(5/10)カタール日記 36日目
2024/5/10(金)
アッサラームアライクム!
シンガーソングライターをやってる妹 さとう。がですね、現在7ヶ月連続曲をリリースするという企画をやってまして。
毎月10日にその曲がリリースされます。
今回の曲はこちら。
さとう。- ステージ【Music Video】
はい、ステージという曲です。
ステージ4のガンにかかり、病院で余命宣告を受けた子の非情な運命に対し、その友達?恋人?が神様や閻魔様を相手取って嘆き叫ぶ。「あの子の”ステージ”はここじゃない」「あの世に”ステージ”はあるのかい」
まだPVが出来上がる前、この曲を聞いていたのですが、
ふと気になったので質問してみたんですね。
「ねえ、この曲は女の子に向けた曲?」
すると
「実は、元ネタは男の人んんだよね」
そうなんだ、と思い詳しく聞いてみました。
その時に話してくれた内容とほぼ同じものが
本人執筆で別のサイトにて書いてありますので
その一部を紹介させていただきます。
よく、芸術やアートに関わる人たちの中で
「なんかが降りてきたようだね」「降ってきたからかけたんです」
みたいな話をよく聞く。
それはもしかしたら、神の囁きとかではなく
もっと歌いたかった誰かが、その人たちに向かって
投げかけているのかもしれないですね。
じゃあ、誰がそれを受け取ることができるのか。
その声や歌や感性を受け取る資格があるのか?
それは「祈り続けた人」なのではないかと。
一曲何か曲を書いたって、それが売れる可能性は限りなく低い
じゃあ2曲なら?10曲なら?100曲なら?
具体的な数値目標などない芸術の世界で
何をどうすれば、心揺さぶる作品を生み出せるかなんて
そんなのわかりません。
こちらが一方的に投げかけ続け、訴えかけ続けるしかない、
それはまさに、宗教的な「祈り」に近い行為。
思えば教員だってそう。
目の前にいる子どもたちに向けて、全力で伝えたメッセージや
与えた行動の成果が、何かの形で花が咲くのか、それがいつ咲くのか、
いや、そもそも咲かないのかもしれない。
じゃあ、自分の働きかけが何かになるわけじゃないかもしれないから
子供達への働きかけをやめるのか、答えはNO。
教師はかなり、聖職者に近いのかもしれない。
神も仏も置かれた環境も一旦関係なく、
自分の信じてやった行いが、
自分の中、誰かの中に降ってくるよう、
今日もひたむきに、生徒と向き合います。
ではまた!イラリガ!
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