一億総”被害者”社会の考察
好きな芸能人がThreadsというSNSを始めたので、ダウンロードした。
いまいち、よくわかっていないが、インスタのテキスト版とのこと。
なら、Xで良いのでは?と思うが、違いがよくわからない。
数週間くらい、その芸能人だけフォローして眺めていた。自分からは何も書き込んでいなかったものの、その芸能人以外のポストが勝手に流れてきて、その内容があまりにも治安悪すぎて、その芸能人には悪いがアンインストールしてしまった。
男vs女、嫁vs姑、新参vs古参、子育ての愚痴、社会への愚痴…
全く望んでもない読みたくもないポストだらけで、流石に気が滅入る。
クスッと笑えるポストや、かわいい動物の画像だけが流れてきたら良いのに。
それにしても、勝手に流れてくるポストを見てると、被害者側の発言ばかりのように思える。
旦那の言葉に傷ついた、妻の言葉にやる気をなくした、友達の言葉が酷い、義母が気持ち悪い、男が無理、女が無理、全て老人のせい、会社がブラック、教え方が悪い、Z世代がありえない、昔の夏と一緒にするな…
かくいう私も、こんなnoteを残しているので人のことは言えない。
本来なら、被害者がいれば加害者もいるはずなのに、そのバランスがSNSでは明らかにおかしい。被害者が多すぎる。そんなに世界はブラックなのだろうか。理由を考えてみた。
加害者は傷つけたことに気づいていない
これはよくあるケース。鈍感力発揮である。
「(お前は)まだ新採で、使い物にならないんだから…」と枕詞のように何度も先輩に言われたことがあるが、きっと言った本人に悪気はないのだろう。正論だとしても、傷ついた。
いじめでもパワハラでも、それが悪いと気づいていないケースは多い。
人の気持ちに鈍感だから、いじめてしまうのかもしれない。
加害者はSNSに書かない
”インフルなのに出社しろと言われた”というポストは見ても、
”部下がインフルで休もうとしてたが甘えてる。出社させたった”みたいなポストは見ない。
書いたら叩かれるとわかっているから書かないのか、書くほどのことでもないと思っているのか、もしかしたら流れてこないだけで、そういうポストは沢山あるのかわからないが、体感としてこのようなポストは少ないように思う。
被害者ポストに比べて、詳細に説明を書かないから気づかないのかもしれない。”あいつ甘えすぎ”とだけポストしているのかも。
そもそも加害者が居ない
これが、近頃では大きい気がしている。
サッカー選手が審判に対して大袈裟に痛がってアピールしている姿を見ているかのような。SNSではあっちこっちで痛がってる、いや痛がっているどころか仲間を呼んで声を荒げているから、観客として見ているのもしんどい。
これも2つに分類できる。
被害者意識が強すぎる
え、こんなことで死んでしまうの…?というスペランカー体質。いや、というよりも地雷がどこに埋まっているかわからないに近いか。そこまで配慮しないといけないの?というパターンである。
年下の先輩が懇切丁寧に教えてくれたことに対して「年長者を馬鹿にしている。年下のくせに」みたいな。かつて市の公式H Pに載せた写真で、たまたま女性がピンクの服、男性が青い服を着ているという写真があったのだが(本当に私服がその色だった)、それに対して「男女差別」的なコメントがついたことがある。えー…
嘘松
これもあると思う。
〇〇という主張をしたすぎるあまりに、架空のストーリーを作り上げて投稿してしまうパターンだ。自分が不愉快に思う事象を世に知らしめたいあまり、存在しないブラック上司を作り上げているのではないか、と思うことがある。もしくは、行きすぎた承認欲求が理由かもしれない。
これに対して、あまりにもできすぎてる場合はSNS上でも突っ込まれてしまう。そのため、後出しの情報が多くなる傾向にある。逆に、本当のことを書き込んでいるのに「後出しで、すみません」と謝っているのは、本来謝ることでも無いのに、おかしな現象である。
まとめ
以上をベン図で表してみた。
左上の丸は、嘘松である。
このnoteは、公務員時代に私が思ったこと、考えたこと、だけど外では言いづらいことを発信する場として始めました。(守秘義務とか色々法律に反しない範囲で)(とか言って、今回のnoteとか公務員関係ないし、早々に公務員ネタは尽きるかもしれないけど)
じゃないと、12年間で作るだけ作った感情や思考が無駄になるような気がして…。
多分、これからの私のnoteも被害者感満載のものになると思いますが、嘘松は無いように心がけます。
※個人の特定防止等のため、本筋を妨げない程度のフェイクは入れています。