#08 そうだ、やっぱり宇宙で歯は抜けないよ(中編)
※刺激の強い画像が含まれます。お食事中の方や、苦手な方はご注意ください。
Introduction
抜歯したあと、傷口はどのようにして治っていくのでしょうか。
歯を抜いた後は、当然そこにその歯があった穴が開きます。
そこは抜歯窩(ばっしか)と呼ばれますが、抜歯窩の中はまず血液で満たされて、ゼリー状のかたまりになります。
その血のかたまりを血餅(けっぺい)と呼びます。
いわゆる「かさぶた」というやつです。
その血餅が抜歯窩の治癒に重要な役割を果たします。
抜歯後2日目頃から血餅の中に毛細血管と線維芽細胞が増殖し始め、
抜歯後7日目頃から抜歯窩内で新しい骨が形成され始め、
30日目頃には抜歯窩は骨で埋められるようになります。
また、周りの歯茎は抜歯後から数日で増殖をはじめ、20日目過ぎたころには抜歯窩を覆うようになります。
このようにして、抜歯窩は治癒していきますが、抜歯窩の中の骨が周りの骨とほとんど変わらない構造になるまで3-5カ月かかります。
たまに抜歯後感染を起こしてしまったり、血餅が取れたりすると治りが悪くなったりしますが基本的には追加で処置をしたり抗菌薬を出してあげることでリカバーできます。
しかし、2003年ごろから、ある薬を使われている方に口腔内や顔面に異変が報告されるようになりました。
その薬を使っている方が抜歯したり、入れ歯が当たって歯茎に傷ができた後、口の中で骨が露出して治らなかったり、口の中の傷が治らないまま顔の表面が腫れたり、ほっぺたから膿がでてきたりした、というのです。
調べてみると、骨粗鬆症の治療薬などの「骨吸収を抑制する薬剤」を使用されている方にこの症状がでていることがわかりました。
やがてこの症状は
「骨吸収薬関連顎骨壊死」
英語ではAnti-resorptive agent-related Osteonecrosis of the Jawとなるので,
“ARONJ”(アロンジェイ)
とよばれるようになりました。
ARONJ
ARONJのおもな症状としては、
「歯ぐきやあごが腫れてきた、痛い」
「下くちびるがしびれた感じがする」
「歯ぐきに白色あるいは灰色の硬いものが出てきた」
「抜歯後の治りが良くない」
「歯がぐらついてきて、自然に抜けた」
などが挙げられます。
抜歯部の顎骨が肉芽組織で覆われずに口腔内に露出したまま(ドライソケット)になり、壊死に陥った骨は腐骨となり膿がたまります。
膿は口の中に出てきたり、顔の皮膚を突き破って顔の外に出てくることもあります。
このARONJという病気は一般的に難治性と言われています。
治療法としては、
抗生物質を長期間服用してもらったり、
腐骨の部分をこまめに洗浄し清潔を保ち治癒を待つ
などの保存的な治療が一般的で、骨壊死の範囲が大きい場合はアゴ自体を切断しなくてはならないこともあります。
とても恐ろしい症状です。
ARONJを引き起こす薬
この病気の存在が分かってから、歯科医師は簡単に歯を抜かなくなりました。
患者さんの骨粗鬆症の既往の有無や、骨関係のがんなどにかかっていないか、ということに敏感になったのです。
口腔外科には、骨粗鬆症関連の患者さんが多く来院されます。
一般の歯科医院から骨粗鬆症の方の抜歯を依頼されることもあれば、今後骨粗鬆症の薬剤を使用予定なのでその前に口腔内のチェック、もしくは必要であれば抜歯をお願いします、といった依頼を医師の先生から頂くこともあります。
具体的に症状を起こしうる「骨吸収を抑制する薬剤」とはおもに
ビスフォスフォネート製剤(以下BP製剤と呼びます)
(商品名:フォサマック,アクトネル,ベネット,リカルボン,ボノテオ,ボンビバ,リクラストなど)
デノスマブ(商品名:プラリアなど)
の2製剤です。
同じ骨粗鬆症の薬剤でも、
ビタミンD製剤(商品名:アルファロール,エディロールなど)
エストロゲン製剤(商品名:エビスタなど)
テリパラチド(PTH製剤、商品名:テリボン・フォルテオ)
は使用してもARONJは起こりません。
これらの薬剤を使用中にもしに顎骨に壊死が生じても,それは薬剤関連性顎骨壊死とは呼ばないということです。
BP製剤を服用 = 顎骨壊死??
じゃあBP製剤を一回でも使った状態で抜歯してしまうと、必ずARONJになってしまうのでしょうか。
そうではありません。
BP製剤などを服用して抜歯などをしても必ず顎骨壊死を発症する訳ではありません。
いくつかの報告があるのですが、飲み薬でのBP製剤であれば10万人年あたり1件程度といわれています。
わかりやすく言うと,「10万人の人が1年間経口BP製剤を服用すると,約1名にARONJが生じる」ということです。
めっちゃ低確率やん!
というのが正直な感想ではないでしょうか。
しかしビスフォスフォネートは長く飲み続けていると骨に薬が沈着していくので、飲んでいる期間が長期に及べば顎骨壊死のリスクは徐々に上昇していきます。
一つのボーダーラインとして僕らがもっているのは、4年です。
4年以上の服用で顎骨壊死のリスクが上昇し始めるという報告があるからです。
なので僕が働いている病院では基本的に全員の患者さんにおくすり手帳の持参をお願いしています。
どんな薬剤を使用しているかもそうですが、薬剤の使用期間も把握できるからです。
でも、どんな病院を受診するときも、おくすり手帳は必ず持参しましょう!
なぜ口の中の骨だけに顎骨壊死が起きるのか
BP製剤やデノスマブは、飲んだり注射によって、血流をめぐり全身の骨に分布します。
頭から足の先まで、BP製剤は巡るのです。
それなのになぜ顎骨だけに壊死が起きるのでしょう。
【理由①:顎骨がさらされる環境】
抜歯などの、骨が露出するような処置を受けた場合、顎骨は口の中と直接交通することになります。
どんなに清潔にしていても、口の中というのは誰でも雑菌だらけです。
この口腔内細菌の感染によって顎骨壊死が誘発されるのです。
したがって口の中が汚い、すなわち口腔内衛生環境の悪化が顎骨壊死の発症因子・増悪因子となるのです。
【理由②:顎骨にかかる圧】
咬合力も要因のひとつと考えられています。
成人男子では噛みしめる力など、平均で60kgもの力が毎日繰り返し顎骨にかかります。
これも症状を引き起こしてしまう誘因と一つと言われています。
【理由③:代謝の早さ】
顎骨は全身の骨なかで新陳代謝がもっとも速い組織の一つです。
このため、使用した薬剤が顎骨に高濃度に沈着しやすいことも理由のひとつ考えられています。
ここまでのまとめ
宇宙へ行くと骨粗鬆症になってしまいます。
その対応として、宇宙飛行士の方が使用していると思われる薬剤は、地上でもよく使用されているBP製剤です。
BP製剤は、長期的に服用すれば、将来顎骨壊死を引き起こす可能性があります。
しかしその確率は、10万人年あたり1件程度という非常に低確率なものです。
ARONJは薬が関連していますが感染がおもなトリガーとなっています。
つまり感染対策を放置するとARONJのリスクは高まります。
快適な宇宙ライフを目指して
宇宙に長期滞在するようになれば、当然宇宙で抜歯しなくてはならないケースはあるでしょう。
では宇宙でもし抜歯となってしまったとき、ARONJを防ぐための口腔内感染対策はどのようになっているでしょうか。
実は宇宙では、口腔内感染が起きやすい条件がずらりとそろっています。
対策なしでは、ARONJのリスクは地上よりも飛躍的に高いのです。
次回は、宇宙長期滞在においてBP製剤の長期服用が必須となるかもしれない時代が来た時にどのような対策をとればよいのか?
地上でBP製剤を服用されているケースを例に考えていきたいと思います。
References
1 厚生労働省HP 重篤副作用疾患別対応マニュアルhttps://www.mhlw.go.jp/topics/2006/11/tp1122-1l.html
2 顎骨壊死検討委員会ポジションペーパー 2016https://www.jsoms.or.jp/medical/wp-content/uploads/2015/08/position_paper2016.pdf
3 ごごちデンタルクリニック HP http://www.gokochi-dc.com/
2 ひまわり歯科HP http://www.himawari-dental.jp/diaryblog/2017/06/27/