究極の健康法『アーシング』ウソかどうか検証してみました。【後編】
前回はアーシングの効果や、そのデータについてみていきました。
前回の記事はコチラ
今回は、いよいよアーシングのやり方をご紹介!
アースのやり方
前回足裏のアースを例にとって説明しましたが、それでは、アーシングは足裏でしかできないのかというと、そうではありません。
ここで大事になるのが、どれだけ電気を通しやすいか、という「交流伝導率」という考え方。
足裏はあくまで、人体の中でも交流伝導率がいい部位の一つだと理解してください。
そしたら「アースする」って、具体的にはどうすればいいんでしょう?
もしかしたら準備とか、大変なんじゃないの!?
いえいえ、実は全然難しいことではありません。
アーシングって何かというと、要は俗にいう、「自然を感じること」なんです。
散歩しながら花鳥風月を感じたり、日光浴をしたり、森林浴をしたり、海水浴をしたり、森の澄んだ空気を吸ったり、川のせせらぎを聞いたり、海で泳いだり、空を見上げたり……
そうしていると体が軽くなって、なんとなく元気になった経験は、誰しもあるのではないでしょうか?
自然は常に、人間には到底理解しきれない、ものすごい秩序のもとで触覚静電気を交流し合っています。
つまりは、「テレパシー」し合うことで形成されているんです。
そして人間も自然の一部であるということは、紛れもない事実です。
現代ではテクノロジーが発達して、私たちはなんとなく脳科学や知識が自然よりも上だ勘違いをしてしまいます。
けれどその体は本当は、自然の秩序に従うようにできているんです。
だからこそ、アースして自然と触れ合うことで、体に流れる過剰になったり滞ったりした触覚静電気が調節されて、結果的に体が元気になるんですね。
いや〜、やっぱり自然ってすごいですね。
Let's アーシング
ここまで、アースの重要性について説いてきました。
この現代都市における私たちの生活は、アスファルトで硬く塗り固められた街を歩き、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗らないといけない毎日。
こうした現代社会での過酷な環境において、アースすることがすごく効果的なのは事実です。
けれど、だからといって、
「自然の多い田舎生活を送ろう!」
「原始的な生活が最高!」
「ナチュラリスト、いぇーいッッ!」
とか、そんなことを言いたいわけではありません。
そこにハマり過ぎると、大事な視点が一つ欠けてしまうんです……
サーファーの波乗り自然堪能ライフが最高なのか?
ちなみに、筆者がこの記事を書いてる場所は、神奈川県の湘南です。
湘南といえばご存知、サーフィンの聖地。
夏になると、街で当たり前のように上半身裸のサーファーたちに出くわしますし、休日ともなれば海はサーファーだらけです。
彼らは毎日のように海に入り、颯爽と肌で風を感じながらチャリンコをこいでいます。
これまで語ってきたことから考えると、彼らサーファー達はまさに、アースしまくりの理想的な健康ライフを送っているはずですよね?
じゃあ、彼らの生活こそが至高なのかというと、ホントにそうなの?と問いたいのです。
なぜかというと、実はそこにこそ彼ら「自然大好きナチュラリスト」の人たちが陥りやすい、一つの罠があるからなんです。
それが実は「自然」という言葉。
「自然」と聞いた時、僕たちがイメージするのはきっと海や山の風景であって、そこに「人」を思い浮かべる人は、あまりいないと思います。
けれどだからと言って、人間が自然と分離しているかというと、そうじゃありませんよね。
先程も話したように、人間も紛れもなく、自然の一部なのは事実です。
究極のアースは人体アース!?
ここまで話すと、もう気づいた方もいるかもしれませんね。
そう、人体の触覚静電気の交流伝導率が最も高いのは、何を隠そう、「対人体」なんです。
言われたら当たり前のようですが、これがものすごく大切なことなんです。
例えばよくある話題で、無人島に何か、一つだけ持って行けるとしたら?
みなさんは何と答えますか?
マッチ?
サバイバルナイフ?
それとも思い出の写真?
いろいろ選択肢があると思うけど、僕だったら迷わず「人」って答えますね。
人一択。
どんな嫌な奴でもいいから、絶対に人がいいです。
だって自分一人だけだと、たとえどんなにいいものを持って行って、アースして電気を交流させまくったところで、生きる意味がわからずに虚無って終わるのがオチです笑
やっぱり、人ありきですよ。
人体に触れて触れられることで、人体部位の中で余剰に溜った静電気や、逆に漏電している静電気が調節されてスッキリします。
その効果は、自然の中でまったりくつろぐ事と比べても歴然です。
人体アースこそが、いわば究極のアースであるとも言えるんです。
そして、さきほど足裏を例に出したのをもう少し補足しますと、「足」というのは「入力」のシンボル。
木の根っこのように、いろんな情報を吸い上げているのがこの足裏なんですね。
かたやその対としての「手」は、「出力」のシンボル。
出力を端的にいうと、「人に触れる」ということ。
なんか怪しい風に聞こえちゃうかもですけど、みなさん、人間の皮膚って、なんでこんなにも柔らかいんでしょう?
普通に考えたら、進化の過程で皮膚も爬虫類の鱗(ウロコ)のように、硬いほうが合理的だと思いませんか?
そう、人間の肌が柔らかいのは、実は「人に触れるため」なんだと思うんですよ。
皮膚による触覚でのコミュニケーションは、言葉でするコミュニケーションよりも圧倒的に情報量が多く複雑です。
対人体の触覚静電気の交流、それが究極のコミュニケーションというわけなんです。
まとめ
最後に、この記事で何が一番伝えたかったかというと、
「自然<<<<<<人」
ということ。
まあ人間も自然の一部なので、この表現はナンセンスかもしれませんが笑
アースは確かに効果的です。
けれど、アース、アースと自然に傾き過ぎては、目的と手段が逆になっていませんか?
そう、綺麗な自然の景色は素晴らしいけど、もっと重要なのは、「誰と一緒にその景色を見るか」ということ。
さぁ、人の美しさに向かって、人体賛美の学びに向かいませんか?
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