Motion Picture Soundtrack
案の定noteでアカウントを作ってからまともな事を書けたことは一度もない。何度かトライしたことはあるけど途中で断念してしまっている。そもそも自分から何かまとまったことを発信するということは難しいことだしうまく行った記憶はほとんどない。
元来自分は何か作品を見たり聞いたりした時にたとえその感情がプラスでもマイナスでも、はたまた特に感情の波がなかったときでさえ感想の大小に関わらず誰かと共有したい、話したいと思う性格だ。
これは自分の中であまりいいことだとは思っていない。なんだか子供じみているし自分の中で消化できるものはしたほうがおそらく今の時代はいいことばかりだと思う。共有するに手頃な人が近くにいれば全て済むのだろうけどあいにく持ち合わせていないし、しばらくできる気もしていない。これはその助けになればいいと思う。
前置きが長くなったけど、今日話したいのはRadioheadというアーティストによる『Motion Picture Soundtrack』という楽曲のことだ。
保険になるけどRadioheadのこともこの曲が収録されている『Kid A』というアルバムも、この楽曲そのものも、そして曲に対する感情も、全て何だか複雑なもので、まとめられる気は今の所しない。だからこそこうやって今noteを立ち上げている。精一杯やってみようと思う。
ひとまず楽曲以外のことは置いておいて言えることは自分がこの曲が本当に心の底から好きだということだ。
Radioheadの3rdアルバム『Kid A』を締め括るこの曲はそれまで並べられた楽曲とは一線を画す空気を放っている。『OK computer』の次回作としてRadioheadが放ったアルバムはエレクトロなサウンドでアプローチしたどこまでも冷酷で、極寒で、無機物的なアルバムだった。まるでジャケットの雪山にそのまま触れているような感覚を覚えるような。
しかしこの曲のイントロはアルバムを通して今まで響いていた雪山で吹雪く冷たい風や遠くから近づいてくる踏切の遮断機の音のそれとは違う印象を持ち、冷徹とは裏腹な暖かいオルガンのGコードで始まる。
そのイントロを聞くたびにまるで自分の体と現実世界の輪郭が曖昧になって溶け合うような感覚に陥る。形成している体の細胞が解けて空気と一緒になるような感覚。
そしてトムヨークは悲しいとも嬉しいとも言えないのっぺらぼうみたいな、それでいてオルガンと一緒に混ざり合うような優しい声でこう歌う。
Red wine and sleeping pills
Help me get back to your arms
Cheap sex and sad films
Help me get where I belong
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
境目がなくなっていく感覚は2バース目に入ってから加速する。美しいハープの音色がそれはまるで乱数で弾き出してるみたいに、ともすると子供が出鱈目に弾いてるようなバランスでかき鳴らされている。曲の初めでは空気と一体化した体が、2番になると今度はコンピューターの0と1の世界に溶け込んだような感覚になる。これは正真正銘アルバムのラストナンバーである『Untitled』にも通じることだが、まるでwindowsの起動音みたいに美しいサウンドがどこか幾何学的で冷たい空気を帯びている音がする。トムヨークは次のように続ける。
Stop sending letters
Letters always get burned
It's not like the movies
They fed us on little white lies
I think you're crazy, maybe
I think you're crazy, maybe
I will see you in the next life
歌詞についてはいろいろな考察がなされている。最後の一節から”自死”についての歌だという見解が一般的だがトムヨーク含めRadioheadのメンバーはそれについて言及したことはないらしい。僕の見解では1番と最後の1文を歌っている人物、そしてその間にいる人物の2人が登場していると思う。
正直自分には赤ワインも睡眠薬も安いセックスも感覚として持ち合わせてはいない。映画は好きだけど悲しいのは好んでは見ないし、それによって誰かの腕に抱かれているような気にもならない。だけどここからは生きづらさと救いを求めてる姿勢みたいなものが醸し出されていると思う。そしてその感覚はなんとなくわかる。
映画を見ることは延命措置なんだと思う。誰かの目を通して景色を見ることで今自分の立っている世界はシャットダウンされる。そうやってこの曲の主人公や僕達はなんとか生きながらえている。すがっているのだ。そう思う瞬間がたまにある。それはおそらく全てのエンタメやカルチャーもそうだと思うし、これを歌っている人にとっての赤ワインや睡眠薬、セックスも同じことなんだろうと思う。
それに対してもう1人の人物はまるで逃避を辞めろと言わんばかりに2番で否定している。手紙はおそらくもう1人が送っているのだろう。そうすると先程の人物はこのもう1人の人物にも救いを求めていたのかもしれない。しかし手紙は燃やされ、映画なんていう嘘で生き延びていないでしっかりと地に足をつけろと告げている。相反する2人はお互いを頭がおかしいと言い合い、主人公は「また来世で会おう」とトムヨークのファルセットに乗せて告げ、この曲は終わる。歌詞に対してはそんなようなイメージだ。
漂うのはこの世界に対する諦めのような感情。もしも主人公に”死”が訪れていたとしたら感じていた溶け合うような感覚や、ファルセットと奇妙な低い隙間風のような音とともに歌われる最後の一文も筋が通っている気がする。逃避をして現実から離れている感覚や死は、世界と1つになると感じた私の感覚とあながち間違ってはいないのかもしれない。
なのに、なぜこんなに聞いていて心地いいのだろうか。不思議なことに死とも感じられるこの曲から、僕は日々大きな活力をもらっている。来世で会おうと告げられている間、その美しさから自然に涙が溢れる。本当にまさしくそれは昇天しているみたいに。でも間違いなく僕はこれを使って延命措置をしている。不思議だし皮肉だなと思う。この曲を聴いているときは世界と自分が切り離される。立っている場所からどこかへ飛んでいく。
もしかするとそれは逃避かもしれないし地に足をつけていることかもしれない。世界と一体化することは、死かもしれないし生かもしれない。僕の頭が狂っているのかもしれないし、今生きている世界の方が狂っているのかもしれない。そしてそう思うことは生きる力を僕にくれる。
予想通りまとめられている気がしないけど、この曲は僕にとってそんな曲だ。このMotion Pictureを僕はおそらくずっと見続けるだろう。
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