いとうせいこうさんに音楽専門チャンネルのスペースシャワーTVを振り返ってもらった
1989年12月1日18時スペースシャワーTVは日本初の音楽専門チャンネルとして開局した。
放送局のスタートという華々しい出来事とは裏腹に、学園祭の初日のようにどこかパーソナルで、掴みどころがない高揚感に包まれた放送初日。スペシャ最初の番組の司会者として、いとうせいこうは、その「現場」の中心にいた。
音楽好きが集まる不思議な放送局の31年にわたるドタバタな1日目がこの日なんとなく始まった。
せいこうさんに改めて、その日のことや、開局当時のスペースシャワーTVのことを聞いてみた。
☆スペースシャワーTV開局当時のお話を今日は聞かせてください。
基本的に忘れてるよ、なんにも覚えてない(笑
☆徐々に思い出しながらお願いします! せいこうさんへ最初どんな依頼だったんですか?
シンボルじゃないけど、そういう立場になってくれっていうのは最初から言われていたと思う。
番組に出るとかいう話ではなくて、そういう人になってくれないかっていう。
☆せいこうさんをアイコンに?
したかったみたい。
俺もまだ20代後半で、ちょっと前から薄々「あれっ?何かやらされる」とは思ってたんだけど。
☆せいこうさんを当時のスペシャのスタッフがキャスティングしたのはどんな経緯からですか?
当時のスペシャは全員、関西人脈なんですよ。
だから何で東京のシンボルみたいになっていた俺を選ぶのかなと。
なんでかなって考えると、中島らもさんなのかな。
らもさんは関西で番組を持っていて、そこに学生だった俺が呼ばれて、撮ったものを勝手に流してた。それをスペシャの人たちが見ていた可能性はあるな。
普通なら大阪出身の人を選んでやりそうじゃない関西圏の人は。
スペシャの元って、実は関西の人たちなんだよね。
☆せいこうさんは、当時はどんな活動をされていたんですか?
ヒップホップは86、7年からやっていて、雑誌の編集者としても、面白い編集者っていう感じで、注目されてたとは思うんだよね。講談社はもうやめていたけどね。
☆その頃、テレビにも出られてましたよね?
そう言えば、思い出したけど、らもさんの番組のディレクターでよみうりテレビの中野さんって、後々、映画監督になる中野裕之さんね。
中野さんのことを学生の頃から知ってて、中野さんが大阪から東京に来たとき、学生の俺の部屋に泊まりに来たりとか普通にしたりしてた。
それでスペシャの偉い人が、中野さんとすごい昔からつるんでたのよ。
その関係もキャスティングに関係があるかもしれない。
いずれにしても、よく自分を抜擢したなっていうのが俺の印象だったよね。
☆フジテレビで1987年にやっていた「FM-TV」にはどう関わっていましたか?
俺は直接レギュラーではやってないと思うんだよね。
あれ(藤原)ヒロシがやってたでしょ。
その前の日テレで放送していた「ニッポンTV大学」っていうのは、やってたんですよ。
会社辞めてすぐにそのレギュラーが来て、サザン(オールスターズ)の関口知之さんと俺がメインで。
川勝(正幸)さんとか(渡辺)祐さんとか、えのきど(いちろう)さんとか、宮沢章夫さんがブレインでやっていた番組。
☆スペシャ開局時、外部スタッフのキャスティングは、せいこうさんですか?
俺がそのスペシャのシンボル的になってくれって、キャンペーンボーイみたいになってくれって言われた時に、俺からそのスタッフィングをしたのかもしんないんだよね、ひょっとしたら。
俺が川勝さんと祐さんを良く知ってるから、いてくれれば安心と。
これで音楽関係はもう絶対大丈夫と、いかにも自分が言いそう。
小泉今日子さんのラジオもFMでやってたけど、あれも最初俺に話が来て、毎週は行けないし、作家もちょっと面倒だったから、その時に川勝さんにお願いしたんですよ。
川勝さんで絶対やった方がいいっていう風に相手を説得して。
で、あとで川勝さんと小泉さんの間に太いパイプができて、そこからいろんなものが、生まれていくんだけど、そこも一つのスペシャ的なものの、衛星、サテライト的なものだよね。
スチャダラ(パー)が出てきたのも、その文化圏からだったから。
☆最初の頃、スペシャの構成作家に川勝正幸さんも入ってました?
祐さんは構成で入っていた。祐さんと川勝さんは同じ事務所だったからね。
そうなると、えのきどさんもそうか、みたいになってくる。
音楽がわからなかったら話になんないから日本のバンドも祐さん、川勝さんならよく見ていたしね。
まあ、当然のことながら彼らに白羽の矢が立つよね。俺の番組も最初は祐さんだったんじゃないかな。
☆最初、スペシャってどこにあったんですか?
最初は中目黒の田辺エージェンシーを少し行ったところね。
そのマンション1棟を借り切って、地下にスタジオ、編集室も作って、オフィスを上の階にしてさ。
あんなことやる会社はどこにもなかったから、びっくりしたよ。
いくらバブルの時代だとは言え、やり方がすっごく面白かった。
垢抜けていて、ちょっと海外みたいだったね。
「とにかく場所を作ったんで、そっからやりますんで、来てください」って感じね。
☆スペシャのその場所に行くようになっていかがでしたか?
最初のオンエアも、そこから俺がやってるわけじゃん。
生放送してるわけで、行った時の俺の驚きったらないもんね。
だからホント梁山泊っていうか、砦ができた感じなんだよ。
好きなことやっていいんだっていう安心感っていうか、みんなが味方みたいな感じは激しくあって。
ビルの中に偉い人もADもみんな一緒にいるから。
普通のテレビ局だとさ、本当に偉い社長なんかと廊下で会うわけないじゃない。
でも偉い人とかがすぐそこらにいるし。その感じがすごく新しかったよね。
☆最初から放送は手応えがありましたか?
最初のオンエアでも言ってたと思うけど、本当に誰が見てるか手応えは全くなかったよ。
びっくりするほど手応えがない(笑
わかんないもんね、数字も見えないし。
数字を取る気もあったのか、無かったのかわかんないし。
これは広げていくしかないと思ったね。一人から二人、二人から三人って広げていくしかないんだって。すごくリアルな背水の陣でやっていたから、こっちは視聴者が見てるとも思ってないよね。
自分たちがとりあえず面白いと思えるものにしようっていう気持ちでやってんだよね。
☆せいこうさん、他のチャンネルとかご覧になってましたか?
スペシャですら見てないよ。だから俺は他の人の番組も見てないですよ。
なぜなら簡単には見られなかったから。俺は契約してないと思う。
そこで一緒に、ちわき(まゆみ)さんとやったり番組やったりしているから自分は何かやってんだな、とか。
そのうち、(藤原)ヒロシもやってんだな、っていうのはスペシャがあったビルの中で会うからだよね。
そういう始まりだし、少なくとも役員レベルの人たちは当然オンエアをチェックしてただろうけど。
番組をチェックしている出演者なんて一人もいなかったと思うよ。
分かんないんだもん、どうやったら見れるか(笑
☆当時のスペシャの番組は台本とかありました?
多分、あったとは思うけど、大まかな枠ぐらいの箱書ね。俺は見た覚えはない。
そもそも俺は見てやらないから。
当時は何やってもいい、みたいな雰囲気だったから。
自分が好きな話を聞くべきだなと感じた人を呼んで、それで延々喋ってるって言うだけの話だしさ。
☆せいこうさんの番組に作家さんはいたんですよね?
「ゲバゲバQ」は確か祐さんだったかな。
それはもちろんネタの台本がないとクイズ番組だから進行して行かないけど、その時でも、まあ大まかに「クイズ出して正解ならピンポンします」くらいのことしか決まってなかった可能性はあるよね。
だからすごく楽しかったし、好きにやれたよね。
☆技術スタッフとかどうでした?
テレビはテレビカメラマンとスイッチャーが大事なわけですよね。
その技術さんを誰がどうやってスペシャに連れて来ていたのかは分からない。
ただ当時最初からテレビをわかった人がいた。
☆いまどんどん少なくなってきましたね。
インターネットになった時に俺が「あれっ?」と思ったのは、テレビの今まで何十年も積み重ねてきたスイッチングの技術とか、ここはツーショットで撮ってとか、その後にグループで撮ってみたいなことがYouTubeにはなかったわけ。
YouTubeを見る人達にだんだん浸透してむしろそっちの撮り方がいい、みたいになってきているわけだけど、いま起きているのは、撮り方の戦いなんですよ、実は。
☆スペシャは最初からテレビの技術が生かされていたんですね。
何か良いこと言った時は、その人にスッとカメラがいく感じはストレスがなかった、それが良かった。
それを積み重ねたことがすごく良かったし、素人のディレクターの若い子達がいっぱい入ってきて、その撮像技術を見て、テレビの文法を覚えていくわけだよね。
だから、いい混ざり具合だったんだと思うよ。
☆案外ちゃんとしているし、新しい感性もあったってことですね。
ミュージシャンや各事務所も、それで安心したんじゃないかと思う。
これならスペシャに出してもいいなと、安っぽくないなと。
インディーズな感じがすごいあるんだけれども、絵としては一応成立してると。
照明の数はすごく足りないから、いつも、うす暗かった印象はあるけど、でもまあ悪くはないなっていうか。いかにもチープだなって感じじゃなく撮ることを気にしてたんじゃないかな。
☆スペシャって地上波だとまず出ないような人とか多く出ていましたよね?
それはもう驚くようなバンドが出てた。でも最初は全然スペシャの名前が売れてなくてね。
だから俺をそういうシンボルみたいにしようとしたのは人脈も欲しかったのかもしれないね。
☆せいこうさんの番組なら出てもいいって多分ありますよね。実際、意外な人たちが出ていましたね。
近田春夫さんが出てきて3時間ぐらい喋るとかいうようなことって、あまり地上波ではなかったね。
そのうちにだんだんスペシャが信頼されるようになってきて。
俺は「梁山泊」っていうクイズ番組をやって、それからその後もクイズ番組をいくつかやってくんだけど。やってくうちにむしろ大物が出たいとか、あのクイズ俺もやりたいとか戦いたいという人たちが増えてきてさ、例えばあのSADS清春とか普通では絶対テレビに出るわけないのに、クイズがしたいから俺の番組には出てきてくれて、真剣にクイズやるから面白かったよね。
☆番組に出たいと言われるようになるまでどれくらいかかりましたか?
そういうことが起きてきたのが10年ぐらいしてからじゃない。
ようやく、番組に出ていいよっていう風になってくれてね。
俺のその梁山泊の次の番組だったかな。クイズでグランドチャンピオン大会やろうって言って、それまでチャンピオンになった人に声をかけたら、ほぼ全員出るって言い出しちゃったよね。
しょうがないからスタジオアルタの客席側にミュージシャン達を入れて、そこからどんどんどんどん舞台に出てくるって言う。
普通のフェスの3倍ぐらい凄いバンドがいるって言う異常な状況ですよ。
その時は、スチャダラと(高木)完ちゃん組が優勝したのはよく覚えてるわ。
☆後にあのフジテレビでそっくりなクイズ番組が登場しましたね。
Qって格好まで同じなんだから。
☆確かにせいこうさんがスペシャでやってきた事が世間に広がっていくイメージはありました。
それ以上にリサ・ステッグマイヤーさんとか、当時の新しい人たちが実はスペシャから出てるわけじゃん。
それをいつも俺はスペシャの偉い人達に言ってたんだよ。
なんで「ウチから出た」って事をもう少し言わないのって。
なんというか欲がないんだよね(笑
☆割と有名な方も、新人だった頃に出てますよね。
スペシャにはびっくりするような人が結構アシスタントで出てるよ。
経歴から消してる人もいる(笑
☆特に覚えいてる人とかいますか?
サトエリ(佐藤江梨子)、乙葉は自分と出てたし、エリコはよくなついててうちに来たりしてた。
最初は俺の番組のアシスタントで箸にも棒にもかからない状態で来て、スタッフからカンペの読み方から何から教えてもらってた。
だから今もどんどんディレクターがこの人光ってるなと思う人を、小さいコーナーでもいいから使っとけって話なんだよね。
スペシャって、そもそもそういうところ。
このバトンを途切らせないで欲しいね。
後からどっか行っちゃって、ブレイクしていなくなっても構わないから、まず新しい人を見つけることがスペシャのアイデンティティーだから。
ユースケ・サンタマリアもスペシャ愛すごいから。
「夕陽のドラゴン」から出てきた人間だって自分のこと思ってるから、ちゃんと。
☆なぜスペシャに出演すると個性が開くんですかね?
それはやっぱりファミリー感あるからじゃない。
スタッフともファミリー感があるし、嫌だったら平気で嫌って言える。
こういう事してみたら面白いんじゃないって余計なこと言ってくる奴もいるけど、それが別に嫌じゃないもんね、スペシャは。
みんなやっぱり良かれと思って、面白いと思うことをやっているだけだから。
それで結果的に自分のいいところが出るんじゃない。
出る方もそれを出そうともするし。
☆そこも地上波との違いですかね。
例えば地上波だとプロデューサーとかディレクターが考えたイメージにはめ込んで、タレントになんかやらせようとする場合があるけど、スペシャは放っておく。
例えば「佐藤江梨子、カンペの漢字も読めねーのかよ!」みたいなところから始まるけど、「漢字も読めねーのかよ」ってオンエアで平気で俺も言うし、「えへへ」、みたいなとこが可愛いし、「じゃあ平仮名でいいか、ルビふればいいか」みたいに進んでいくわけ。
みんながみんな蹴落とす感じが一個もないわけよね。
で、それはタレントも、ADの子に対する態度とディレクターに対する態度も別に違わない。
それはね、スペシャのすごく良いとこなんだよね。
☆だから自然とキャラが出てくるんですよね。
これは「スペ中」も同じことだけど、全員が凸凹。
普通のバラエティ番組だったら、ちょっとどうなのってやつらもいるわけじゃん。
でもその凸凹をとにかく俺も生かそうとするし、スタッフも差別なくそいつが面白ければいいように作ってくじゃん。
だからそいつらのキャラが立って人気が出てって、番組自体が大きくなっていくっていう、すごい理想的な形があるんだよねスペシャには。
今は知りませんけどね。
☆スペースシャワーがアーティストに信頼されるようになった理由って他に何がありますか?
今月のプッシュみたいのあるじゃない?パワープッシュ。
俺は本当の事情は知らないよ、知らないけど、レコード会社から「イチオシです」って言われて。
「はいはい、それでやるからいいでしょ」みたいな感じは一個もなかったよね。
☆ちゃんと選んでる?
誰かが好きなんだろうなって。
音楽に関しては妥協がなかったんだよ。好き者たちがみんな集まって、良い音楽でやったらいいじゃんっていう。
それはスペシャの核になってる部分じゃない?
それにピンと来るからバンドはスペシャに出てくるよ。「あっ、わかってんな」って。
俺はいつも「今月のパワープッシュ」を楽屋で見てチェックはしてたんだ。
それで俺、口口口とかも知ったんだから「この音いいなぁ」と。
「誰これ? クチロロって読むの? 今度クイズ呼ぼうよ」みたいな感じ。
日華(ニッカ)もそう。
今は起業家になってるけど、広東語と北京語と英語と日本語でラップできるやつ。他では見なかったけど、パワープッシュでバンバンやってって、すぐに日華と仲良くなってね。
そういうことはすごくデカかったよ。
☆地上波にないとこはそこですよね。
ちゃんと音楽が好きな人達が音楽を伝えてた。
地上波はバラエティをやってきた人に、音楽の企画をやらせてる。『関ジャム』とかはそうやっている。それで音楽がわかるスタッフをちゃんと呼んできて面白くしている、すごくマニアックにしてるけど。
あれは本来スペシャでやるべき番組。やられちゃったわけよ、残念だよ。
☆スペシャの場合、音楽好きはスタッフだけじゃないですもんね。
その時の上層部がちゃんと音楽が好きっていうことがすごいでかい。
(前)会長とか音楽大好きだからね。会長がそういう人だから。
「そんなダサいものを何でパワープッシュしてんだ」って絶対言うじゃん。
絶対あの人いうよ。
普通の企業はそんな上層部に、いまだに新曲を聴いているような人なんか一人もいないよ。
そこはものすごくスペシャの強みなんだけどね。
下で働いている人達は上層部のこと知らないからそこもったいないのよ、これ。
☆中目黒時代の雰囲気はいかがでしたか?
そんなに楽屋も広くないから、バンドを二つぐらい呼んじゃったら、居場所がない。
それで俺は上の方のみんながワイワイいるワンフロアで、みんなが仕事をしてるとことかも平気で行ってそこで座ってたりするわけよ。
営業とかもいるわけじゃん、向こうも俺を見て、「こういうところに来てくれるんだ」って思うわけ。連中も俺を見て、俺を信頼するし、俺はしっかり番組売ってくれよっていう気持ちにもなる。それはもう中小企業の良さよ、それは家族だよ。
営業の人の中にも音楽好きな人がいっぱいいたよね。
☆独特な雰囲気だったんでしょうね。
なんかすごく早い状態のIT企業みたいな感じだったじゃないかな。
規模が小さかったけど。
髪の毛赤く染めているやつが、ネクタイ締めているやつの横にいるのが普通みたいな。
☆今のスペシャってどうですか?
今すごくいいのは、女性陣がものすごくいいじゃん。プロデューサー陣に女性たちがなって、すごくいろんなことを決めていて、「女性進出」とか言わなくても、そこに普通にいるみたいな。
彼女たちがちゃんと番組についてみんなと喧嘩したりしてるっていう状態が、僕はすごくいいなと思ってる。
他の企業でちょっとないかな。大事に僕はしたほうがいいと思う。
☆スペシャに対して何かありますか?
自社制作をあまりしなくなっちゃってるっていう感じは長くあるかな、見てて。
常にチャレンジ精神で新しい発想の番組や配信ができるはずだから期待してます。
俺はね、例えばユースケなんかもそういうたちだけどスペシャに呼ばれるんだったら条件が悪くても別に行くけどっていう気持ちはあるよ常に。
だからこれからも、ずっと楽しい会社でいて欲しい。
☆最後はせいこうさんからスペースシャワーに期待するコメントを頂きました。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
せいこうさんありがとうございました!!
インタビュアー / 天明晃太郎