見出し画像

それはただの固定観念かもしれない。

誰かの常識は、誰かの非常識。

うちの当たり前は、よそにとっては不思議なこと。

自分の固定観念は、誰かにとってはどうでもいい。



私の実家では、「納豆卵かけご飯」を「なったま」と言っていた。

私はそれが世間一般的なことだと思っていたけど、結婚して夫に言ったら「それ、初めて聞いた」と。

「なったま」はみんなが知っているものという私の常識は、相手にとっては違っていた。

これは小さなエピソードだけど(笑)

ありとあらゆる事がこの世界にはある。


だって、私の子どもの頃はタクシーの中でタバコを吸うことは常識だった。
(だから、タクシーがとても苦手だった)

電車で新聞を広げて読んでいる光景が当たり前だった。

ガラケーが当たり前だった。

少し前のことを思い出すだけでも、その常識と言われていたものはガラリと変わっている。

だからきっと、その時代の固定観念のままでいると、今の世界が生きにくいのだろうなぁ。

固定観念とは、過去の経験や知識によって個人の主観で固定化されたもの。

何かと何かが合わさったもの。

例えば、ハンバーグがでてきたとして…

ハンバーグ=美味しい
ハンバーグ=懐かしい
ハンバーグ=豪華

人によって、ハンバーグへの固定観念は違うよね。

いろんな思考もこんな感じで、人によってバラバラなのだよね。

この自分の固定観念が「正しい」と思い込んでいると、苦しくて生きづらくなったり、対立がうまれたりしそう。

逆に固定観念が解かれていくと、「あれ?別にいいじゃん!」みたいに自由になっていくし、相手に対しても寛容であれるイメージ。

(ここで言う自由とは、自分勝手ではなく、責任を伴う自由ね。)



私的に苦しかった固定観念は、特に育児を思い出す…。

・夜泣きはお母さんがみるもの
・赤ちゃんのお世話は大変なもの
・お母さんの方が頑張らなくちゃいけない

この固定観念があったから、二人目までの赤ちゃん時代が苦しかったし、ちょっと…記憶にないくらい…笑

まぁ実際、夫にはその辺頼れる感じではなかったので、かなり自分だけで抱え込んでいた。

両親も遠くて頼れなかったし。

これは夫婦で同じ自営では当たり前だけれど、自分が抜ければ、相手の負担が増える。

夫の仕事量が増えて明らかに疲れている…
私も育児でくったくただけれど、疲れているだなんて言えない…
夫がいない時に、辛くて泣く…
夫婦で余裕がなくなる…

一人目、二人目までは、どうしていったらいいかなんてよく分からないもんね〜…

最初から
・赤ちゃんが産まれたら仕事はできなくなるもの
・お互い頑張っている
・育児は人に頼りまくるもの
とかいう観念があったならば、もっと楽だったんだろうな〜。

そして、三人目に関しては
「まぁ、こんなもんでいいでしょ!」
と、私の固定観念も外れていったので楽でした。笑

しばしフェードアウト!とも宣言。

因みに、今は夫も成長して優しくなっております。



う〜ん

固定観念は、外すのか…?変えるのか…?

とにかく、自分自身に問いかけてみるのがいいと思われる。

「それ、いる…?」
「そこ、本当はどうでもよくない?」

そうすると案外簡単にどうでもよくなったりするもの。


いらない固定観念を外すことは、楽になるし、誰かに対しても寛容になれるしさ。


まだまだ私にも不要な固定観念があるんだろうな〜

ふと気づいた時に、自分に問いかけてみようと思います。

ではまた!


nön

いいなと思ったら応援しよう!