風船を拾ってくれた女の子と10年間文通し、25年後に再会した話【体験談】
【はじめに(サマリ)】
ねとらぼで「#私だけかもしれないレア体験」というのがやっているからnote書いてみたら?と知人に紹介されたのでそのエピソードを書きます。
僕が自分の体験をレアだと思ったポイントは以下です。
・風船が関東から関西まで飛んだこと
・拾ってくれたのが歳が近い異性だったこと
・その子が子供新聞で僕を探してくれたこと
・子供新聞を購読していたクラスメイトが僕だと気づいて教えてくれたこと
・10年間文通を継続していたこと
・25年ぶりに再会できたこと
【文通のきっかけ】
あれは僕が小学校5年生の時だ。子供会の記念行事だっただろうか。風船に短冊をつけて飛ばすイベントがあった。僕はこんな風船、どうせ学区内にしか飛ばないだろうと思ったので小学校名も書かず、「拾ったら連絡ください、5年1組〇〇(氏名)」と短冊に書いて飛ばした。
案の定、その日から2〜3日のうちに友達の風船が近所に落ちているのがちらほら発見されるようになった。自分の風船もきっと同じように近くに落ちて、誰にも発見されないでいるのだろうと思ったが、すぐにそんなことは忘れてしまっていた。
それからしばらくして、同じクラスの友達が子ども新聞の切り抜きを持って僕のところにやってきた。
「これお前じゃね?」
記事に載っていたのはボロボロになっていたが僕が書いた短冊だった。奈良県の小学4年生の女の子が近所で拾って落とし主を探しているという投稿だ。
「ウソでしょ?」
僕は信じられなかった。何故なら僕が当時住んでいた場所は茨城県、そこから奈良県まで風船が飛ぶものか。
とにかく拾った風船を郵送してもらい、自分の目で確かめたくなったので早速その子に手紙を書いた。
数日後、その子から手紙た届いた。同封されていた風船と短冊はボロボロになっていたがまさしく僕が飛ばしたものだった。この風船は僕の記念にもらっておきたくて手紙を書いたのだが、同封されていた手紙にはこう書いてあった。
「お手紙ありがとう。こんなに早くお返事が来ると思ってなかったのでびっくりしました。でももっとびっくりしたのはその風船が茨城県から飛んできたからです。社会科で関東地方にあるというのは知っていましたが、もう一度地図帳で調べてみました。本当に遠いですね。あの赤い風船がよくここまで飛んできたな、と嬉しくなりました。」
「次に私のことを書きます。私は奈良県●●小学校の4年生です。ドッチボールと推理小説が好きです。」
「(中略)もし良かったら私と文通しませんか?拾った風船をお返しします。でも記念に残しておきたいのでもらえませんか?」
奈良県まで飛んだ風船を僕の記念に残そうと思ったが、拾った相手も記念にしたいということだった。何より「私と文通しませんか?」という一文にテンションが上がったのは言うまでもない。
風船を手元に残しておきたかったけれども、「文通」という未知の体験に対する興味のほうが上回り、僕も自己紹介を添えて風船を返信した。
【クラスで文通ブームが起きる】
僕が文通を始めたことは、子ども新聞を持ってきてくれた友達にも伝えた。そうするとクラスでは文通ブームが起こった。当時は新聞や雑誌に「文通しませんか?」のコーナーがあり、そこにある自己紹介を見て気になる人に手紙を書くというのが一般的だった。
しかしどうだろう。小学校5年生の男子が小まめに手紙を書き、毎回相手の興味を引いて返信をもらうことがどれほど難しいことか。雑誌の文通コーナーを介して文通を始めたクラスメイトは次々と便りが途絶えてしまい、そのうち文通ブームも去っていった。
僕もそうだった。普通の小学生が毎回そんなにすごいエピソードを書けるわけではないし、すぐにネタは尽きてしまった。
しかし文通相手からの手紙の書き出しはいつもこのように書いてあった。
「お手紙ありがとう。毎日手紙が届いてないかなぁ、とポストをのぞいていました。そして月曜日に届いた時は嬉しくて飛び上がってしまいました」
「お手紙ありがとう。毎日ポストをのぞいて手紙が来ていないとその辺に落ちてないか探したりしていました。そして手紙が来たときはとても嬉しかったです」
そんなに喜んでくれるなら、と一生懸命返事を書き続けた。
【実際に会うことに】
僕が中学校に上がり、手紙の頻度は落ちたものの文通は継続していた。彼女は私立中学の受験があり、しばらくは受験勉強の大変さが毎回書かれていた気がする。
しかし無事に志望校に合格を果たすと、季節ごとの家族旅行を楽しむ内容が書かれていて、充実した生活を送っているのだな、と思った。
そんなある日、「会いませんか?」という内容の手紙が届いた。
彼女のお母さんが好きな画家が都内で展覧会を開催するのでそれについていくという。でも展覧会を見るのではなくお母さんが展覧会を見ている間に東京を案内して欲しいというものだった。
当時は携帯電話もないため、入念に「何時、何駅、何改札」と確認しなければならなくて、会えなかったらどうしようという不安しかなかった。もちろん、東京出身の僕の母に頼んで向こうのお母さんと電話で話してもらい入念に調整はしたつもりだ。
ただでさえ、田舎の中学生が一人で特急に乗って都内に出るのはドキドキなのに無事に会えるのだろうか。当日、不安なまま約束の改札で待っていると時間通りに母子がやってきて、割とすんなり会えたのを覚えている。
「じゃぁ、あとはよろしくね」
と彼女を僕に託すとお母さんはスタスタと美術館へ向かってしまった。
僕「は、はじめまして」
彼女「はじめまして」
2〜3言は交わしたと思うが何を話せば良いのかわからないので会話が続かない。
ほぼ無言のまま僕らは原宿へ向かい竹下通りを歩き、カフェに入って時間を潰したような気がする。
【最後に会ったのは25年も前】
僕から積極的に会うことはなかった。何故なら僕は彼女に対してずっと劣等感を抱いていたからだ。
季節ごとに飛行機で国内・海外を旅行してその楽しそうな情景を手紙にしてくれる彼女に対して、僕は19歳まで飛行機すら乗ったことがなかったし彼女を喜ばせるような対等な経験もなかった。今風に言えば「高嶺の花子さん」だったのかも知れない。
やがて彼女も20歳を迎え、成人式の振袖の写真が送られてきた。
「翌月のバリ島旅行は治安悪化のためにキャンセルした。代わりの旅行先を探しているけど、1つでも多くの世界遺産を見に行きたい。」という手紙が添えてあった。
僕も一度だけ海外に行ったことがあった。それは学生親善大使という姉妹都市提携プログラムに合格して航空券は公費、滞在はボランティアのホームステイだったから殆ど費用もかからず行けたようなもので、毎年私費で海外旅行に行けるなんて、ますます引け目を感じた。。。
25年前に僕がたまたま大阪に行ったとき、彼女が会いにきてくれたのを最後に、年に1度、年賀状を交換するだけの関係になってしまった。
なってしまったというよりは僕が望んだのかも知れない。なぜなら「花子さん」と文通を続けるよりも社交辞令的に年賀状でも交換するくらいが僕にとっては気楽だったのだ。
【2023年、再会のとき】
それからというもの、彼女は旅先から手紙を送ってくれることはあったが、僕は文通らしい返事はしなくなった。
彼女は実家の仕事を手伝い、やがて結婚して京都へ転居をしたというのは年賀状のやり取からわかっていた。
つい先日のことだ。
僕が京都に行く用事ができた。予約の取りずらいミシュランのお店に1名の空きが出て、行けることになったのだ。
これはチャンスとばかりに、この3年ほど年賀状の返事をしていなかったが失礼なことも承知で手紙を書いた。
ここ最近年賀状の返信が滞っていた理由も含めて僕の近況を記し「ご都合が合えば会うことはできますでしょうか?」という内容を送った。
さすがに、ここ最近年賀状の返事すらしていないのに、25年ぶりに会おうだなんて気持ち悪いよな、って手紙を送ってから少し後悔した。
「しまった。。。最後に気持ち悪い印象を残して終わるなんて。。。」とクヨクヨしていたが2日後にSMSに返信があった。
「お誘いありがとうございます。嬉しいです。出やすい場所まで向かいます。」
僕はそのSMSを見てホッと胸を撫で下ろした。
そして当日、予定よりも早くついてしまい、ファーストフード店で時間を潰していた。約束の時間になると彼女から「駅につきました」とメッセージが届いた。
ファーストフード店で25年ぶりに再会したが、お互い迷うことなく気づいた。近くにあるミュージアムカフェへ場所を移動する最中の会話すら続くものかと不安だったが、結婚し男の子を育てている彼女はとても気さくに自分のことを話してくれた。原宿のカフェで黙り込んでいたあの時とは違う。
ミュージアムカフェに入りお互いコートを脱ぐ。細身の人にしか似合わない装飾のついた青いニット。相変わらず上品なコーディネイトだ。
僕は改めて最近年賀状の返信ができていなかったことについて謝罪したが彼女はそれは意に介していないようであった。
お互いの家庭や仕事について楽しく話したが、やっぱり彼女は「高嶺の花子さん」のままだった。彼女がずっと、いい人生を送っていることが知れたのは良かったし、僕はもう一度「花子さん」に会えて満足だった。
夕方になり、彼女は子供のお迎えがあるとのことで駅まで送って行った。もちろん次に会う約束などはせずに。
住む場所も、家庭環境も異なる2人が、たった1つの風船をきっかけに35年もつながっているというのはレアな体験ではないだろうか。
ありがとう。「花子さん」。
長文を読んでいただきありがとうございました。
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