見出し画像

須和雪里「懺悔」(JUNE新鮮組第二号)

この記事で須和雪里の短編「懺悔」のあらすじや引用、そしてちょっとした感想を書きたいと思います。あらすじだけにご興味の方は、直接「あらすじ」に飛ばしてくださいね。

Trigger warning・注意>自殺未遂の話が出てきますので、読み進めるかどうかのご判断は、各自でお願いいたします。



「懺悔」との出会いについて

去年のSFマガジンの「BLとSF2」特集で掲載されたこちらの記事で、JUNEの小説道場の投稿作品、須和雪里の「懺悔」の評が挙げられている。「懺悔」の内容は瀬戸夏子氏がこう紹介されている。

“ふたりの少女が少年愛ものをお互いに好きだという絆で繋がり、ふたりの少女はその現実生活で、ある美少年ふたりが互いに好き合っているのではないかと考えるようになる。そしてふたりの少女はふたりの少年がお互いの気持ちを打ち明け付き合うことができるような小細工をするが、見破られ少年たちに憎まれふたりの少女たちも責任をなすりつけ合い憎み合う。この件をきっかけに少年たちが同性愛者だと噂されるようになり、しかもすくなくとも少年のひとりは実際に相手を愛しており、噂に苦しみ自殺しようとし、自殺は思いとどまったものの蒸発してしまう。”

https://www.hayakawabooks.com/n/nd90766ab1b6c

記事そのものも、小説道場の評そのものもとても興味深いと思い、肝心の投稿小説が読みたくなったが、私の知る限り、残念なところ、その短編が小説JUNEの増刊であったJUNE新鮮組第二号(1995年8月)でしか収録されていないようだ。雑誌もあまり中古でながれていないみたいのだが、幸いなことに、最近メルカリで出品されているのを見つけて、直接海外から利用できないのでエージェントサービスを通して無事に購入した。

この間読んだ別の記事でその「懺悔」の評がまた挙げられて、意外とこの短編がかなり貴重なものなのではと思ったけど、私みたいに読みたいけど雑誌の入手が難しい方がいらっしゃるのではと思ったので、著者権でさすがにネットに載せないけれども、せめてもうちょっと立ち入ったあらすじをと、この記事を書くことにした。

ちなみに、自分がかるく検索したかぎり、日本の図書館にも置いているところ出なかった。一号はあったが。ただ、日本住まいではないのだし、興味本位で本当にかるーく検索しただけで、もしかしてどこかに置いてあったりしているかもしれない…もしかして図書館で見つかった方がいらっしゃったら、是非ともメッセージをください。ここに情報を載せます。

あらすじ

ざんげをします。
わたしは罪を犯しました。この重たい枷に噛まれて生きていくには苦しすぎます。

「懺悔」より(p.216)

この短編の語り手は高校二年生の吉村啓子という、自称のごく普通の少女だ。開きに、自分が「懺悔」の意図を記して、自分が犯した罪を読者に告白する。

吉村啓子には原田美好という幼馴染みがいて、高校入学の時に友達作りに失敗して一人になってしまった啓子の唯一の友達でもある。

美好はかなり意地っ張りな性格で、その性格のせいで美好も結局、学校でいつも孤立してしまうわけだ。啓子はその友達に昔からいつも振り回されて、美好の性格にうんざりもしたりしている。
幼馴染みと言っても、お互いに優越感を感じる二人だ。

美好は入学当時に啓子をわざとらしく無視していたが、ある日、急に啓子に小説を強くすすんでくる。啓子は学校生活での孤独に耐えれず、今回は自分が関係の有力なポジションになろうと、その小説を受け取って読んでみる。

例によって、絶対にいいから読んでみてというのです。それから、友だちはちっとも感動してくれなかった、とクラスの子たちをこきおろすのです。
また、中学の時と同じことをやってるな、これで少しずつ彼女は友だちをなくしていくのだろう、と思いました。誰も、陰で悪口を言う友だちなんてほしくありませんものね。でそんなことはわたしは言いませんでした。本を読んで、おおいに感動したふりをしてやろう、と考えていました。
彼女がそのうちにみんなに嫌われるのは目に見えています。

「懺悔」より(p.217)

美好が貸した小説は少年愛もので、二人の主人公が男同士の恋愛で苦しんで、ついに心中を選ぶという内容の小説。啓子は小説に感動し衝撃を受け、急にできた新しい熱狂する趣味(男同士の恋愛もの)に夢中になる。二人の目にははその男同士の恋愛が美しく映って、汚い現実と違って「真実の愛」として輝くのだ。

美好との仲も、素直に、その仲間意識で関係が良くなり、二人は周りに白い目で見られながらも、毎日男性同士の恋愛小説やイラストに耽って幸せな日々を過ごす…が、どんどんこの新しくなった関係のバランスがまた崩してしまい、昔みたいに美好がまた有力な位置になる。孤独におびえる啓子は、自分が「友情の奴隷」になったと読者に主張するほど。

その中に、啓子と美好が二人の同級生に興味を持ち始める。もちろん、その興味は「男同士の恋愛」的な興味なのだ。

二年になってひと月がが立つ頃、美好が言いました。
「ねえ、河井くんてさ、内田くんのこと好きみたいよ」
〔中略〕
河井くんは背が高く、スラリとした体格のまじめなスポーツマンで、とても大人びた印象があります。
〔中略〕
内田くんは河井くんよりもほんの少し背が低く、やっぱりスラリとしています。お調子者でいつもクラスのみんなを笑わせています。

「懺悔」より(p.219)

河井くんが内田くんをみてる、片思いだ、いや、内田くんも河井くんをちらちらみてる、両片思い、いやもしかしてできちゃってる?いや、まだかな、誰が『上』、誰が『下』、と二人が盛り上がる。この「観察」は、4ページ未満にわたる。

一応、これが本当に噂になったら大変だと美好も啓子も理解はしていて、周りにはバレないように観察がこっそりと進む。自分たちが河井と内田の理解者で味方である、と強く信じている。

ある日、河井と内田が一緒に体育やっているのを体育館で眺めながら、河井と内田の恋を叶えたいと、二人に使命感が芽生える。
ちなみに、そこで、熱狂の裏に美好(と啓子)の心に宿る「女性」へのジェンダーの葛藤や内面化したミソジニーがちらつく。女の人は、愛し合う二人の男の子の間に入っちゃいけないのだ、というほどの話にとどまらない。

〔中略〕女性が主人公の男の子たちの間に割り込んで、三角関係にでもなろうものなら「こんな女、死ねばいいのに」とまで言うのです。わたしも似たようなことは感じますが、そこまで乱暴な言葉はできません。その女性が色仕掛けにおよんだりすると、もう美好の怒りは頂点に達します。わたしは、なだめるのに苦労します。汚い、下劣、下品、いやらしい、淫乱、とそんな言葉を連ね、美好は最後には悲しみの淵に沈みます。
ーーわたしは、どうして女に生まれてきたんだろう?
彼女は自分が女であることが、うとましくてならないのだ、と言います。また、犯されることしかできない肉体が、汚らわしいのだ、悔しくてならないのだ、と言います。いったい誰が彼女にこんな思いを植えつけたのでしょう。

「懺悔」より(p.224)

美好がそこでキューピッド的な計画を練って、一人で実行する。実にシンプルで幼稚な計画だ。つまり、河井と内田に、お互いを装って、ラブレターを寄越すのだ。
手紙に書いた待ち合わせ場所に、美好が啓子を連れてって、隠れて二人の男子を待つ。
河井と内田がその待ち合わせ場所に着くと、ほぼすぐに手紙の差出人が自分たちじゃないと気が付き、お互いにその内容がありえないと言い合う。

美好はそれが耐えられなく苛立って、二人の前に出て、告白を促せようとする。美好と啓子の趣味が周りに知られていて、いつも一緒にいるので、二人の男子はそこに啓子もいるとわかるが、啓子が怖くて隠れ場所から出れず、繰り返して2人に謝るだけだ。美好と、内田と河井が言い合いになって、ついに河井が憤って美好にビンタをする。

「俺は内田なんて好きじゃない」
「嘘つきっ」
「なにおうっ」
「わたしたちは知ってるんだから、河井くんはいつもいつも内田くんのこと見てるくせに、せつなそうに溜息をついたりしてるくせに、内田くんがいるといないとじゃ顔つきで違ってるじゃないのよ、さっきだって内田くんとふたりきりで真っ赤になってたじゃないのよ、見てりゃわかるって言ったでしょ、好きですって言いふらして歩いてるようなもんだわ、内田くんだってそうよ。わたしたちはねえ、ふたりが告白するきっかけを作ってあげたんじゃないのよ、それなのに本当のことを言う勇気もないんだわ、サイテー、いくじなしっ」

「懺悔」より(p.228)

内田と河井が二人を後にしたあと、美好と啓子の仲が破裂する。美好は啓子が自分を裏切ったと、計画が思い通りに行かなかったのを責め、そもそもこれ啓子のアイデアだと主張する。

「あんたなんか、もう友だちじゃないっ!もうあんたなんかと付き合ってなんかあげないっ!大っキライ、あんたなんか死んじゃえばいい!」

「懺悔」より(p.229)

啓子のなかで何かが切れて、憤慨する。計画に直接加わってないのに自分に責任を押し付けようとしている友達に対して殺意にまで駆られて、近くにいた弓道部員がその間に割れこむまで美好を繰り返して蹴る。

美好がそのケガで病院に運ばれ、入院する。啓子は美好に謝ろうとするが、美好の母に門前払いされる。学校はその暴力事件を隠蔽するが、弓道部員に見られたものだし、すぐ学校中に噂が広まって、啓子が学校でひとりぼっちになってしまう。

啓子は、自分が悪くない、全部美好が悪いという気持ちと罪悪感の間に揺れながら、自分が美好みたいになるまい、自分の罪をちゃんと認めようと決心する。

絶対に美好のようにはなるものか、美好が自分の罪を認めず、すべてをわたしのせいにするというのなら、わたしはその罪を認めてやる、とそう思いました。
俺たちオモチャじゃねえぞ、と内田くんは言ってました。そうです、わたしは美好にひきずられていたにせよ、彼らの挙動を盗み見てははしゃぎ回っていたではありませんか。彼らのためだと言いながら、自分たちの思い通りになればいい、と思っていたではありませんか。この時、わたしはようやく自分の罪に気がついたのでした。

「懺悔」より(p.233)

しかし、内田も河井も噂の的になって孤立して苦しんでいると、啓子がついに気が付く。実は、入院中の美好が、内田と河井のことと、啓子が考えて実行したと主張しながら、手紙の計画のことを、クラスの子に話したのだ。

ちょうどその時、「いいもの見せてやる」、と河井に啓子が屋上に誘われる。啓子はそれに嫌な予感を抱く。案の定、屋上で河井が手すりを超えて、飛び降りようとする。

「……見たかったんだろ、え?おまえはこれが見たかったんだろ
〔中略〕
なんでだよ?俺と内田がどうなるのか見たかったんだろう?そこで見てろよ。おまえがしたこと、最後まで見届けろよ」

「懺悔」より(p.236)

啓子は河井が自殺をするのをやめさせようとする。そこで、河井が自分の内田への気持ちに悩んでいることを打ち明ける。

「普通じゃねえんだよ、異常なんだよ!誰にも知られたくなんてなかったんだよ!内田にも、他のやつらにも!よくも暴きやがったな!なあ、よくも言いふらしてくれたもんだよな!」

「懺悔」より(p.236)

啓子が、その苦しみに深く罪悪感を感じ、自分も手すりを超えようとする。自分と美好が悪いから、自分が河井の代わりに死んで、河井が普通の人生に戻るのだと。

啓子の言葉を聞いて、河井が驚いて戸惑う。もう自殺しないから、一人にしてと、死なないと啓子に約束する。

その後、河井が家出し姿をくらました、と啓子が最後に語る。内田も、あれから、誰にも口を聞かず、机をじっと見るだけだ。

最後に、啓子はこう語る。

例え地獄に落とされることになっても、それはしかたのないことです。
本当に、しかたのないことなのです。
ーーでも、本当に悪いのは美好なんだから。
ああ、また声がします。
ーー美好さえいなければ、誰も苦しまずにすんだのに。
ーー美好が悪いんだ。
ーー啓子はちっとも悪くない。
ーー美好なんか、死ねばいいのに。
美好に怪我を負わせたあの日から、わたしの頭の中でずっと誰かがしゃべっています。
この声はいったい誰のものなのでしょう。
声は笑っています。
ーー真意など暴くものではないのさ。
ーー暴けばふたつに裂かれるよ。
ーーそうら、まっぷたつだ。

「懺悔」より(p.238)

ちょっとした感想

この短編を読んで最初に思ったのは、JUNE(BL)というより、これは少女二人の愛憎劇な気がした。記載雑誌を考えればメインのはずである男同士の恋愛だが、扉絵と二枚の挿絵を除いて21ページの短編のうち、内田と河井の観察は、さっき述べた通りごく一部にあたるだけ。手紙作戦の失敗の後も、しばらくは啓子が自分で手がいっぱいで、河井と内田は後からの思い付きになる。

この話は、現在のBLなら、BLとして認められないと思う。JUNEはどうだろう。自分はJUNE初心者なので(しかも、須和雪里の作品はこの短編しか読んでいない)、なんとも言えないが、読んだことがある本の中では、野村史子の「レザナンス・コネクション―共・鳴・関・係―」には確かに、主人公は女性だった。でもどうだろう。視点は女性だったが、「懺悔」と違って、二人の男性の間の関係は全く違うように読者に届いていたと思う。

特に印象に残った、美好の女性の自分の自己嫌悪が強烈で、野村史子と言えば、この間読んだJUNE全集第5巻に付いているJUNE月報9(1995年9月)の野村史子の読者へのメッセージが思い浮かんだ。

私は、私自身が大嫌いでした。女であることも、「こいうこと」〔男同士の性愛の物語〕に引かれるということも。自分自身なぞ見ずにすむものなら、そのまま目をつぶっていたかった。

野村史子「小説の主人公達だけにまかせておくのではなく」JUNE月報9(1995年9月)

または、ご自身の発表したエッセイの内容をこう述べる。

やおいは〔中略〕この性差別社会の中でがんばって勝ち抜こうとする少女達が作り出した性的ファンタジー(ポルノグラフィー)である

野村史子「小説の主人公達だけにまかせておくのではなく」JUNE月報9(1995年9月)

この短編は、JUNEのはずだが、男同士の恋愛(性愛)が話の軸から外されて、その恋愛を眺める少女の心理描写が主役になる。

この間読んだこちらの記事に、とても印象に残った数行がある。

“私のJUNE小説に対する感情は「サウダージ」に近いような気がします。
 私は女であるという属性から逃れることができない。
 女は女であるという時点で「自分」が男に愛されているという確証を得ることができない。
 でも自分が男であれば、男から愛されているのは男という属性ではなく、「自分」だという確証を得られるかもしれない。

 永遠に叶わないものに持つ憧れには利点があります。
 永遠に憧れていられる、という点です。”

https://note.com/mhlophe/n/nb14295d9e255

JUNEが女性に純愛の希望を与えるジャンルなら、この場合は、男同士の恋愛というカムフラージュ(ファンタジー)を捨て、直接その希望の裏に蠢く(かもしれない?)感情をこの短編で分析されているようにもみえる。

2人の女の子の主人公たちが、自分たちが内田と河井の「味方」だと、自分たちは物語の中にある残酷な「現実」を理解してるんだと信じ込み、その純愛の「ファンタジー」と「現実」の境目が曖昧になって、悲劇が起こる。読者へ忠告みたいに。

一方、ある意味では、内田と河井から目を離すのも「罪」になるような気がする。観察する側が「オモチャじゃない」はずの二人を自分の分析の道具として、それとも娯楽として、消費したあと、捨てようとする美好の行為みたいな気がしてくる。二人から自己決定権を完全に奪い、ただの被害者、悲恋の可哀想な二人にするみたいに。

この短編は、どうしてJUNE(BL)に惹かれていると問いかけてくるんじゃないかな。





(なんて下手な感想…恥ずかしくなってきた)


(日本語勉強中なので、ここの文法が間違ってるぞ!とかここの言葉遣いが不自然だよ!とかの指摘が大歓迎です!)

いいなと思ったら応援しよう!