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日付けなし

やっぱり日記に日付けも名前もいらない

天気はあってもいいかも

センスの話と共感の話をしてわかってくれなかった昨日の記憶はあまりない。
わかってほしいけど、わかってあげるのも可哀想かと思う。わかってほしい。

センスの話をしていたせいなのか、
考えるのと感じるのとでは感じる方が先なんだなと、今更思った。

体じゅうの細胞を頭でつじつまを合わせているだけだ。自分を消すのは無理なのはわかっていたけど、少し絶望した。
透き通る体で、乾いた骨で、かっこつけたかっただけなんだけど。


かっこいい歌詞とか、深そうな名言とか、あいつ全部信じてるのか?
それじゃ中世以前へ前戻りだ。

自分から吐き出た言葉達は、きっといつかに食べた名言であり歌詞だ。
それに、たぶんそのクサい詩もことわざも何処かに落ちてた拾い物だ。
落とし物も、拾うだけでは、食べるだけでは、自分のものにはならない気がしている。

吐いた時に、それがいつかのカップ麺だと、それがいつかのクロワッサンだと、気づかないのはまずいわけなんだけど、
拾っただけでは味がおいしいとか、香りがいいとか、それぐらいのことくらいしかわかっていない。テキトーに相槌をしているだけだ。それでは名無しの単行本が可哀想だ。

だから、自分も含めて全部信じてはいけない。
自分から言葉が吐き出るまで気長に芋けんぴでもつまんで待っていなくてはいけない。吐き出た言葉を、とりあえず信じるふりをする。


最近、いや割と前のことなのかもしれないが、風に吹かれたり、風を集めたりできるようになった。
歌詞で見たことがあっても、ただ散歩の言い換えだと思っていた。
足任せに歩いているときにふと風と一緒に歩いている気持ちがして、この気持ちなんて言うんだろうと頭でさくいんを散らかしてようやく出てきた、風をあつめて。
すごく心動いたけれど、その時は、はっぴいえんどを聞く気分にはなれなかった。


頭の中はいつかのいつもの繰り返しだ。

風で飛んでいきそうで、離さないで欲しかった炭酸な頭で考えた。

考えていたらいつのまにか、また、バンドをやってる友達に連絡してしまっていた。まいどすまへん。

やっぱり、全部全部、名残なんじゃないか、

そう問いかけると彼は

目をつぶって真っ暗な時が本当の世界だ

と返してくれた。
そうそう、それで真っ暗じゃなくていいから意味もなく目をつぶりたくなる時があるんだよな。


なんだかお腹いっぱいになって帰ろうとしたら、今度はあいつにでくわした。また日記が延長戦へ。

深い事は考えないと言う彼とは純愛について話した。嘘つけ。

金曜日の夜だから、と言う便利な言い訳のおかげで、華金おじ様のアルコールがこっちまで回ってきたのか、1時間の立ち話。

晩御飯はシュウマイを食べた。

完成する前に壊さなくちゃ気が済まないような奴らばかり。


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