秩父道中

『この電車は、ワンマン運転です。』

ガタゴトと進む列車の影が、森の地面を泳ぐ。
深い谷底の渓流に移ったそれを眺めていると、急に真っ暗になった。
一年半ぶり。

ふと、原風景が脳裏にかすむ。
雨上がりの谷から立ち昇る、雲霧の柱。
視界いっぱいに広がる青々とした水田。
入道雲を見上げながら、まっさらな紙に引かれた直線に、貸出自転車を漕いでいく。
夏の日の冒険、懐かしさが心を満たす。

私は再び、桃源郷を訪れようとしていた。
コオオと音がして、闇の中を車窓の照明のみが駆ける。警笛が響き、鈍色の曇り空が視界に飛び込んだ。それから列車はゆっくり減速しはじめた。

『芦ケ久保ー、芦ケ久保ー。』

あと何駅あるだろうか。
荒川が削る渓谷や、点在する民家は半時もすれば見飽きてしまった。
不摂生な生活、繰り返す倦怠な日々。
これを受験生の自分はどう思うか。

徹夜の疲れから、少しだけ目を瞑るつもりだったが、きっともうすぐ意識を手放すだろう。

列車が刻むリズムが心地よい。

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