一生一品 vol.8 陳 建一 さん
文・撮影/長尾謙一 (素材のちから第43号より)
陳シェフが選んだ一皿には、どんな想いが込められているのでしょう
今回の「一生一品」、陳シェフは「 鯉の煮凝り 鯉のチリソース煮」を紹介してくださいました。
「おいしい!」と人が喜ぶ姿を見て育った
陳さんは幼少時代、西麻布の長屋に住んでいました。当時の西麻布はもちろん今のようなグルメの街ではありません。隣が革のベルト屋さんで、板金屋さんが大家さんで、一番奥は裁縫屋さんで同級生のしいちゃんの家でした。
近くに釣り堀があって長屋の人たちは鯉を釣ると陳さんの家へ持ってきます。そして持ってくる鯉は必ず2匹だったそうです。1匹分は陳さんの家の分として、もう1匹分は鯉を持ってきた人におかずとなって返ります。長屋にはそういう習慣のようなものがあって、皆それをとても楽しみにしていました。
ちょうど陳さんのお父様である陳建民氏が、四川飯店開店のためにアルバイトをしながら資金を貯めていた頃です。陳建民氏は、「これから日本は中国料理がブームになるから日本に稼ぎにこないか。」と言って料理人を中国から呼びました。そうした料理人が滞在場所として陳さんの家の1階に寝泊まりしていましたから、陳さんが知らない料理人がいっぱいいたそうです。
料理はお父様もつくりましたが、料理人たちのつくる料理はとてもおいしく、子供心に「この人たちは凄い料理人だ、天才だ。」と思ったそうです。
その料理が鯉のチリソース煮なのですが、全部食べきれないと翌日残ったものが煮凝りになります。そうするとお父様が、「こうやって食べるんだよ。」と、パンを焼いてバターを塗って、その上に〝鯉の煮凝り〟をのせて食べさせてくれたそうです。それが最高においしかった。
鯉の料理を食べた人からは「ありがとう、おいしかったよ。」という言葉と一緒に皿が返ってくる。そのことが子供だった陳さんも凄くうれしかったそうです。
陳さんの家では「こんにちは。」ではなく「飯食った?」と言うのが挨拶だったそうで、修理にきた電気屋さんが、おいしそうに鯉を食べていく姿を陳さんは今もはっきりと覚えているそうです。
とにかくいろんな人が頻繁に陳さんの家にきて、小さい食卓を皆で囲みます。中国料理のよさは一人一皿ではなく、大皿を皆で楽しむ世界。「そういう思い出がいっぱいあって、それがどんな思い出かと言うと、やっぱり人が喜んでいる姿なんだよね。」と懐かしそうに話してくれました。
陳建一さんの「一生一品」は〝鯉の煮凝り〟、陳さんが料理人になるべくして食べた料理です。
「人を料理で喜ばせることが好きだ。」
父から学んだこと
陳さんはお父様が有名すぎるために、どうしても二代目として比較されました。料理人としてそれが一番苦労したことだそうです。しかし、陳建民の息子だということで、普通の料理人に比べれば仕事でも何でもチャンスはいっぱい貰えました。陳さんはお父様と比べられることに反発するのではなく、いつも「親の七光りでも何でもいいから、チャンスを貰ったら思いっきりやってやろう!」という気持ちでいました。
「おれは親父を超えようと思ったことは一度もないよ、無理だから。結局、陳建民は世の中に一人しかいないし陳建一も一人。大切なのは志が一緒なこと。それが一番大事なことだから。」と陳さんはおっしゃいます。
お父様は「料理は愛情」が口ぐせでした。働くスタッフに「だから調理場で、あなた、彼女つくる。」と声をかけます。そのままでは意味が分からないのですが、「あなたは自分の彼女につくる気持ちで料理をつくりなさい。」と、それを調理場で本当によく言っていたそうです。
お客様から調理場は見えないからといって決して嫌な顔をして料理はつくらない、ここが一番大事なところ。いい加減にやったことは一度も見たことはありません。もちろん技術は大事で、技術がなかったらおいしいものはできません。しかし、お父様から教わったのは、技術も大事だけどハートはもっと大事なのだということです。
店の雰囲気はお客様がつくる
お客様が食事にどの店を選ぶかは料理のおいしさはもちろん、価格、さらにホールスタッフの力も凄く大きいと思います。
赤坂の四川飯店が入るビルの1階に、タクシーを待つ子供連れのご家族がいらっしゃいました。
料理がおいしかったのでしょう、皆さんとても満足気に楽しそうにおしゃべりされています。見ている私も和やかな気持ちになります。つくづくお店の雰囲気はお客様がつくってくださるものだと思いました。こうしたファンを四川飯店はたくさん持っています。
小さな頃、長屋で暮らした近所の人たちや料理人の思い出や「料理は愛情」と自らに厳しかった父から学んだことを大切に、志は一切ブレない。ファンの人たちが魅せられているのは、きっとこうした陳さんの人柄なのでしょう。
※この記事は2021年11月に取材したものです。
(2021年12月28日発行「素材のちから」第43号掲載記事)