見出し画像

デイ・ドリーム・ビリーバー

Ah 今は 彼女 写真の中で
やさしい 目で 僕に 微笑む

ずっと夢を見て 幸せだったな
僕は day dream believer そんで

彼女は クイーン


私の大好きなロックバンド THE TIMERS の
「デイ・ドリーム・ビリーバー」の歌詞の一節です。

あなたは、この曲を聴いて誰の事を思い浮かべますか?

この曲は、清志郎が亡きお母さんの事を想い書いた歌詞だそうです。


私は、母の命日が近付くと、気付けばいつもこの曲を口ずさんでいます。

母と暮らした日々は、今となっては夢のような時間となってしまいました。

あの日々は、陽だまりの中で優しく包み込まれるような懐かしい思い出です。


6年前、母が亡くなる1週間前の事です。
妹の誕生日を祝うため、実家にケーキを買っていきました。

帰り際、玄関まで見送りに出てくれた母は、
「今日は、ありがとう。〇〇くーん(私の息子の名前)また来てね!」と、あの優しい目で笑って手を振ってくれました。

あのとき、「これが最期になるかもしれない」とフッとそんな嫌な気持ちが私の頭の中をよぎりました。
何故そんなことを思ったのか分かりません。
そんな訳はない、そんなことになるはずはないと直ぐに頭から取り消しました。

その3日後、母から電話がありました。

「今日は、とっても良い天気になったなぁ。〇〇くんに会いたいから、お昼から顔を見に行っても良いか?」という電話でした。
息子は風邪を引いてしまい、母にうつしたくなかったので治ってから連れて行くと断りました。

それに、3日前に、会ったばかりだったのにどうしたのかな?とも思いました。

この電話が母との最後の電話になりました。

最後の電話から3日後、母は亡くなりました。


今でもわすれない。

父からの電話。
うろたえたような震える声で、
「お母さんが、冷たくなっとる。」

目の前が真っ暗になりました。

あまりにも急でした。

亡くなる前日、妹を連れて散歩にも出掛けたそうです。いつも通り、元気に暮らしていました。

突然すぎて、何年も母の死を受け入れる事が出来ませんでした。

「お母さんは、もう居ないのだと」受け入れるまでにとても時間がかかりました。

あのとき、息子に会わせてあげればよかった。
「うん、風邪引いてるけど、少しの時間なら大丈夫だと思うから。顔を見に来てやってよ。」
と、言わなかった自分を悔やみました。

きっと、なんとなく虫の知らせで、孫の顔を最期に見ておきたかったのかもしれません。

母の方から孫に会いに行きたいと言うことはそれまで一度もありませんでした。
あの1回きりです。

いつも言わないことを言うなぁとも思いました。


毎日、妹の看護で疲弊し、痩せ細った身体で最後まで必死にがんばってくれた母。
最後は、極度の疲労とストレスでご飯も食べられなくなっていました。

もっと私に出来たことがあったんじゃないかと。
何度も何度も後悔しました。

私は、自分の事でいっぱいで何の助けにもなってあげられなかった。

どんなに後悔したって母はもう帰ってこない。

しかし、きっと母は、望み通りの死に方ができたのではないかと思います。

天命を全うしたから、眠り姫のように美しく、安らかなまま静かに息を引き取ったのだと思っています。

全てが母の望み通りでした。

生前からずっと、言っていました。

「誰にも迷惑をかけたくない」
「苦しまず、眠るように死にたい」

誰にも迷惑を掛けず。
静かに眠ったまま。
苦しむこともなく。

それだけでも、良かったんだと思います。

今は、毎朝、母の写真の前で手を合わせて祈ります。

母は、変わらずあの日のまま。
優しい目で私に微笑みかけてくれています。

姿は見えませんが、ずっとずっとみんなの事を見守ってくれているのだと感じます。

お母さん
甘えてばかりの娘でごめんなさい。
お母さんが居なくなってから、甘え下手の私は、やっとお母さんに甘えられるようになりました。
不思議ですが、お母さんが生きていた頃よりも今の方がずっと近くなったような気がしています。
いつも見守り続けてくれて、ありがとうございます。


今日も投稿できた事に感謝します。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

今日という日が、皆さまにとって幸せだったと思える1日となりますように。




いいなと思ったら応援しよう!