【レビュー】コップくんのひみつ(2024/3/16)
俳優・宣伝美術家 藤尾勘太郎さんが初めての作・演出。情報公開されたとき、「ふ、ファンタジー!?」と驚いた。
と同時にちょっと心配もあった。ファンタジーというジャンルが演劇で苦手だったんですよね。(思いこみ)
以前観た作品の影響を引きずり続けるのは良くないとわかっていながらも、終わった後に「もったいないなぁ」と思いながら帰ることになるんじゃないか。何も起きていないのに勝手に考え続けていて「あ〜また勝手に考えてる」なんて客観的に自分を観察したり。
「ふじお湯」「セイムタイム・ネクストイヤー」と観てきて、実際にお話させていただいたこともあって「大丈夫だ!」「キャラクターを聞いてもどんな話か想像がつかない!早く観たい!」とわくわくしながら待っていました。ファンタジーにもきっと意味がある。
以下、観劇前から帰ったあとまで、思ったことを脈絡もなく徒然と書きます。
なぜかまとめずに書いた方がいい気がしている。
とりとめのない、形式不明な言葉。
初めての経験は誰でも怖くて年齢に関わらず同じ。私も。今も。
孤独に震える夜。楽しさを分かち合う瞬間。見栄を張って嘘をついた罪悪感。突然変わる日常。全部が今を作っている。
でも、過去だけが今を作るのだろうか。あまりにも思い出すものが多すぎる。
縛られて、囚われて、また戻ってきてしまう。
抜け出したいのに、足が、手が、言うことを聞かない。
心では、変わりたいと強く願っているのに。
もうダメなんだろうか。ずっと同じままなのか。
いや、終わるはずがない。終わってたまるか。まだだ。諦めるな。諦めなければ、諦めさえしなければ・・・。
______。
事前に書き手のパーソナリティが見えるって今すごく興味があるかもしれない。
とある取材本を読んでいて、ニュースにならないような事実に著者が向き合ったときに生まれてくる感情が見えた時に「この感情の流れが知りたいと思ってた!」とゾクゾクする。
中学生の時から変わらず、一貫して「人の目に触れることがない、人の裏側を見たい」という欲求が満たされるからかもしれない。
かつ、どんな思いがあるのかを知りたい。なぜ書くのか、作るのか、表現するのか・・・。
「なぜするんですか」
答えられなくても「〜したい」があるから行動するし人は話すのをやめられないんなじゃないか。これを書いている私はきっと「見てほしい」「知ってほしい」があるんだと思う。(恥ずかしっ!!)
ファンタジーながら存在する感情はどこかで感じてきた、感じるであろう瞬間ばかり。覚えていないことや予想外な時に責められ、他人と違うところを比べて落ちこむ。失敗をなかったことにしておどけて、現実を変えたいと思うけど引き戻される。でも、歩みは止めない。
・・・私じゃないか。私たちじゃないか。
_____とんとん、とんとん。
蓋をした記憶の扉をノックされた。
開かずに余韻だけが残る。扉をたたく残響だけが、耳の奥で鳴る。
応援歌なんです、と音声で再生される。
不安な予感が引いていく。
金色が、瞼の下で閃く。
目を、開ける。
_____
わ〜、散文のレビューになったのは初めてでちょっとびっくり。
帰りのバスでは擬音語で頭がいっぱいになっていた。絵本とか紙芝居ふうにもできるかもね〜、なんて考えてみたり。
各キャラクターについてまわって作品の中で一緒に生きる、みたいなイマーシブっぽいこともできるかも?
3/19で終わってしまうのがもったいない〜!!!
思い出になる誕生日プレゼントでした。
【こぼれ話】
観劇前、夜ご飯に食べようと大好きなシチューを作り置きしていた。「やっぱり今日観るべき作品だったんだな。」クスッとマスクの下で笑ってしまったのは言うまでもない。