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青い星を見上げた空
星…
星座、流れ星(TwinkleWay)、一番星、勝ち星、星川…
まあ、意味はあれど色々連想はするとは思います。
どんなに雲がかかっていてもいずれは夜空を照し、私たちを導いてくれる存在だと思います。
横浜DeNAベイスターズ、26年ぶりの日本一
長く苦しい時代を見てきて、それでもなお横浜ベイスターズを応援してきたいたファンの備忘録です。
きっかけ
西沢のそもそも野球に興味を持つきっかけを考えてみますと、父の実家は川崎の南部で多摩川に近く、河川敷で巨人の長嶋が練習をしているところを見てきて、テレビは日テレで巨人戦が流れているような庶民的な暮らし? って感じなので、それに引っ張られるように、西沢宅も巨人戦が流れていたものでした。
しかし、私自身が野球好きかといわれるとそうではなくて自分が好きなテレビ見ているときにCMが入ると父が突然チャンネルを4chに変えて「なんで変えるの?」みたいな事になってどちらかと言うと野球を見るのは嫌な少年だった気がします。(神奈川に住んでるから横浜ファンが多いかって言われるとテレビでは巨人戦が流れるので巨人ファンが多いですし、伝統の一戦として阪神戦が流れることが多かったので、県民でも阪神ファンと名乗る人も多い感じですね)
そんな西沢少年が野球に興味をはまるきっかけになったのはこれもなにが因果かテレビに流れていた日本シリーズな気もします。当時強かった巨人のV3の黄金期を見て、散々テレビのチャンネル争いで嫌な思いをしてきたはずなのに、野球面白いじゃんとなった感じです。
当時の巨人といえば、1番坂本 2番松本 3番小笠原 4番ラミレス 5番阿部 と3,4,5番の破壊力といえばどこから見ても強い字面で、特に打てる捕手として阿部選手が好きになったような感じですね。(今の巨人の監督で阿部なので特に敬意と因縁というものはちょっとあったりはします)
じゃあ、ここから巨人ファンになるかというとそうではなくて、弱小のベイスターズファンになっていくかというと新聞のタダ券でハマスタに行ったことだと思います。
何回目の観戦か(初めてか、2回目か)ちょっと記憶が曖昧ですが2009年の8月の中日戦に行ったことがあるのですが、ベイスターズの子ども向けの豆知識なんか入れたガイドマップを配っていて、それをみてベイスターズに興味を持ったような感じですね。(今でもスタジアムの楽しみ方~みたいな冊子を試合によって配っている感じなのでそういうガイドマップあると球団により興味を持ちますよね…って)
それと、応援カードを配っていたので、結構覚えました。(応援カードで応援歌覚えたのも大きかったかもしれないですね)
そんな、中日戦は例に漏れずぼろ負けだったのですが、工藤ちゃんが出てきたときの謎の大歓声と佐伯貴弘選手の150HRメモリアルアーチと色々印象の強いゲームになって、余計にドラマ性を感じ、ベイスターズに興味を持ち始めたって感じです。
最初に印象的で覚えたのは吉村選手の応援歌、「ユウキ! ユウキ! ねらえスタンド遥か」これがほんと好き
「ダンジョンソン」 以前から外国人選手に時々使われていた応援歌(だったはず)結局、ジョンソン以降、2023年まで使われることがないという悲劇に見舞われているせいで私の中では今でもジョンソンの応援歌という頭でいますね。
そんな不思議なベイスターズを見つめる日々が始まった私、
ついでにバットやグローブも買って、家の庭で素振りをしたり、壁にボールを投げたり、父とキャッチボールをするような感じになりました。(ただ、もともと運動神経のないわい、結局運動部に入ることはありませんでした)
私がベイスターズに興味を持ち始めると次の年くらいから徐々に不穏な空気が流れることになりました。
球団身売り問題
次の年、尾花さんに監督が変わりました。
巨人の投手コーチが監督になることで投手力が良くなるのかなとにわかに思っていたのですが、ぼろぼろのぼろで最下位。(先発が持たな過ぎてマシンガン中継ぎとか揶揄されていましたね)
家族が、一人暮らししていたので、部屋に押し掛けた7月18日の巨人戦、新外国人のハーパーが9回の裏に逆転サヨナラ満塁ホームランを打っているのを見たのが、すべての希望でした。
あと、偶然ハマスタに行った4月18日の阪神戦で金本知憲選手がスタメンにいないという事で、連続試合フルイニング出場が途絶えた試合だったという事で衝撃を覚えた記憶があります。
ホントにそれくらいしか、あとは負けてばっかり…って感じです。
そんなオフに差し掛かるころ、衝撃の話が上がります。
横浜ベイスターズ身売り問題
これは、TBSが球団を売却するというお話でしたが、有力だったリクシルの話がまた衝撃でした。
~フランチャイズを横浜から新潟に移動する~
???
これにはさすがに嫌だなと思いました。確かに、首都圏にはセリーグだけでも巨人もヤクルトもあるし、横浜ファンは少ないし、横浜スタジアムは儲からないし、新潟の球場はハマスタをまねて作っていて環境もいいのかもしれない… でもベイスターズは横浜だからいいんだと思いました。でも小学生から中学生に上がるころのわい、そんな球団売却がないことを祈ることしかできませんでした。結局、この話は当然の如くフランチャイズの移動が良くないと横浜の経済界の意向でご破算となりましたが、この時のファンのもやもやをDeNAから好きになったファンは知っていて欲しいですし、横浜に今も球団があることは当然の事じゃないんだよっていうのは頭の片隅に置いていて欲しいなとは思っています。
中学時代の私(当時から保土ケ谷区住です)は巨人ファンや阪神ファンに囲まれて、巨人ファンからは「横浜弱いじゃん、なんで応援しているの?」くらいのことを平気で言われて、心が折れそうになることもありました。
それでも、生徒会の先輩にベイスターズファンの人がいて中学校で一緒に「WINNING」を歌っていたことは今でも明確に覚えています。
そして、次の年、
内川も消えたチームはどんより曇りって感じで安定の最下位…
ノリさんが来た!ってくらいしか印象に残っていないですね。
あと国吉なんかいいな? とか加賀繁中継ぎかぁ…
村田は一年お情けで残ってくれましたが、出て行って欲しくないなとも思いつつ、この状況じゃあ出ちゃうよなとも思っていました。
そして、この年、DeNAへ身売りすることになります。
この年のファン感謝祭、TBS時代最後の年で村田の横浜慰留を願ったものですが、そんなことはなく巨人へ旅立ち、前情報でラミレスがくるかもっていう話もあったので、ぜひ来てほしいなとも思いつつ、見ていました。
あと、DeNAってなんの会社なの?ってモバゲーか、、、姉の携帯で散々遊んだ奴じゃん知ってる…ってお話でソシャゲって儲かるんだな…って思いつつ、そんな一時期の会社が球団もって大丈夫なのかよ…って感じつつ、来年へと駒を進めます。
DeNA時代~熱いぜ横浜DeNAベイスターズ~
初年度(2012年)のベイスターズは私自身高校受験時期だったので、あまり追っていないのですが、中畑監督の熱さは伝わってきました。
長年の最下位によりどんよりとしたチームにカツを入れて、チーム作りに苦労したと思います。
そして、2013年の3月、高校も無事権太坂にある高校に決まり、部活をどうしようかなって思った時に一瞬吹奏楽部に入って、トランペットやって星覇会に入ったろうか? くらいのことも一瞬頭をよぎりましたが、そんな熱量はなく友達と一緒に文芸部に入部。(ちなみに正史はこうなりましたのでこちらをご覧ください)
ある意味、分岐点だったと思います。スマホゲームにはまらずに、吹奏楽をやっていれば、野球応援マジでしていたと思いますし、今頃区民まつりがどうだとか、シャニは思想だとか言ってなかった気もしますし、運命って怖いですよね…???
まあ、そんなことは置いておいて、初めてユニフォームを制作、配布を行った「スターナイト」
ユニフォームが配られると聞いて、私は初めて一人でハマスタに足を運ぶことになります。
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今では、夏の名物詩となったスターナイトですが、私は2013年にいきました。この時のハマスタが青に染まる光景に感動して、より横浜を応援したいと思った記憶があります。また、ちょうどこの時くらいにTwitterを始めていて、横浜ファンとの交流を持てたことで応援のモチベーションが上がりました。このころから\横浜優勝/のスラングはあって、勝った時には引用リツで勝利を互いに喜び合いました。
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2014年の3月横浜高島屋前で行われた決起集会、中畑監督と三浦選手(当時)、キャプテンの石川雄洋選手(当時)などが参加し、中畑監督の熱い言葉に今年こそはAクラス! 優勝! と盛り上がりました。
さて、西沢はこのままこの勢いで横浜ベイスターズを熱狂的に応援するファンになっていたかというとそうではなかったというオチが始まる年です。
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こいつがデビューしていつの間にか追いかけが始まったため気が付いたら、ベイスターズ追いかけるよりもDBスターマンもどきの「たぬき」を追いかける生活が始まるのでした。(あと、受験も意識し始めたからね)
2014年のベイスターズも5位でしたが、何れは上に上がるに違いないとそう誓ったシーズンでした。
2015年は受験生なので、追えていなかったのですが、中畑監督が続けて欲しかったものの、チーム成績の不調により、辞任したという事で残念でしたが、次に就任するラミレスが黄金期の巨人をみて育った私にとっても勝ちに行く姿勢が強いことと、ホームランを打った時の明るい性格でチームを引っ張っていけるかもしれないと期待していたところです。
実際、2015年以降から育ってきた選手が活躍し、順位を上げていき、ファンもどんどん増えていきます。横浜スタジアムの保有に対しても運営会社の株をDeNAがTOBにより70%以上確保することで主体的に運営できるようになり、球団の収益も改善、選手の強化にもつながり、暗黒期から抜け出すことに成功しています。
ラミレス政権と2017年の歓喜と喪失
2016年ラミレス政権になると、倉本や戸柱といった選手が多く起用され、ラミレス色の強いオーダーに結構驚かされた記憶もあります。(高城選手が好きだった私は、戸柱が多く起用されるので、なんか悔しいと思いつつ見てましたが)(あと、この年に三浦選手が現役を引退しましたが、女房役に高城選手、後任に加賀繁投手と、好きな選手たちを指名してくれたのでさすが、番長と思いつつ見ていました)
そんなこんなで、DeNA初めてのAクラス入りを果たし、初めてのクライマックスシリーズに進出、ファーストステージは勝ち切っていて「ホストシーズンの横浜は強いんじゃない??? このまま日本シリーズ行っちゃうんじゃない???」と期待していましたが、そんなに甘くもなく、ファイナルステージで敗退と無念。次の年に勝利を誓いました。
そして、運命の2017年、ベイスターズは3位になり、クライマックスシリーズへと進出、甲子園での二位阪神とのファーストステージ
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この時は雨でぬかるんでいる中の試合(10月15日の第二戦)パブリックビューイングも雨の中開催され、寒空の中大学の合唱サークルのメンバーと観戦していたのを覚えています。(その後、ジョイナスの大関に入った話は相鉄瓦版のジョイナス50周年特集をご覧ください🤔)
途中、マウンドがぬかるんでボールが内角へと向かい、かわした筒香選手がスリップするなど、異常な雰囲気ではありましたが、この試合が開催されなければ、16日の天候のほうがまずいと判断され予備日で決まらなかった際の2位チームの勝利規定が発動し、阪神がファイナルに行くことが明確に分かっていて、それでもなお試合を続行しなければならなかったのです。まさに背水の陣(すでに水たまりだったけどね)
そんな水際の戦いを勝ち抜き、勢いそのままにセリーグ一位の広島に勝って、DeNA史上初めての日本シリーズへと進出しました。
相手はソフトバンクホークス、明らかに強いことはわかっていました。
でも、今まで日本シリーズに進出したベイスターズは60年と98年の2回とも勝ち切ってもいる。これは勝てるかもしれない。私はそう信じていました。
しかし無情にも絶対的王者は1,2,3戦とベイスターズを圧倒し、このままハマスタで悔し涙を見てしまうのかと追い詰められていました。
しかし、4戦の濱口、高城バッテリーが快投を見せて、勝利すると、続く5戦も接戦をものにし、ハマスタでの胴上げを阻止して、このまま逆転で日本一になれるのではないか?
横浜ファンは誰もがそう願っていたに違いありません。
そして、運命の第6戦
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ソフトバンクに先制されたものの逆転し、これならこの試合勝てると実感を持てました。しかし8回に打たれ、1点差とされて、
9回マウンドには守護神山崎康晃
PV会場でもヤスアキコールが響き渡ります
打席には元横浜の内川
放ったボールは芯を捉え
そのままスタンドへ放り込まれました
「あっ、日本一の壁は高かったんだな」
私は凄い喪失感を覚えたのを強く感じます。(内川め)
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そのまま、延長戦になり、ソフトバンク守護神サファテが3回を投げ、11回にサヨナラを決めてソフトバンクが日本一を決めました。
ただただ、悔しかった。
これが日本シリーズなんだなと実感しました。
三浦監督誕生
そのまま、なんとなく喪失感を感じたまま、月日は流れ、ラミレスの不思議な采配にも慣れてきたのか、批判の声もある中、「優勝」という二文字を経験することはないまま、20年のオフに、三浦番長が監督になることが発表されました。
最後の大洋戦士として、決まりかけていたFAの話を断って暗黒期のベイスターズを支えてくれたエースとして、DeNAを見守ってきた番長として、その監督話はうれしいものでした。
ただ、監督としては負けん気の強い選手であったが、ベイスターズが勝ち切れるチームで長年なかったことで勝ちにこだわる姿勢がなかなかないのでは? という声もあり、賛否両論はあったと思います。
三浦政権一年目は最下位で案の定叩かれたのと、一年目だから…と温かい目で応援しようとファンの中でもあれていたようなそんな感じですね。
22年からは石井琢朗がコーチとしてベイスターズに戻ってくることになり、広島やヤクルトで選手を育ててきた手腕を期待されました。
前半こそ、負けが多かったものの8月になってから無双状態に入り、本拠地17連勝を記録するなど、(初めっから調子よければ優勝できたのに)ってくらいの成績で優勝争いにも加わり、2位に終わります。
今永はエースとしてチームの中心に立ち、戦力は十分として23年のシーズンは絶対優勝する、そんな思いで、来期に期待したものでした。
今永、バウアーで「横浜頂戦」する覚悟
23年のシーズンは優勝してもおかしくはない戦力だったと今でも思います。23年のオフに今永はメジャーに挑戦すると分かっていたので、今年決めないでどうするの?ってくらいのプレッシャー、メジャーからサイヤングを取ったこともある大物投手バウアーを獲得し、主軸に牧、佐野、ソトがいる、中継ぎにはS子もいる、ヤスアキも伊勢も十分にそろっていると思っていました。しかし、戦力がそろっていてもけがと不調には勝てないもので、セパ交流戦は初めて優勝して喜んだものつかの間、優勝争いという文字からも遠ざかってきたのを覚えています。
あの頃の横浜ファンの一人に聞いたら、「三浦君はダメだ、石井琢朗が監督になればいいんだ」くらいのことを言うくらいに荒れていました。実際、自分もそう思っていました。(ただ、石井琢朗も22年に脳梗塞を患っていて監督として戦えるかという不安もあったので、何とも言えませんが)
結果は3位と頂点を挑戦するといったシーズンにしては物足りない成績でとにかく悔しかったとしか言えなかったです。
このオフで今永はメジャーに挑戦し、バウアー、S子は退団し、ソトはロッテに移籍するなど、大きな戦力ダウンは否めず、24年はまた低迷して、三浦君も最後なのかな…くらいの雰囲気があった気もします。
一方で、東がエースとして今永以上の成績を残したこと、東の女房役として山本捕手が正捕手として台頭し始めたことが、大きな希望として残りました。そして、私は高城以来で山本捕手を応援しようとユニフォーム買いました。
24年勝ち切る覚悟
24年は混戦を極め、最下位になったりもしましたが、筒香が戻ってきたと大騒ぎとなり、「ゆうだいのおかげ」と言いながら東はエースとして13勝を挙げて、気が付いたら、24年に入ったジャクソン、ケイがバウアーの穴を埋め、広島が自滅したこともあって3位に割り事が出来ました。
その過程で、山本捕手がケガをしたため、大黒柱は不在だからもうホストシーズンは勝てないだろうと、初めのうちは思っていました。(本当にごめんなさい)
ここから夢のような日々が始まり、17年以来の甲子園での阪神とのファーストステージにて2連勝と圧倒し、首位巨人とのファイナルステージにコマを進めます。ファイナルステージでは巨人の強力な投手陣に苦しみましたが、レギュラーシーズンとは違い投手陣も守備陣も奮起し、最少失点で乗り切り3連勝を決め、最後までもつれるものの、競り勝ち日本シリーズへと駒を進めました。
決め手は17年を知る戸柱の奮起とも言えます。正直、23年のオフに残った時に、山本が覚醒する中何で残ったんだろうと否定的な立場だったので、正直驚きを隠せなかったというのが本音で、日ごろから試合に出れない時も準備を重ねてきた証がここに出たのだと感じました。
あとは、やっていくうちに若手の森君が覚醒し始めたのも大きく、おっちょこちょいな場面もありますが、今まで遊撃手を固定できなかったベイスターズの守備を引き締めるとともに打撃でもチームを引っ張っていけるそんな兆しが見えました。
日本シリーズ「空は澄み、17年を超えて」
そして、日本シリーズが始まります。相手は何の因果か17年に敗れたソフトバンクホークス、パリーグ内で無双し向かうところ敵なしといった状態で、ベイスターズは正捕手山本の不在やエース東のケガといった状態で争うことになります。
1,2戦目はソフトバンクの盤石な試合運びでベイスターズは連敗、「やっぱりホークス相手じゃかなわないよ」と、17年の喪失感を未だに引きずる私はそうひしひしと感じていました。もしチャンスがあるとしたら、DH制があるってことくらいでした。怪我しがちのオースティンがDHでいてくれるなら、DeNAの強力打線が完成されるかもしれない。そううっすら思っていましたが、信じ切れずにいた自分も居ます。しかし、選手、監督は諦めていなかった。
桑原選手のカツが入った第3戦、切り込み隊長として桑原が率先して打ち、先制すると、肉離れで調子のよくない先発東も奮起、7回1失点と好投しDeNAの勝利しました。
冗談ながら思っていたDH制のベイスターズは強いが現実になるかもしれない、流れはこちらに傾きかけていると思いつつ、第4戦は強力打線が起動し、5‐0で勝利、その勢いのままに第5戦も7‐0で勝利と完全に流れはベイスターズへと流れていました。これは日本一が見れるかもしれない、決戦の第6戦はハマスタでの対決となる。DH制じゃないから勝ち切るのはどうなるか不安になりつつも、勝負の11月3日を迎えました。
第6戦の日の西沢の動向はこちらです。
元々、八景島で20時からの花火を見る予定だったので、試合の動向を見つつ会場で待っていたのですが、DeNA打線がこの日も爆発します。17年を知る筒香が先制のHRを打って先制すると5回も打線が奮起し一挙に7点を取る試合展開に、「これはもうハマスタ行くしかないよね」となり、向かったハマスタ。
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日本一を見届けようと多くのファンが集まっていました。
到着する頃は、9回の裏守護神森原がマウンドに立ち、鳴りやまない森原コールとあと○○人と阪神張りのコール、そして、日本一の瞬間は時が止まったように感じられて、長年の横浜ベイスターズへの思いを感じていました。
17年から日本シリーズで内川に打たれて夢破れ、時が止まったような積年の思いがゆっくりと確実に動き出し、「熱き星たちよ」の合唱とバンザイコールに胸を打たれました。
日本一って未だに夢みたいですね。
日本一になってからの横浜
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日本一になった翌日から横浜の町は祝勝ムードになります。モアーズの壁には「I ☆ YOKOHAMA」というプロジェクションマッピングがなされ、横浜高島屋、そごうでも日本一セールの実施、
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各公共施設や、ハマスタでも青色のライトアップがなされ、ベイスターズの雄姿を讃えていました。これが日本一になるという事かと日本一を知らない私はそうしみじみと感じていました。
Beyond the blue sky! 日本一を越えて
私には、まだ足りないものがある。それはベイスターズのペナントレース優勝という真の「横浜優勝」という文字です。
実際、ネットでは真の横浜優勝といわれていましたが、その文字を見ると、なんか違うと心がつっかえる場面を多く感じました。
そう、優勝はしていないのである。(セリーグ3位)
野球を詳しくない人に「なんで横浜優勝してないのに日本一になったの?」ってガチトーンで聞かれて、その悔しさを噛みしめました。
もちろん日本一になったことはうれしいのですが、ここで満足してはいけないと思っています。23年には交流戦で優勝しました。24年はCSで優勝し、日本一になりました。三浦監督にやり残された胴上げは「セリーグ優勝」です。それには今年の成績で満足することなく、長いペナントレースを戦い抜く力を、このオフで養ってもらって25年のシーズンにかけて欲しいです。
三浦君で大丈夫?って声はこのホストシーズンでほとんどなくなり、来年は三浦監督の下で頑張ろうと、奮起していると思います。一時期某コーチがチームの方針にも口を出していると報道されており、どう考えても石井琢朗だろ?って思いつつ、もし負けたら、石井琢朗コーチが監督になるのかなって遠巻きながら思っていました。その石井琢朗コーチがCS優勝のビールかけの日に三浦監督と肩を組み、仲の良さをアピールするとともに、スピーチで戸柱の頑張りを讃えているように、一致団結して来季を迎えられると思います。
暗黒期の横浜で大将のように振る舞っていた「漢 村田」がコーチとしてベイスターズに帰ってきます。TBS時代の泥沼から逃げた、村田が戻ってきたという選択が間違っていなかった。と言わせるべく、横浜セリーグ優勝をぜひ期待しています。
来年はFA権を行使せず佐野が残ってくれます。引き続き、牧、筒香、宮崎、残ってくれればオースティンが健在の重量打線が機能し、守備力の上がった森が機能すれば、確実に上を目指せると思います。山本も大黒柱として復活してもらって、松尾君のさらなる成長と、陰で支える戸柱の充実した捕手陣にも期待が持てます。
投手陣も、東、ジャクソンをはじめ、投手陣の引き続きの奮起が期待されるにプラス、23年に活躍したバウアーが勝てるチームに居たいという言葉の通りにDeNAに戻ってくるかもしれないという期待と小園君の成長にも期待しています。
中継ぎは今年大活躍した中川、佐々木に加えて、復活しつつあるヤスアキ、中継ぎに転向したいと申し出た濱口とぜひ、ベイスターズを支えて欲しいと思っています。
一ファンとして、こんな言い方が上から目線な気がしますが、優勝に向けて期待しています。
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これ、開けるの今なのでは……? pic.twitter.com/inSyG4SKRz
— 永井 真里子 (@nagadon0103) November 4, 2024
前回の日本一の時に記念ラベルの赤ワインが発売されたようですが、そのワインを空けずに26年間寝かしていたファンも多かったようですね。
製造元は、さすがにそれはマズいと飲まないように注意喚起をしていたようですが、懲りずに私個人的に次の優勝まで、このワインを寝かせようと思います。空けて勝利の美酒に酔いしれる日を信じて…
最後に
暗黒期から見守り続けたベイスターズがこうやって日本一になってうれしいという思いと、来年も優勝に向けて頑張って欲しいと感じています。
前の横浜を応援するってベイス☆ボールとか蝶々追っかけている梶谷とか、代打ウィーランド(投手)とか、\横浜優勝/はいつも勝てないから優勝って言ってんだ、とかまあ、色々あったなと思います。
でも、今は強い横浜を応援できる喜びを感じつつ、横浜ベイスターズに居たいから残ったんだという選手たちのためにも応援を続けたいと思います。
セリーグも巨人が阿部監督の下、強い巨人軍が確実に戻ってきていて来年も混戦を極めていくと感じています。その中で、ホストシーズンで見せたような守備で勝ち切る野球を見せてくれれば確実に上に上がれると信じています。勝利の輝きを目指して、頑張れ横浜DeNAベイスターズ!
来年も応援しています。プレミア12どっかで見に行くよ…頑張ってね、横浜戦士たち! あと、オフシーズンゆっくり休んでね!
今回もざっくばらんに書きましたが、私の横浜ベイスターズ愛が伝わりますように…
それでは~