優しい世界を創りたい。
昨夜はイマーシブシアターを探求する、ムケイチョウコクの作品「反転するエンドロール」アフターパーティー。
実際に公演が行われた会場で、俳優たちと思い出話に花を咲かせる時間。
認知学の研究者の話はとても興味深くて、「なぜ私がムケイチョウコクにハマるのか」を改めて考えされた。
チケットは「この日に会おうね」と約束した証。
予約からワクワクが始まり、徐々に明らかになる情報公開に会場へ行く日を想像してニヤニヤする。
キャストと話せるイベントを用意された暁(まさに今回!)には、天まで登る心地だ。
日常は感情に蓋をしたり、言いたいことが言えない中で苦しむ。でも、あの場所に行けるから頑張れる。
「この日、会場で待ってるよ」手元にある予約日を見つめながら待つ。
その日の朝は何を着ようか、会場ではどんな景色が待っているのか?
想像する。
俳優は何を思って今日まで稽古したのだろう。今日一緒に時間を共有する観客はなぜこの場所に来たいと思ったのだろう。
考えてもわからないことを想像する。
終わったあとは、こうして言語化したくなる。(笑)
日常に戻り、劇場での体験を思い出す景色を見たら追体験ができる。
例えば、2019年に観た作品。駅にある売店のおばちゃんと会社員の話で、終わったあと(今でも)会社員を見るだけで「疲れてるけど大丈夫かな」と思ったり、コンビニを思わず見る時間がある。
「劇中で見た売店の配置はリアルだったんだな」と美術を思わず見てしまったり、売店の人と話したくなる。
自然と見てしまう。動いてしまう。
無意識に引き起こす、ムケイチョウコクの作品のすごさ。
そしてもう一つ。
俳優と「お互いに」素晴らしかったと言い合える。
良いと思った作品に出会ったら「よかったです!」と俳優に伝えたくなる。それができないと消化不良のような感覚になってしまう。
観客が言おうとした素敵な言葉や、思い出深いシーンは俳優が気づいていないかもしれない。
だとしたら、その想いはどこへ行くのだろう。
学生の頃、大劇場の演劇の観劇終わりに抱えた虚しさの正体は、伝えたいことを伝えられなかったもどかしさだったかもしれない。
上京して初めて下北沢で小劇場を知ったとき、俳優に直接感想を伝える時間あることに感動した。
初めて会うのに、友達のように嬉しそうに聞いてくれた。
私はただ言葉を伝えただけなのに「ありがとう!」と言ってもらえる。
ムケイチョウコクの作品は、私たちも役が与えられるので、自然と俳優になってゆく。
雑談をしていたら、いつのまにか物語に必要な役になってしまう。
いや、楽しみは人それぞれで無限大にあるからこそリピーターも続出するし飽きないんだよね。きっと。
キャストと一緒に演じる喜び。
スペシャル企画、登場人物とキャストが後日談を即興で演じる1on1。
本番で私が演じたルウは、恋人(リン)がいたから、リンをやった人がいたらいいね、なんて言ってたら本番で一緒にリン役だった方が偶然いて、開場中が歓喜!
一緒に演じてもいいよ、とのことで思いがけず3人での即興芝居。
と言っても感覚としては雑談をしてるだけ(笑)
ちょっとした人生相談になりました。
リンも変わらずいい子だった。普段も優しい方なんだろうなぁ。(会うのは2回目)
いつか・・・いつかこんな優しい世界を作ってみたい。誰かにも与えたい。
すごい、と憧れる世界も、誰かを追いかけるのも疲れてしまう。でも、誰かと一緒なら?
ただ見つめるだけで、そこにいるだけで俳優と物語を作れるとしたら?
イマーシブシアターを全国に。
あちこちのカフェや空間が使われるようになれば地域の活性化や、地方で演劇がもっと広がっていく。
その場所にしかない文化、言葉、芸能がある。それも作品の中に取り入れれば楽しく自然とその街を知るきっかけになる。
街が愛おしくなる。説明より、体験してもらう方が早い。
方言がわからなくても、その人を観光客役にすれば違和感がない。
可能性は無限。廃校や商店街など住んでいると何も思わないけれど、演劇が加わることで違う視点で見る楽しさもありそう。
・・・全部妄想です。
でも、彼らならやってくれるでしょう。
さらに加速する。
妄想は尽きないけれど、今後の作品作りに期待しよう。
まずは今年の夏に向けて。“家具”がテーマになっていて、あらすじを読んだだけでもワクワクする。
演劇が日常に入ってくる予感。
私の地元は家具が有名だから、いつかこの作品は地元に持って帰りたい。家具の展示があるお祭りもあるから、親子で演劇体験の後に絶対家具を見に行きたくなる仕組みが作れるんじゃないか?と妄想してみたり。
ここまで書いておきながら、キャストではないので全貌はわからないです(笑)
クラファンがもうすぐ始まるようなので、ぜひ応援してほしい。
魅力的なリターンも準備中とのこと!