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意味のあるものだけをやればいいのか?

最近思うことがある。
それは

「意味のあることだけをやってればいいのか?」
「無駄を切りまくった世界に何があるんだろう」

ということだ。

もちろん、無駄なことはしないほうがお金も浮くし、時間も節約できるだろう。一般的に無駄を減らすことはポジティブな言葉だと思う。

でも、例えば
「自然科学なんてお金にならない。実社会に何も貢献しない。」
と言われた時、私は怒るでもなく、反論するでもなく、なんか虚しいなと感じる。

古い昔から、人間は夜空を見上げ輝く星を魅了され、知恵を学び、文明を気づいてきた。
そこには自然科学への畏怖の念と実社会の応用があったと思う。

でも、今はどうだろうか?
確かに研究機関はあるし、そこで研究する人たちはいる。でも彼らはどこか一般社会の人から切り離された存在として扱われている気がする。

自然科学への興味と畏敬の念が薄れているのは間違いない。

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話は変わるがこんなこともあった。
ある日花束を買おうと、雰囲気の良さそうなお花屋さんをスマホで調べて行った。

すごく雰囲気もいいし、フラワーアレンジメントもきれいだ。

無事、花を選び終えて、花束を作ってもらってる時に店員さんと談笑していた。その時店員さんが言った。

「花は別に絶対必要なものじゃないんで、コロナ禍の今の状況だと真っ先に切られるんですよ〜」

そうだよなと思いつつ、虚しいなとも思いつつ、でも自分も買い手ならそうするよなと複雑な思いになった。

無駄ってなんだろう。意味のあることってなんだろ。

お金だろうか?
お金が稼げることが意味のあることだろうか?

実績や名声だろうか?

わからない。
少なくともそれは人によって感じ方が違うものだから、大抵の場合、大多数の意見によってトレンドが出来上がる。

難しい。
本当に無駄を許容できない世界になるのだろうか。

そんなことを考えていたら、ふと一つの番組が思い浮かんだ。
JAMSTEC(海洋研究開発機構)の「しんかい6500」を題材にしたプロフェッショナルである。

この番組は夜たまたまつけた時にやっていたので、なんとなくボーとみていた。

しんかい6500はその名の通り深海6500mまで潜ることのできる有人潜水艦である。
その性能は世界でも有数で、多種にわたる新種の生物の発見、太平洋プレートの亀裂発見、海底におけるマンガンノジュールの発見など、数多くの発見により世界を驚かせてきた有人潜水艦である。

しかし、この潜水艦は制作コスト(125億)、運用コスト(5億/年)ともに無人潜水艦に比べて大幅に高い。
有人船ということもあり、安全面に注意しなければならないためだ。

このコストの面で、今後存続できるかわからない状態でもある。
実際、番組に出演していた大学生からも研究目的であれば有人潜水艦はいらないという声もあった。

私も番組を見ている時は、その意見に賛成だった。
維持コストに莫大な費用がかかるなら、その分研究学生へ回すなり、無人潜水艦に割くのが効率的だろう。

でも、費用がかかるからと言って今後無人だけにしたらどうなるだろうか?

私たちは海の下を直接見ることはなくなる。
無人船の調査によって知った気になるかもしれないけど、それでは本当の意味で知ったとこにはならないのではないか?
やはり目で直接見て感じること、「すごい、面白い」と思うこと、それがなければどんどん興味は薄れてしまうと思う。

何もこれは、海や自然科学だけの話だけではない。
仕事だってそうだ。

効率化を目指して、AIにやらせよう。

素晴らしい試みだ。
でも、効率化した先に私たちは何がやりたいのだろうか?
究極を言うと仕事しなくて良くなる。そしたら私たちは何をやるだろうか?

私は自然科学を思う存分学びたい。世界中を旅したい。

これらは、今現在だと「無駄だ。やって何になる」といわれるようなことだ。

でも、無駄を省いた先に待っているのは意外にも、現代で定義されている"無駄"なのかもしれない。
そうなればもう、無駄は無駄じゃなくなるのではないかと堂々巡りしながら考えている。

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ヒトカゲ@理学研究者の卵
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