卒制テーマの背景
こんにちは、おしょうゆです。今回は卒業制作のテーマの背景について書いてみようと思います!
大学4年間のなかで見つけた、
「自分なりのデザインの1つの見方とMission」
今回の卒業制作のテーマには大学4年間のなかで見つけた、自分なりのデザインの1つの見方が大きく関わっています。
一応4年間環境デザイン学科の学生として大学生活を送ってきて、なんとなくデザインには「つくる」と「つたえる」の2つの側面があるということ、そして「つたえる」デザインは様々なモノ・コトが社会で機能するために必要不可欠な要素であることがわかってきました。
わたしはプロデュースコースという社会問題などに対する企画やアプローチを考えるコースに所属しているのですが、堂々と「4年間デザイン学んできました!」とは言えないものの、主に「こと(=つたえる)」デザインに触れてきてみたことで、なんとなく自分は「つたえる」デザインのほうが好きだしやりたいなと思っていることがわかりました。
また、去年1年間Webサイト制作でディレクションとして活動する機会を持ってみて、自分がやりたいのは「つたえる」デザインのなかでも「情報を整理してわかりやすくすること、繋げること=可視化すること」が好きで、モノをつくることは苦手だけど、これから社会で生きていくなかで可視化して繋げることなら自分にもできるんじゃないかと思うようになったのが今回の卒業制作をやろうと思った大きなきっかけの1つです。
今回の卒業制作では、自分なりに見つけた「可視化して繋げること」というMissionを青春基地のWebサイトを制作する過程で対話を通して実践していくことに挑戦したいと考えています。
---
私たち世代の「やりたいことがわからない」というもやもや
もう1つ、じぶんのなかで大きな課題として私たち世代の「やりたいことがわからない」という現象があります。
私は大学3年生後期の演習でこの現象について考えていたことがあったのですが、ちょうど大学卒業後の進路やこれからの将来のことを考えるタイミングに差し掛かってきており、自分の周りで「やりたいことなんてわからないけど、なにか見つけなきゃいけない」みたいな義務感に追われて思考停止していく子たちを多く見ていてなにか前向きに自分のことを考えられるようになる方法はないのか、というところから企画を進めていきました。
リサーチを進めていくうちに、「やりたいことがわからない」という現象は
・「〜しなければならない」というMUST(外発的動機)に縛られすぎて自分の欲求(内発的動機)を認知できなくなっていること
・自己認知ができないことでじぶんがどんな役割で行動できるのかが想像できないこと=未来への漠然とした不安
などが関係して起こっているのかもしれない、ということがわかりました。
学校や会社、家族など身近な環境で正解や普通を求められること、集団生活のなかでの周りの目など、じぶんの気持ちややりたいことをセーブしなければいけない場面はかなり多くあると思います。
そうした場面に慣れすぎると自分の内発的動機になかなか気づけなくなり、もし自分がやってみたいことに気づいても、認めたくなかったり、やってみることへの恐怖も高まるんじゃないかと思います。
以上の考察をもとに3年後期の演習では、この現象に対して「じぶんのやりたいことをとりあえずやってみる場」を提供するという企画を提案しました。
しかしながら、今になってそもそも「やりたいことがわからない」と苦しんで思考停止してしまう状況の子にとってそういう場に参加すること自体のハードルが少し高いのかも、と思い始めてきました。
また、やりたいことがあってもそれを実践するためになにが必要で、まずなにからはじめたらいいのかということを知る機会を見つけるのもだいぶ難しいことなんだということもわかってきました。
今回の卒業制作では、自分自身をロールモデルとしてnoteの記事を通して「どんな流れで物事が進んで、どんな変化があって、なにに悩んでどう行動したのか」ということをそのまま伝えることで漠然とした不安を持っている子の心理的負担を少しでも減らすことができたらと思っています。
---
今回は以上です!
私の卒業制作を通して1人でも、前向きにじぶんのことを考えられるようになりますように。
【お知らせ】Webサイトを公開しました。