焼き物という言葉について
父が陶芸家であるので、私は陶芸について話すことがあります。また、自身のパフォーマンスや展示作品においても焼き物と関連していることがあります。
私自身は高校の途中で焼き物の修行をやめてしまったのですが、その後は彫刻へと進みました。それからはある程度意識的に焼き物から遠ざかり、ドイツに来てからまた改めて現代美術を学ぶということになってから、自分の中にある感覚に焼き物からの影響を認めざるをえなくなりました。
私は陶芸家ではないが、焼き物に関しての作品も作る作家であるという自己認識に今のところ落ち着いています。
ドイツ語で話していると、「焼き物」という言葉(ここでは陶のことを指す、魚などの焼き物ではない)を使うときに、二つのことを区別せずに話してしまっていると気が付きました。ドイツ語ではそれらの二つは明確に区別して言語的に表現しなくてはならないです。もしかしたら、自覚的に区別しながら話している人もいるのかもしれないですが、自分はそうではなかったようです。
下の例文を一度読んでいただきたい。
「私は、自分の展覧会で焼き物について話しました。その時は父の作った焼き物を手にもち、焼き物の歴史と焼き物の今後を体現するべく作られたいろいろな焼き物について話をしながら、最終的にこの父の作った焼き物になにをのせるべきか、ほかの人々に意見を求めました。」
上の例文では、焼き物という言葉が、焼き物という概念(またはジャンル)と焼き物の器そのものの意味の両方で使われています。以下にその区別がわかりやすいように書き換えてみます。
「私は、自分の展覧会で陶芸について話しました。その時は父の作った陶器を手にもち、陶芸(もしくは陶器)の歴史と陶芸(もしくは陶器)の今後を体現するべく作られたいろいろな陶器について話をしながら、最終的にこの父の作った陶器になにをのせるべきか、ほかの人々に意見を求めました。」
実際には、ものについて話しているのか、ジャンルについて話しているのかどちらでもいいという場合(文章中頃)もあります。しかし、このモノと概念を一緒くたにして話してしまっていることがあることに気が付いたのは、自分にとって興味をそそられる出来事でした。