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リーダーは背中で見せてくれる

まろんです。
奇跡のコースを読んでいたら、すてきな表現にであいました。まろんは奇跡のコースの世界観が好きなんです。

教師(一歩先をあるいている人)と生徒(同じ道を歩む人)は学ぶための過程にいるという点で似ている。共に学ぶために同じ段階にいるのであって、お互いに習ったことを分かち合わなければ、どちらも確信を持てないままになる。
すぐれた教師はまず教える内容に確信を持っていなければならないのはいうまでもないが、別の条件をも満たす必要がある。
それは自分が教えている生徒を信じなければならないといくことである。

この世界に生まれてきて成長する過程で、私たちは自我を自分だと思ってしまい、この自我が自分は分離しているって感覚を生み出すものになります。人と比較をすることにより、他の人との違いを認識し、その自分の違いを守っていくようになるのです。

本来私たちはおおきな一つのいのちの中にあり、そのことに気づくために、いろいろ経験をしているんだとまろんは考えています。

そういう意味では、すべての人が大きないのちの中でいかされていて本質は同じ、ただ人間の身体の各部の機能が違うように、胃と腸の役割が違うように、それぞれの人の個性に合わせて役割が違って違っているんだとなんだと思います。

そして、分離していると思っていたら、たくさんの人との関係性の中で分離していないことを分かったり、自分は自分らしさでこの世界を楽しんでいいんだってことがわかったりするんだと考えています。

今日のひとこと
256. 学ぶということは変化するということ

奇跡のコースでいうところの、教師と生徒とは、一緒にこの世界のことを体験していく仲間。学んでいくパートナーなんだと思います。

そして学んでいくと、その知識経験を通じて自分の状態が変化していきます。変化は自我にとって好ましいこと、自我は現状維持のために考えを巡らせるので、ここで学んだことも正しく受け取れないように、これまでの知識の延長として自我を固めるために解釈を捻じ曲げちゃったりしがちです。

本来はその経験はこころをオープンにしてとらえれば、すべてのことはわれわれがひとつであるという学びのために使うことのできる経験なんだと思っています。

教師は、すべては変化していくものと理解して、自分も生徒の立場の人もすべて大丈夫なことを信じて、自分のいま一番やりたいことを楽しんでやっていく人なんじゃないかなぁって思います。

まろんもそんな生き方をしていきます。

今日も読んでいただき、ありがとうございます♪

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