自分大嫌いから自分を好きになれた、わたしのエピソード2〜男の子からのいじめ〜
わたしは小さい頃から
よく男の子にちょっかいを出される方だった。
小学1年生の時、クラスの男の子からいじめにあった。
しかも性的なやつ。
恐怖で何も言えない、できない。
とにかくその子の存在自体が怖い。
それは、毎日、放課後、ある一定期間つづいた。
鋭い目で睨まれて、呼び出される度、恐怖に震え硬直した。
その時、何が起こっているかわからなくて
とにかく怖くて
恥ずかしくて
誰にも相談できなかった。
逃げたり逆らったり、抵抗したかったが
威圧的なその子に対して
力もなくて
かよわい自分は
従うしかなかった。
ある日、いつものように教室でいじめられていたら、
たまたま、クラスの子が何人か通りがかって気づいてくれた。
「何してるの?」
相手はハッとして、いじめるのをやめた。
わたしは涙が出そうになった。
安堵した。
やっと気づいてもらえた。
助けてもらえた。
その日以来、いじめはなくなった。
でもわたしの中に傷は残った。
どうして、わたしだけがあんな目にあったんだろう?
わたしの前の席にいる女の子はとても可愛くて
わたしをいじめた男の子とも普通に話せている。
わたしが弱いから?
わたしが嫌われているから?
わたしは前の席に座っている、
この、可愛くて強い女の子になりたい!と思った。
でも、どんなにがんばっても
前の席の女の子になることはできなかった。
自分で自分を守れなかった悔しさ
みじめさ、悲しみ、恐怖などが残った。
小学2年生の時も
1年生の男の子2人からいじめられ
泣きながら帰ったこともあった。
クラスには、
毎日ちょっかいを出してくる男の子がいて
嫌で嫌で仕方なく、
わたしはその子のことが大嫌いだった。
ある日、程度がひどかったので
抵抗して顔を引っ掻いてしまったことがあった。
爪痕が残り、みんなに気づかれるほどの
けがになってしまった。
先生が気づいて
「誰がやったの?」
と聞かれた。
すごくみじめで気まずい気持ちになりながら
みんなの前で手を挙げた。
謝って、
冷やしたタオルで手当てしてあげるように
と言われ、
(向こうが先にやってきたのに!)
と心の中で思いながらも
いい子のわたしは先生に従うしかなく
しぶしぶ濡れタオルを用意し
謝って、手当てした。
屈辱を感じた。
その時の、その子のとても嬉しそうな表情を
今でも覚えている。
匿名のラブレターが何度か
机の中に入っていたことがあった。
その中には「放課後、校庭にある遊具のところに来てね」
という呼び出しがあった。
誰だか分からなかったから
そこには行かずに
呼び出された場所を見ていたことがあったけど
結局、誰だか分からなかった。
ある日、わたしの後ろで
こそこそ話している声が聞こえた。
どうやら、わたしにちょっかいを出してくる男の子が
わたしのことを好きらしいという噂だった。
そんなこと、あるはずがない!
わたしはあの子のこと、大嫌いだし!
好きだったら、いじわるとかちょっかい出してこないでしょ!?
全く理解できなかった。
しかし、何度か来ていたラブレターや
色々なつじつまがあってしまい、
それはどうやら本当らしいことがうかがえた。
最初は信じられなかったが
仕方なく認めて、挑発に乗らず、
こちらから少し歩み寄るようにしてみたら、
わたしたちは少し仲良くなった。
一緒に遊んだ時、本当に嬉しそうにしていた。
しかし、わたしには密かに他に好きな男の子がいたし、
その子は転校することになったので、
それ以上、何か起きることはなかったけれど。
小学4年生の時に、心理学の「防衛機制」を学んだ。
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防衛機制(ぼうえいきせい)とは、
受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、
それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである。
アンナ・フロイトは主要な防衛機制として、
退行、抑圧、反動形成、分裂、打ち消し、投影、取り入れ、自己への向き換え(自虐)、逆転、昇華の10種類を挙げている。
「反動形成」 - 受け入れがたい衝動、観念が抑圧され、無意識的なものとなり、意識や行動レベルでは正反対のものに置き換わること。本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとる。
(Wikipediaより引用)
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簡単にいうと
好きな子に「好き」とストレートに表現できないので
わざと「嫌い」と言ったり、悪口を言ったり、
ちょっかいやいじわるをしたりする、
ということ。
そうやって、自分が傷つくショックを和らげたり、
気を引こうとしたり、
することもあるんだと知った瞬間、
わたしの中で何かがゆるんだ。
あぁ、あれはそういうことだったのか、と。
わたしは自分がいじめられるのは、
自分が弱くて
嫌われているから
と思っていた。
そんな自分はダメだと思ったし
いじめられる自分や
いじめられても、
それを解消できない自分が嫌いだった。
でも、わたしは何も悪くなかった。
わたしは、わたしのことを嫌いになる必要はなかった。
他者には他者の都合がある。
事情がある。
それを許容できるまでには
時間がかかったけれど。