文明社会の水平線

課題供養 


大学一年の夏、八月の最終日。快晴の海原に、小型漁船は線を描いて進む。潮風に舞う波しぶきが、眩しく光っては、手の甲を濡らした。左舷側のブルワークに腰かけ、海の遠くの方をよぎる名前も知らない島々を眺めていると、漁船の唸りがしだいに低く穏やかになり、波が岩場にはじける音が近づいてきた。前方に見えるは、無人島。その名は太島。

「なにかひとつ無人島に持っていけるとしたら?」と聞かれた経験は、誰しもあるだろう。しかし、実際に行くとなると、サバイバル生活に躊躇してしまう。もちろん私もそうだった。けれども、頭上に照り付ける太陽と、孤島をむさくるしい人類社会から分かつ穏やかな波が、脳裏に焼き付いて、今となっては、消えない。


瀬戸内の気候は、南欧の地中海のそれに似ている。温暖少雨で、カラッとしていて、過ごしやすいものの、裏を返せば、雨が少ない。さらに、太島は岩場が多く、雨水を蓄えづらいのだ。そんな話を、前を歩く友人から聞いた。ああ、持ってきたポリタンクを真水で満たしておいて、よかった。さすがに一人当たり二十リットルは、しんどかったが。


 海沿いの切り立った岩の間を縫って、浜を歩いた。あちらこちらに重なった流木には、丸太や小枝もあれば、どこかで加工された木材もある。ペットボトルと発泡スチロールが岩の隙間に潜り込んでいた。海洋投棄はよくないが、消費されて流れ着くのがこの島ならば、瀬戸内のやさしい潮風と太陽にゆっくり分解されて消えてゆくのならば、彼らも少しは浮かばれるのだろうか。燃えそうなものは、後で拾いに来よう。しばらく進んで見つけた、開けた岩場に荷物を下ろして拠点とした後、いそいそと浜に戻り、散策がてら流木を集めた。


やがて、西の方が薄紅色や橙に淡く染まって、夜のとばりが下りる頃。姫路の街あかりが、水平線に重なるように瞬くのが見えた。波に隠れては現れるのか、さながら朝露にぬれる蜘蛛の糸が、まっ暗闇に伸びているようで、心を奪われた。ずいぶん遠くに感じるが、あそこから船を乗り継いで来たのだ。島への上陸から、まだ六時間も経っていないのに、どこか懐かしい感傷に浸りながら、さざ波の歌を聴いた。緩やかに、時間が過ぎていく。


食事は意外にも豪勢だったのを覚えている。最初は持ってきた大量の乾パンをかじり、ひとまず腹は膨れるが、文明の味に慣れた舌は、満足しなかった。食事というより、栄養摂取に近いものだ。それから、友人らが蛇を捕まえたので、さばいて、網で焼いて食べる。これはたいそう好評だった。鶏と白身魚とを足して割ったような味で、直火で調理したためか、匂いも香ばしかった。


夜も深まり、焚火を囲む影法師がゆらり、揺らいだ。身辺のはなしに花を咲かせたあとは、徐々に口数も少なくなり、ひとり、また一人とテントに潜っていくのを見送った。思えば、この暗闇のなか、自分が視認できるのは、あの煌めく水平線と、眼前の炎だけだ。それを意識したとたん、急に世界から自分が抜け落ちてしまったように感じた。


生きていく社会を、その外側から、暗い世界から、ひっそりと眺めている。遠く文明に囲まれながら、見えない影にのまれないように、ともしびに薪をくべている。この灯りが消えてしまったら、自分の輪郭すらも見失ってしまわないか。自分を自分たらしめるために、炎を絶やしてはならない。燃える流木をぼんやり眺めながら、そう強く思った。


日常は、あの光の中に確かにあった。非日常は、この炎の中に見つけた。

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