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ジェラシーで構成されている
最近また少しずつ様々な仕事の再開が増えてきた。
MV撮影やったり、写真撮影やったり、デザインやったり、宅録で楽曲制作やったり、、、(自分でもなんでもやりすぎやろと思う)
こうゆう風に色々やってるから周りに悩みとか無さそうとかやりたい事たくさんあってええなぁとか羨ましい感じで言われんねんけど、ええことばかりでは無い。楽しいし総じて幸せやけど、未だに他者に対してのジェラシーがすごい。自分がやっていることはジェラシーと好奇心と自己承認欲求が根本にあって、たまに爆発してもがくことが活力になってるんやろうなと最近ふと気づいた。
先日仕事で某大学のミスターコンに出場する後輩の写真撮影をした。
実を言うとミスターコンなど美男美女を投票で決めるような風習がどうも苦手。我らホモサピエンスは十人十色であり、好みも賛否両論であると言う自論があるから順位をつけてどうすんねんっと。(あくまでもおらの考え)
そんな自分を俯瞰して見てみると結局「ジェラシー」やった。
自分がそのようなコンテストに出れるような分際でないと言う事実を受け入れ、劣等感を抱き羨ましく感じてしまいアンチテーゼへと変わった。
(いと惨めなり)
だがだが、まあそんなこんなで自己解決した上で大事な後輩やし応援したいと言う気持ちの一心で撮影をしたら中々楽しく、良い撮影できた。
撮影の動機は人情というか社交辞令的な気持ちやったけど、撮影自体は意外と「ジェラシー」が活躍してくれた。
「顔小さくてええなぁ。。。」
「身長高すぎやって。。。何頭身あんねん。。。」
「おっほぉ。鼻筋がくっきり。。顎のラインがシュッと。。。」
みたいなことをブツブツブツブツ心の中で唱えとったら、自然とその羨ましいと思うことが「魅力」であり「美しい」となり、そこを撮りつづけていた。
最も尊敬する写真家のソール・ライターのお言葉を思い出した。
写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ。
自分なんてまだまだやけど、少しだけ贈り物にすることができたのでは無いかと。「時折」っていうのがまた課題になりそう。
自己評価するんやったら、心のときめきを写真に納められたと思います。
よくできました。ありがとう後輩。いつまでも応援しとる。
以上。素人一般人の独り言でした。
サンキューベイベッ