旅した夢
一日目
この「旅」の行く末を僕は知らない。しかし出発場所にするなら、この国の首都を象徴する駅舎がいいと考えていた。この旅の、最初の見所である。
八重洲や大手町の高層オフィス群を背景に、令和の時代に似つかわしくない、それでいてレトロで重厚なレンガ造りの東京駅。その駅舎は20世紀初頭、創建時の姿を、近年復元したものだ。背景として遠くから見ても、また、その中を歩きながら、壁の温度を肌に感じる距離で見ても、細部まで練られたデザインの美しさと優雅さには舌を巻く。
朝の7時19分の東海道線に乗り、新橋、品川、川崎…と、15両編成は大都市を駆け抜けていく。新橋と品川で、ほぼ満員だった列車は、乗客が8割ほどまでに空いた。改札へ続く階段をスタスタと登り、職場へ向かう忙しないスーツ服に、罪悪感と僅かばかりの優越感を覚える。多摩川を越え、神奈川県の横浜を出ると、乗客にスーツ服はもうほとんどいなかった。登校する振りをして遊びに行く学生の気持ちだった。
どこで降りようか。「旅」にとってそれは大きな問題であった。東海道は海沿いを進む。どうせ降りるなら、海のイメージがある、湘南のあたりにしようと思った。車内換気で空いた車窓から、列車のきしむ音と、潮の匂いがした。戸塚を出て、そうだ、向かいに座っていた人の降りる次の駅にしようと考えていると、目が合ってしまった。思わず目をそらした。視線のやり場に困ったので、カバンを漁り、偶然手にした本を読み始める。すでに遠く離れてしまった東京の話だった。向かいの人は辻堂という駅で降りた。
ちがさきと読むらしいその駅で、僕は改札を出た。思っていたよりも潮の匂いはしない。駅前のドーナツ屋さんで甘いドーナツを3つ買い、ここからどうするかを考えあぐねていた。駐輪場の見えるベンチに座ったので、自転車で海沿いを走るのは、とびきり良い提案に思えた。道端には、駐輪違反の短冊がひらひら舞っている。ジモティという中古品販売アプリで近くを探すと、偶然にも一台あった。値段は1000円。出品者に連絡を取り、歩いて引き取りに行く。駅から20分ほどの距離に、閑静な住宅地がある。その一角に、小さい庭の落ち着いた一軒家が佇んでいる。家主と思われるその男性は、礼儀のいい50代くらいのおじさんだった。新しく自転車を買ったので、古いそれを処分したかったという。玄関の前に、熟れた桜桃のように赤い新車があった。1000円を渡し、これからどこにいくんだ、と尋ねられたので、わかりませんが西に向かいます、と応えた。そうかい、車に気をつけてと、一つみかんをくれた。酸っぱかった。
年季のある自転車をこぎ、海の方に向かう。途中で茅ケ崎駅の線路を渡り、東海道に合流した。目の前は海だ。遠くの方になにか見えやしまいかと目を凝らしても、砂が入ってくるばかりで、とうとうあきらめた。風の強い日だったが、幸いにも追い風で、心地よい速さで走っていく。潮風がさびたネジ穴によく馴染む。強くペダルを踏むたび苦しそうな音がした。海沿いの崖を縫うように、蛇行する国道。アップダウンも激しく、悪戦苦闘しながら、長い下り坂を降りたそこは、熱海だった。
駅前のビル地下街の食堂に目をつけ、入ると大盛況で隅の方にあった一席に案内された。日替わり定食を注文し、提供されるとはやばや食べ、会計をするとその安いこと。観光地の食事というと、ぼったくりとまでは言わずとも、たいていは4桁を下らないというようなイメージ。だのに、驚きの500円である。
三浦半島付け根の山地を抜けるのはかなり堪えた。休み休み進んだので、4時間ほどかかったのを覚えている。青い空が白に黄色に赤に変わっていく時間帯にやっと三島を通り抜け、夜の始まる頃に沼津へついた。暗い海におどろおどろしいさざ波の音が響いている。牛めしチェーンで並盛を注文し掻き込むと、近くのスーパー銭湯で疲れを癒した。なるべく食事に、このなけなしの所持金を充てたかったから、野宿をするために寝袋を持ってきている。海辺の公園で一日を終えた。
二日目
朝日が海の方から登ってくる。朝には清らかで澄んでいて、どこか静かなイメージがあるが、海辺の町では潮騒が常に時間を包んでいた。子守歌であり、目覚ましだ。昨夜は旅をしていることを忘れるほどに、よく眠れた。海水浴客用のシャワーで顔を洗い、荷物をまとめていく。心なしか潮の匂いに、夜の爽やかな水分が潜んでいる気がする。
どこに行こう。この「旅」は次の行動をなるべく直前に決めることをモットーにしている。東海道沿いに西へ上れば、まあとりあえずは、なにか面白いものが見えるに違いない。決めないことは決して不安ばかりではなく、遥かに多くの可能性と希望に満ち溢れている。そう信じて、ペダルをこぎ続けた。左手には果てしなく続く海岸、右手に過ぎ行く宿場町。その間を道路は緩やかなカーブを描いて伸びていく。広い駐車場のコンビニは、青空によく映える。
4時間ばかりが経った。静岡も静岡の静岡市にいた。弥生時代の遺跡を見ている。2000
も前のモノがどうしてここのあるのだろうと、無論、昭和に当時の様子を再現するべく建てられたそうなのだが、これを弥生時代の遺跡です。と案内することは、何か違和感がある。これは弥生から令和までここにあったけど、昭和になって遺跡として名前を付けられたものです。とするのがいいかもしれない。
地図アプリを開くと、このすぐ近くに大きなサウナ施設があるようだ。全国から数多のサウナーがここを目指して整いに来る。彼ら彼女らにとって、ブッダガヤやヴァラナシのようなものだろう。その意味で言えば、整いとは悟りであるとかないとか。僕もその列に並び、沐浴に加わることにした。さながらガンジス川を目指す信徒の様相である。
サウナでのことは特に書かない。黙想を言語化することは、曖昧や蒙昧に四方八方からスポットライトを当てるようなことだ。不安定なままで幻想は保たれ、内心の安寧は守られるように、サウナで感じることを書かないというのは、そうすることがその神聖性を伝えやすいからだ。
施設を出るころ、あたりはすっかり暗く寒くなっていた、壮大な映画を見終わった後、なかなか現実に戻れないように、素晴らしい整いを経ると、自意識は日常空間でさえおぼつかないものだ。ましてや旅の途中なんて、自身を世界に括り付けるくさびを取ってしまったようだった。
コンビニに行くと、実はここを観察することで、その店が気の利いた店舗かどうかが判るのだが、地酒が置いてあった。200mlほどの小さな瓶と、明太子を買い、海岸へ向かった。マツが植わっている小さな公園のような場所だ。松ぼっくりと小枝を拾い、手頃な流木をロープソーで小さく切り分ける。勢いよく擦ったマッチをティッシュに近づけ、火がぼう大きく広がったのを、松ぼっくりに移す。組まれた流木まで、燃え移るには時間が少しかかった。彼方後方の山から柔い風が吹いているので、煙は暗い海の方に吸い込まれていった。
眼前にゆれる炎は、高く月に昇っていくことが嬉しいかのように、パチパチと弾ける。アルコールで体内が次第に溶かされるのを感じた。しばらく炎と明太子をつまみにしていたが、急に孤独を思い出したのか、とても悲しい気持ちになった為、火を始末し、何も考えないように寝袋に潜る。目を開けると頭上に月があった。綺麗で、それはそれは見事な、心を蝕む満月だった。
三日目
特筆すべき体験はないが、強いて言えば、朝起きるとそこにあった自転車がなくなっていた。すこし遠くに停めたからか、盗まれたらしかった。事実はフィクションより奇なり。仕方なく、歩いて静岡駅に向かった。駅員用の食堂なるものがあり、それは一般人でも利用できるようだ。安く満足する朝食を食べることができたのは幸いだった。なにより嬉しい。
東海道線は空いていた。ドアが閉まることで、現実へと引き戻された。苦労して移動してきた距離を、列車は軽々と通過していく。まだ新鮮ながらも懐かしさをも感じる風景。車窓はさながら走馬灯だった。これで「旅」はおしまい。いずれまた来るだろう。
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