病気としあわせの関係について
わたしはこの10年、自分の病気と向き合ってきて、
超苦痛・超不幸・絶望・不安・恐怖と
どん底中のどん底で
この世は地獄だと何度も思うほどにネガティブ感情を味わってきた。
死にたいと何度も思ったし、死の淵も見させて頂いた。
でも、死ななかった。
それゆえ、病気のことについて語り出すとキリがないし、
言葉を選ばなきゃと真剣に思ってしまうため
気軽な気持ちで書けないし
正直、真剣に考えだすとかなり重いエネルギーになってしまうため
最近、この話題を避けてきていたように思う。
でも、今症状がありながらもしあわせな日々を送れているのは
「自分がそうする、そうなる」と決めて
「自分で選んできたこと」、それ以外にない。
病気とは、文字通り「気が病んでいる」状態なので
良い言葉を聞いても、言っても、響かない時がある。
むしろ、乗り越えている人から
「病気はダミー」
「経験は宝」
「病気あるまま、しあわせになればいい」
とか言われても
「あなたは乗り越えて解決しているからいいよね!」
と、妬みと憎しみの対象でしかない。
これはわたしが実際に、不幸絶頂の時に感じたこと。
だから、そんなこと言われても嫌な気持ちしか起きない、
という人がいても頷ける。
実際、この言葉たちは病気は乗り越えていなくても
心の面で乗り越えた人たちの言葉なので
心の面で闘っている人は
あまり真に受けない方がいいし
聞かなかったことにしてもいいと思う。
そのうち必ず分かる時が来るから。
言葉は時に武器になる。
言っている人には、とても良い言葉かもしれないが
聞いた人にとっては、最悪の言葉にもなりうる。
それが言葉の難しいところ。
人を励ましたくて使っても、時として刃になってしまうのだ。
でも、励ましたくて言っている、というベクトルだけには気づいて頂きたい。
あなたを傷つけたいのではなく
不理解でもなく
わたしも通ってきた道だから
一つの希望や灯火となれたら、こんなしあわせなことはない。
でもそれは強制することではないので
わたしの言葉で傷ついてしまう人がいるなら
そっと見ないようにしてもらえれば良いと思う。
とにかく自分を守ってほしい。
傷だらけの心と身体を癒してほしい。
先日ブログで「しあわせになるには順番がある」と書いたが
病気との向き合い方も同じである。
傷だらけの時に
「しあわせ、しあわせ・・・」とか言うのは不自然だし
痛みが増すばかり。
まずは傷に寄り添う。
痛みを感じる。
これが第一歩。
やってはいけないのは、自責と否定。
これをしている限り、傷は癒えないのと、どちらかと言うと
傷が深くなるのでご注意。
病気を癒すのは「肯定」しかない。
この辺りはおのころ心平さんがいいことを言っているので
まだ読まれていない方は是非ご一読を。
長くなってしまいそうなので、
またちょこちょこ書くかも(書かないかも)しれません。