THE STONE ROSESの歴史
※20年以上前のブログ記事です。原文のままとなります。当時の限られた情報をもとに書いた内容となります。現在の事実と異なる点もありますが、ご了承ください。
THE STONE ROSES は、ダンス・ミュージックとロックを融合させたという意味で、80年代後半から90代前半にかけての彼らの活動期間だけでなく、音楽史から見ても非常に重要なバンドのひとつです。
特に彼らのアルバム「THE STONE ROSES (邦題:石と薔薇)」は、ロック史におけるベスト・アイテムの1つと言えると思います。彼らの伝説的アクト「SPIKE ISLAND(※)」以降、リリースまでに約5年の期間を費やすことになった「Second Coming」と合わせてオリジナル・アルバムが2枚しか発売されることなく、多くの期間を所属レーベルとの契約問題等に費やしてしまったことが、非常に残念ですが、それが故に彼らのカリスマ性、伝説性が高まり、今でも新規ファンを獲得しているのではないかと思います。
※SPIKE ISLAND(1990.5.27) setlist
I Wanna Be Adored / Elephant Stone / She Bangs the Drums / Shoot You Down / One Love / Sally Cinnamon / (Song For My) Sugar Spun Sister / Standing Here / Fools Gold / Where Angels Play / Waterfall / Don't Stop / Something's Burning / Made Of Stone / Elizabeth My Dear / I Am the Resurrection
メンバー遍歴とバンド史について振り返ります。
THE PATROL
(ザ・パトロール / 1980)
vocal Andy Couzens アンディ・カズンズ
guitar John Squire ジョン・スクワイア
bass Ian Brown イアン・ブラウン
drums Simon Wolstencroft サイモン・ウォルステンクロフト
THE STONE ROSES が結成される前、IanとJohnらが中心となって結成、活動していたのが "THE PATROL"です。6回ほどギグを行って自然消滅してしまいました。Voがイアンではないところにも注目です。
Ian hielt es nicht mehr lange in seiner Heimatstadt Manchester. Er wurde Scooter-Boy, was seinen Angaben nach eher ein Mix aus Skins und Punks als die Nachfolge der Modszene war. Er reiste viel und traf John erst nach mehreren Monaten wieder. The Patrol waren gestorben, doch kurz darauf grudeten Ian, John, Pete Garner und Andy Couzens The Waterfront.
自然消滅後、再びメンバーが集結して"THE WATERFRONT"というバンドを結成(この時はManiもジャムに参加。メンバーはIan Brown、John Squire、Mani、Andy Couzens、Pete Garner)、
そして、初期のメンバーおよびパートが固定される"THE ENGLISH ROSE"という名前を経て(ただし、Ianはこのバンド名は存在していないと言っているので真相は謎です)、THE STONE ROSES"が産声を上げます。
THE STONE ROSES
(ザ・ストーン・ローゼズ)
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar John Squire ジョン・スクワイア
guitar Andy Couzens アンディ・カズンズ
bass Pete Gurner ピート・ガーナー
drums Simon Wolstencroft サイモン・ウォルステンクロフト
その後、THE STONE ROSES は類希な才能を持つ"Reni"こと、Alan Wren が加入することで、本格的な活動をスタートをしました。
1984.3 - 1986.6
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar John Squire ジョン・スクワイア
guitar Andy Couzens アンディ・カズンズ
bass Pete Gurner ピート・ガーナー
drums "Reni" レニ
Andy Couzens は諸事情(マネージャーとの揉め事)も重なり脱退します。 彼は後に"THE HIGH"(ザ・ハイ)のメンバーとして活躍します。
なお、Andy がTHE HIGH の前に在籍していたのが、"FLAG OF CONVENIENCE"で、このバンドのvocal兼guitar は、後に"BUZZCOCKS"で活躍するSTEVE DIGGLEです。
THE HIGH …
vocal JOHN MATTHEWS
drums CHRIS GOODWIN
guitar ANDY COUZENS
bass SIMON DAVIES
1985年9月、THE STONE ROSES は Thin Line より"So Young"を発売します。CDとして唯一聴くことができる"THE COMPLETE STONE ROSES"の最初の2曲に収録されています。
1986.6 - 1987.9
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar John Squire ジョン・スクワイア
bass Pete Gurner ピート・ガーナー
drums "Reni" レニ
さらに Pete Gurner も個人的な事情も重なり脱退します。そこで加入となったのが、もともと Ian、John とも関係のあった"Mani"こと Gary Mounfield です。ここに、THE STONE ROSESの最強のメンバーが揃うことになります。ちなみに、Maniが在籍していた"THE MILL"には、後に"INSPIRAL CARPETS"で活動するCLINT BOONが在籍していました。
1987.10 - 1995.3
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar John Squire ジョン・スクワイア
bass "Mani" マニ
drums "Reni"レニ
1987年5月、Revolver より"Sally Cinnamon"をリリースします。前作"So Young"ではふわっしていたバンドとしてのサウンドも固まり、また、JOHN SQUIREの美しいメロディが活かされるようになったのもこの楽曲からと言って良いと思います。後にoasisがLIVEで"Acquiesce"の最後にNoel Gallagherがこの曲のイントロ部分を弾いています。
この後、THE STONE ROSES は、Zomba の新設レーベル"SILVERTONE"と契約をします。後にこのレーベルとは事件や裁判などでモメにモメますが、それぐらいあやふやな契約が結ばれていました。
それはさておき、このSILVERTONEより、1988年10月に"Elephant Stone"、1989年2月に"Made of Stone"がリリースされます。当時は現在のようにバンド・サウンドがチャートの上位に入ることはなく、さらにインディーズ系からリリースされる場合は、さらに上位チャートインは難しい状況でした。
1989年3月、満を持して1stアルバム"THE STONE ROSES"が発売されます。この歴史的なアルバムは、初動こそ控えめであったものの、じわじわと英国中、そして世界へと発信されました。後に(1989年11月)"Elephant Stone"が追加されたバージョンや、さらに"FOOL'S GOLD"までもが追加されたバージョンなど、たくさんのプレスが存在する非常に面白いアルバムです。
1曲目に収録されている"I Wanna Be Adored"から、Maniの存在感いっぱいのベース、Reniのリズミカルなドラム、Johnの繊細なメロディ、そしてIanのふてぶてしくCOOLなヴォーカルの見事な調和が、彼らしか演奏できないまさにオリジナルの楽曲群を生み出しています。LIVEでも、アルバム収録順に演奏されたりと、まさにこの1枚全てで1つのローゼズサウンドを形成しています。LIVE自体は、照明が落とされ、シルエット風に照明が当てられた上で、あくまでオーディエンスがパーティーのように楽しむというスタイルを貫いています。
アルバム"THE STONE ROSES"からは、1989年7月に"She bangs The Drums"がシングルカットされ、さらに両A面シングル"Fool's Gold / What The World Is Waiting For"がリリースされます。このシングルはもともと"What The World Is Waiting For"をシングルとしてリリースされる予定でしたが、カップリングとして収録する予定だった"Fool's Gold"があまりに素晴らしい出来だったために、このような処置がとられました。"Fool's Gold"は、まさにダンス・サウンドとロックの融合の象徴とも言える楽曲で、このドラミングはReniだからこそ実現できていると思います。
ちなみにアルバムからは、"I Wanna Be Adored"、"Waterfall"、"I Am The Resurrection"がシングルカットされますが、この頃は既にバンドとSILVERTONEは絶縁状態で、何種類も次々に(勝手に)リリースされています。
さらに1990年7月、シングル"One Love"をリリースした頃には、伝説のBLACKPOOLやSPIKE ISLANDのギグも大盛況に終わり、バンドにとっても絶頂期を迎えていました。逆に、達成感という点である程度の成功をおさめてことで、そのテンションを持続することは難しく、同時にSILVERTONEとの契約内容(内容の更新等)でもめることも多くなり、徐々にバンドおよびスタッフが目指すものが1つでなくなっていきました。
THE STONE ROSES は結局 GEFFEN(ゲフィン) と契約することになりましたが、即リリースという動きになりませんでしたが、きっとローゼズのことだから故意にリリースしないで、物凄い話題作とともに戻ってくるだろうという期待が寄せられていました。
この間、折りしも英国では空前のブリットポップ・ムーヴメントが起こっていて、大衆はPULPの台頭や、blur と oasis の確執など話題に絶えなかったことも、THE STONE ROSES を潜伏させる要因になっていたのかも知れません。ただ、こういったバンドの中でも、THE STONE ROSES の存在は別格で、そのカリスマ性は崩れることはありませんでした。
1994年11月、リードシングル"Love Spreads"のリリース後、待望の、そして彼らにとって最後のオリジナルアルバムとなる"Second Coming"がリリースされます。このアルバムは、1stアルバムにも劣らない名曲が揃っていますが、何より異なるのは、JOHN SQUIRE のギター・ソロが前面に押し出されていて、控えめながらも存在感たっぷりだった1stの頃とは大きく奏法も変わっていました。
このLED ZEPPELINを髣髴とさせるクラシック・サウンドは、GEFFENの地元であるアメリカでは格好のセールス・ポイントとなり、チャートでも上位に入るようになります。この時にTHE STONE ROSESが切り開いた全米進出への道を実際通ることになったのは、後に全米でなく全世界でブレイクしたoasisで、これまでRadioheadぐらいしか受け入れられなかったブリット・サウンドが、全米でも受け入れられるようになったのは彼らの存在が大きかったというのは確かだと思います。一方、このリリースを期に、Reniの不満が露呈し、ついに脱退を決意します。
1995.4 - 1996.3
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar John Squire ジョン・スクワイア
bass "Mani" マニ
drums Robbie Maddix ロビー・マディックス
keyboard Nigel Ipinson ナイジェル・イッピンソン
2ndアルバム"Second Coming"からは、1995年3月に"Ten Storey Love Song"、1995年11月に"Begging You"がシングルカットされます。そして、Reni に代わるドラマーには、当時25歳と若い Robbie Maddix が加入します。彼はリハーサルで "Daybreak" ただ1曲を叩いただけで後任に決まり、ツアーに同行することになります。
彼は若くはありましたが、経験も豊富で、Reni の穴を埋めるには十分な実力がありましたが、やはりReniの「感覚」が活かされたファンキーなグルーヴ"Fools Gold"や"One Love"がセットリストから外されたのは、THE STONE ROSES が二度と戻ることができない崩壊への道を一歩一歩辿りつつあったということを象徴しているようでした。
また、この頃からキーボード・プレイヤーとして Nigel Ipinson が加入します。
1996.3 - 1996.10
vocal Ian Brown イアン・ブラウン
guitar Aziz Ibrahim アジズ・イブラヒム
bass "Mani" マニ
drums Robbie Maddix ロビー・マディックス
keyboard Nigel Ipinson ナイジェル・イッピンソン
それでも、徐々にLIVE活動を続けるにつけ、パフォーマンスも成熟度が増し、完全に復活を遂げたかのように思えたTHE STONE ROSES ですが、1996年の春に、ついにその時がやってきてしまいます。
JOHN SQUIRE の脱退です。
その真相および、Ian の John に対する思い、John の Ian に対する思いなど、いろいろな憶測はありますが、いずれにせよ、THE STONE ROSES のキー・パーソンであり、メロディ・メーカーであった John の脱退は THE STONE ROSES にとって終焉を意味するものでした。それでも、バンドは存続という道を敢えて選択し、SIMPLY RED などでも活動していた Aziz Ibrahim が加入します。
1996年8月、スペイン、ポルトガル、デンマーク、オランダ、そして事実上最後のLIVEとなった Reading Festival で THE STONE ROSES は幕を下ろします。最後のLIVEは、当然満足の行くようなものではありませんでしたが(Bootlegでもたくさん出回っています)、最後にTHE STONE ROSES が実在するものであるということをオーディエンスに見せることができたというのは非常に重要なことだと思います。そして偉大なマンチェスターの後輩である oasis にバトンタッチできたのではないでしょうか。
メンバーのその後
Ian Brown は、ソロ活動を開始し(製作には、Aziz Ibrahim も参加)、John Squire も、THE SEAHORSES として活動後、THE SHINING(ex.THE VERVEのメンバー) らとのセッションなどを経由して、ソロ活動を開始しました。John Squire のソロアルバム"Time Changes Everything"は、John の Ian への気持ちを唄ったと言う"I MISS YOU"が収録されています。また、Mani は、PRIMAL SCREAM に加入し、バンド復活への大きな原動力となりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?