わらず、拉致現場についての情報があまりにも少なかった。拉致現場こそ公開し、注意喚起をした方がいいと思ったのだが、あまり公開されていないのも、被害者の実家が近いからだろう。
今回「綾瀬事件」を記事にするにあたり、現在の拉致現場に足を運んでみることにした。もちろん近所に迷惑にならないようにするのと、実家の特定などはしないことが条件だ。
【2024年現在の被害者拉致現場】
正直言うと、拉致現場になった道を一週間毎日通っていたこともある。仕事で通る場合もあれば、近道としても使用していた道でもあるのだ。
近くの水元公園もそうだが、現場付近にはとにかく公園が多い。地元の人間なら周辺全ての公園には行ったことがあるだろうと思う。
暗い時間帯最後に通ったのが2023年12月前半。率直な感想は「夜だと余計見通しが悪い」「道が狭い」「仕事帰りに抜け道として使用している人が多い」ということだ。今では夜でも車通りが多い印象を受けるし、悪いことなどをすればすぐにバレてしまうと思う。
ということで今回は「夜の現場の写真」そして「明るい間の写真」を撮影してきました。是非ご覧いただきたい。先ほども記述した通り個人情報なども含まれてくるため、ここからは有料記事としますが、後半では被害者の通っていた高校の担任の情報から、友人とのLINEの全画面、拉致現場へのマップなどを記載いたします。
【ここまでの感想】
ここまで読んで下さった方、誠にありがとうございます。今回ご紹介した「女子高生監禁コンクリート詰め殺人事件」については、調べれば調べるほど惨たらしい手口で殺害されたことが分かります。人間の所業ではありません。家の駐車場で白昼堂々、被害者をコンクリート詰めにしたり、100人にも及ぶ人が関与していたりと、とにかく絶望的な内容なのです。解剖した際の被害者の脳は、恐怖のあまり委縮していたほどだそう。(内容は伏せます)
当時のニュースでは、犯人である少年たちを、やけに庇うような違和感のある話し方でした。犯人たちではなく大人を責めたり、中学、綾瀬自体が悪いなどと言ったり、とにかくおかしなことばかりでした。こんな恐ろしいことを行う連中を庇う必要など、米粒ほどもないはずなのになぜ…
このような酷い内容は他の方が詳しく記載していますし、わざわざ私の記事で説明することもないかと思いますので、これ以上は控えさせていただきます。
被害に遭われた古田順子様と、そのご家族に心からお悔やみ申し上げます。
ではこの辺りで、事件についての概要は終了とさせて頂きます。
続きは有料記事になりますが、無料ではお伝えできなかったお話と写真、独自に撮影した拉致現場写真を公開致します。その他の記事でも事件や、裏話を公開していますのでぜひよろしくお願い致します。
【令和版、拉致現場の写真、マップを公開】
記事をご購入いただき、誠にありがとうございます。ここからは有料版となりますので、私の地元埼玉県三郷市戸ヶ崎についてや、拉致現場の写真、詳しいマップなども記載してゆきます。そして今後、どこかのタイミングで、古田順子さんの同級生だという、私の友人のお母さまにインタビューをさせてもらえる事になりました。卒業アルバムを拝見させて頂く約束をしたのと同時に、当時の空気感などを語って頂く予定です。今後の記事にも注目していて下さい。
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