3.

たまに、自分が人ひとり分の小さな穴にいるような感覚に陥ります

その穴の存在をみんなはわかってはいるから
落ちないようには気をつけるけど
でもその中に何かあるとか
誰かがいるかとかは気にしない

穴の中からは空の移り変わりがぼんやり見えたり
外からにぎやかな声が聞こえたりする

誰かの蹴り飛ばした砂が落ちてきたり
どっかから飛ばされた楽しそうなことが書かれたチラシが落ちてきたりして
私はそれを嬉しいような虚しいような気持ちで眺めている

そんな感覚
みんなと一緒にいても
少し華やかな世界にたまたま紛れ込んでも
私だけはずれているような

曲について
the cabsのanschlussについて書きたかったけど
言葉がうまく出てこないのでやめます


集合写真を撮るたびに思い出す過去がある

中3の頃、夏の終わりに大会があった
その大会は高校生の大会だったけど、中高一貫校が集まる大会だったので中3も出ることができた

同期が10人以上いて、そこから大会のメンバーに入れるのは3人だった
その夏、メンバーに選ばれるために
自分でもえらかったなあと思うくらい練習を頑張ったことを覚えている
そして私はその3人に選ばれた

メンバーには選ばれたけど
大会にはほとんど出られなかった
ボロ勝ちかボロ負けしていたら
ぎりぎりメンバーに入ったような私にも出番はあったかもしれないけど
ほぼ全てが接戦で
そして私の学校はぎりぎりの中でも勝ち進んでいた

決勝前に主力の先輩が怪我をして
代わりに出ることになったのは一緒に選ばれた同期だった
その子は私より全然上手で、先輩たちにも引けを取らないくらいで
実際私との実力差は歴然だったけれど
でも私はその子のライバルみたいな存在だった

仲も良くてよく一緒にいたから
ペアみたいにも見られていて、私はそれが自慢だった

その子は試合で大活躍した
先輩からも先生からも、先輩の親御さんからもめちゃくちゃ褒められて
優勝の立役者的な存在だった
その子は私が今まで、そしてその後も見たことがないほど充実した表情をしていて、
優勝記念でみんなで撮った写真は
普段カメラに向かって笑うのが苦手な子なのに
やりきった表情に溢れていた
一方の私はどうしても笑うことができなかった

優勝に貢献した同期と
メンバーに入ったからベンチにはいたけど見ていただけの私。
メンバーに入ったことがむしろ惨めだと思った
その写真は今はもう手元にはないけど、その時のその子の表情は今も焼きついたように覚えている

私は高校時代はその子ととても仲が良かったと思うし
その子のことは好きだった
今でも好き。
今も一緒にいてくれるお友達が1人いるけれど
外から見たら
セットみたいでいいなあと思うかもしれないけど
実際の私は劣等感でいっぱいだった
そういうことが、私から見たお友達にもあるんだろうか


何を語ってるんだか
恥ずかしいばっかりの人生ですね…

お友達のコンサートに行きました
赤いドレスを着たお友達はとてもきれいでかわいかった
彼女みたいに長くてきれいなドレスを踏まないように
スカートを持ち上げて歩くようなことは
私には生涯ないのだろうと考えていた




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