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【レビュー】2024/4/7 「漸近線、重なれ」

十分遠くで曲線との距離が 0 に近づき、かつ曲線と接しない直線。

wikipediaより


初めて聞く言葉に、思わず意味を知りたくなってしまった。題名から祈りや願いを感じる。
きっと最後まで重ならないのかもしれない。そんな予感と共に劇場に向かった。


劇場の座席に続く階段の両側に木の葉が散りばめられていた。
入り口から世界を作ってくれる遊び心。物語の始まりは春だけど、あえて春をイメージさせる桜ではないことも嬉しかった。
パンフレットや小沢さんのツイートにも(おそらく)書かれていないアイデア。
楽しんでもらおうという心遣いが嬉しい。

舞台美術の模型。
小沢さんはいつも創っている。



古びたアパートに青年が引っ越してくるところから物語は始まる。傾斜のあるアパートの窓が開くたび、隣人たちとの交流が生まれる。小沢道成さん演じる「僕」(水野要)の何気ない日常の日々。
そして、一色洋平さん演じる「君」(山部泰親)との手紙のやり取り。

春が来るたび、前触れもなくアパートの住人たちと別れが訪れる。
私たちが子どもの頃から幾度となく繰り返して来た出会いと別れ。

またね、と言って二度と会わなくなった人。
いつまで会えるのかな、と言い合って今でも会う人。
そんな人たちを思い出す。忘れていた人が蘇る。


初めて須貝英さんという脚本家を知った。ト書きが詩のようだと小沢さんが紹介しておられたので台本を迷わず購入。

読んでみると、まるで小説を読んでいるかのような言葉の使い方に驚くと同時に、言葉の持つ温かさに涙が出た。
観劇した時と同じく、理由もわからないのに泣いていた。
過去と重ねたり想いを馳せて泣くことはあったけど、理由がわからず涙を流すことは初めてだった。本能、というものだろうか。


覚えてはないけど知っている。


こんな不思議な体験を人生であと何度体験できるだろう。

わからないけど、知っていると感じる瞬間。初めて訪れたのに懐かしさを感じる風景。





物語の中で「僕」はアパートの住人や大家さんの時間が経つとともに「僕」の母と電話を通じて近づいていく。

斜めに傾斜した舞台の手前に「僕」、奥に「母」の姿が浮かぶ。その顔は暗くてよく見えない。どんな表情をしているのか、何を想っているのか、よく見えない。

僕はなぜか、母にずっと言えなかった想いを告げる。
言葉には出せなかったのだろう、聞いている母がとても寂しそうで、悔しそうで。



隣に住むホストの人が出て行った。
「明日起こしてよ」と言ったまま。


大家さんが亡くなった。
あなたの弾くピアノを聴いてみたいわ、と言ったまま。



春が巡る。


やっと「君」に会う日。

僕らはやっと重なるのだろうか。

限りなく近づく線のように。


僕、君、あなた、誰か。


全員の線は重ならない。


でも、限りなく近づく日にまた会える。



どこかで。 必ず。

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