色違いエーフィと色違いガケガニと、私の性格
私は色違いのエーフィが好きだ。
もちろん通常色のエーフィも美しいと思うが、
あのエメラルドグリーンの、輝くような毛色のエーフィが好きだ。
まるでアラビアンナイトの美女を思わせるような、煌びやかかつ上品な出立ちが好きだ。
だが、ブイズ全体で好きなのかと問われたら「人並みに好き」と回答する。
もし色違いエーフィやブイズが元々好きだったら、かつて行われたイーブイ大量発生イベントで、図鑑埋めのために最低限色違いを粘って終わり、なんてことはしない。
ロケーションや証、性別にもこだわって、終わらないイーブイ厳選をしていたはずなのだ。
私が色違いエーフィを好きになったのは、もっと後だ。
では何がきっかけなのか、というと実は、『残念な色違い特集』である。
簡単にいえば、なぜこの配色で色違いになってしまったというポケモンを、
まとめて紹介している動画だ。
様々なチャンネルが同じテーマで動画を作成しているので紹介は省くが、私はそのポケモンを見て「綺麗!」と思ったのだ。
それまでただ人気だね、で済んでいたポケモンを、やや面倒くさい手順を踏んでまで色違い厳選するに至ったのだ。
ガケガニも同じだ。
生息地の赤土色の峡谷に似つかわしくないビビットな水色をしている。
そこそこ強烈だ。最初こそ驚いたものの、
これでは待ち伏せしたとして見つかってしまうだろう、
そんな生息環境における弱さも愛おしい、と考えるうちに愛らしくなってくる。
何よりほっぺたの赤が色違いの水色で強調され、とてもチャーミングだ。
ここで自分のことを奇妙だと思うのが、
動画内で好きな色違いを貶されて反骨精神を働かせるでもなく、
もちろん共感するでもなく、ここが不人気の原因だと解説されているのも
一応動画を見ているから頭に入ってるにも関わらず、
「この子可愛い!人気ないの?ふーん。でも可愛いね!!」
という心持ちでいるのだ。話は聞いているのだが結論が食い違う。
おそらくではあるが、私の「自己中心的な側面」がそうさせるのだろう。
例えばマイナーキャラ、いわゆるファンが集まらないキャラクターを好きになることが(頻繁に)あるのだが、
例えば二次創作の集合絵でそのキャラの存在だけ忘れられた時も、
キャラクターグッズのラインナップから省かれた時も、
自分でも驚くほど何の感情も湧かないし、なぜ皆が嘆いているのかも、
理解こそするが共感ができないのである。
そのキャラクターに出会い、顛末を知ることで、私の中の好きは「完結」していてるのだ。グッズが出ようが出まいが、人気があろうがなかろうが、
私の中ではこの世に出ただけで100点満点なのである。
(もちろんそのキャラクターのに関して『動き』があれば迎合するが)
自分が可愛いと思えばこの子は可愛い。それで完結する現象が往々にしてある。
それゆえに同志とうまくコミュニケーションが取れないこともある。
時々自分の「好き」という圧で相手の「苦手」という意見をねじ伏せてしまっていないか心配になる時があるのだが、それにしても自分の好きな子は好きなのである。
その話をしてしまったら最後、「私は好きだよ」の一点張りなのだ。
今日もうちの可愛い色エーフィと色ガケガニは、画面越しに私の視線を一身に受けている。
好きな子が目の前にいて、その子を好きな私がいる。今の所はそれで十分だ。