やよい月明かりに、回想


卒論を提出した。
内容はスカスカで、
論理もぐちゃぐちゃなんだけれど、
とにかく提出した。

提出してしまったのだ、と思った。

その日は晴れていて、会場の7号館を出たのは16時半くらいのことだった。
午前中はプロジェクト室で、朝から卒論の参考文献欄をつくったり、文章を修正したりしていた。早く起きたのではない、寝ていないだけなのだ。
徹夜明けの霞んだ目に、朝日が眩しかったのを覚えている。

プロジェクト室で作業をしていると、昼くらいに、サブゼミの活動で後輩が集まってきた。トラライの表彰式関連らしい。あーでもない、こうでもないと、悩んでいた。ヘッドホンをしていて話さなかったが、ひそかに応援した。師走とはよく言ったもので、さむいのに、誰もかれも忙しそうである。

しばらく後輩の会話をBGMにドキュメントを編集していたら、Iが来た。彼女もまた、卒論の編集をしにきた。今日このあと、Sと待ち合わせをして卒論を提出するということらしかった。僕もそこに混ぜてもらうことにした。この関係は、当時の私にとっては、ほどよく心地よいものだった。最後にみんなで手直しをして、いよいよ提出という今日だが、ここまで書き進めることができたのは、半年間にわたりお互い励ましあったというこの関係があって、この人たちが支えてくれている、という勝手な信頼があったんだろう。ぼやけた思考で、脚注や参考文献表を書いていた。
1年次からの友人に感謝が尽きない。同じゼミに通えて、よかった。


卒論を提出してしまったとき、前向きな寂しさがあふれた。これから卒業するまでの時間で、どれだけ友人と話せるだろう。卒業してしまったら、もう金輪際合わなくなる人は誰だろう。社会人になる同期と、学生身分の自分が対比される。自分を自分たらしめる為に新天地で頑張らなくては。いつか会えたらまた僕が自分を好きなまま話せるように、とか思ってしまう。

大学時代が終わろうとしているなか、回顧する時間が増えた。グルメライターも、卒論も、レポートも、何かの為誰かの為の文章だった。自分の為に時間を使う、というと資格の勉強やら読書やらインプットばかり想像するが、こうして言葉、文章を書いてアウトプットすることが、僕は好きなんだろう。筆をとることや、文字を書くのも好きだ。最近さぼっているが、短歌を詠むのも好きだ。それでいて、会話は苦手だ。

**


こんなことじゃ私は、私自身の体験を語りきれないと思うが、3月24日の卒業式まで、その間にいろんなことが起こった。

ひとつひとつ、何かを象徴するような出来事だった。

ヤマに行った。一人で行ったし、そのあと友人や先輩と行った。
自分が遠くか細く消え入りそうな感覚がした。ここに踏み出していいのだろうか、とか、果たしてこの先に私の幸せはあるのだろうか。

私には何が残っているんだろうか。ふと考えた。
学期を八回も繰り返して、自分のなかに
積み上げてきたものが本当に残っているんだろうか。

実感はない。
それでもいいのかもしれない。いいはずだ。
表面しか見えないドリアの中身でやけどするように。

***

もう夏が終わって、一年が巡る。

卒業から六ヶ月、前の自分を取り戻しに
また新座へ帰ろうと思う、どこか秋晴れの月曜日に。





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