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「神さま」と神道の2〜神道って何?
神さまについては、私たちとは作りも生き様も違うけど、エネルギー循環やエネルギーミックスを通して関わり合い、共存共栄できる存在、みたいな感じで前回、話をしたけど。
それじゃ神道ってなんだろう、という話も、絡んでくるよね。でも、その前に。
私は「精神的・文化的背景として日本の基盤を成している神仏について」という観点で、いつも話をしています。なので、信仰や宗教に対しては全く専門家ではありません。そのため、もしも失礼非礼に当たることがあれば心から謝罪と訂正をします。
感情的なクレームに対しては「そういう設定での見方もあると、お考えください」としか申し上げられない辺り、ご了承いただければ幸いです。
と、一応の立ち位置、ご理解いただいた上で進めます。
神道は「惟神(かんながら)の道」とも言われますが、ものすごく平たく言うと「人間が神さまとお付き合いさせていただく上での礼儀作法・手順・心構え・考え方・受け取り方などの指南になるものの総称」だと、私は捉えています。
あんまり平たくなってないよ?と言われそうですが、要するに「神さまとのお付き合いルールブック」。これを知ることで、神さまのような気枯れなき生命体みたいな生き方に近づけるよ、っていう内容のもの。
神さまは「気」エネルギーの塊なので、「気枯れ」は「穢れ」どころではなく、本気で進めば速攻で、存在消滅の方向に話が進んでしまいます。
なので、そもそも「気が枯れる」前提はなく。満ちあふれるエネルギーで世界を維持するけれど、維持はそのまま「変化」なのが、この次元。
維持されている世界側の「自然界」、その中の「人間」から「気」を取り込み、自然界や人間へと戻して、循環させる。ここで、いわゆる「ご利益」の根源的なモノが現れてくるのです。
それは「季節の移り変わり」だったり、「芽吹き、開花、結実」だったり、「成長」だったり。
神さまが、正気に満ちながら循環して、順当な変化を起こす状態が、正に「自然な状態」つまりは「自然」なら。
そんな神さまと循環を起こして、私たちも正気に満ちながら、順当に変化できるように努めましょ?
そのためのルールブック、神道。知ってて損はないなぁ、と思いませんか?
もっとも、ほんとに詳しいルールは専門家が理解していればいい、というのも事実。この世の皆さんは、それぞれが何らかの専門を持っているので、神さまルールの専門家以外は、もっと簡単に。
例えば古事記をサラリと読んで、彼らも元は人くさいんだな、そこから、どう進歩したのかな、なんて辺りに見識があると、今みたいなエネルギーそのものになった彼らにも、馴染みや親しみも湧きやすいし、関わってエネルギーを回し合うのも楽しそう、ってね。なるかと。
ここから、神さまと神道の、大きな違い。
神道=極論すれば「ルールブック」には、いくつかの解釈ができてしまったり、ルールブックそのものが、改訂の中で何種類かに分かれたりして、それを扱う人の間で、トラブルが起きてしまうこともあります。
神さまは、変化する世界を維持するためのエネルギーそのものなので、人間がどう解釈しようが、「変化する世界を維持する」以外の、念や想いが絡んできません。
なので「神さまを祀る」行為と心そのものは、神聖で尊いものだと、個人的には思っています。この世界を維持する力に、素直に純粋に敬意と好意を表し、自分の非力を認めつつ、できること、やれることをもって世界に生きようとする姿は、とても美しいのではないかな、と。
それはね、何をどう祀るか、何より「誰が中心で祀るか」といった方面の話とは違う。もちろん、その話も3次元的には避けられない、苦悩大きところなのは、理解しつつ。
神さまと神道は、明確に異なるんだね。そんなことだけ、チラリと頭に残れば幸いです。
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