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さよなら、透明だった僕たち(シモイイダ・ユメガオカ)

お世話になっております。
西沢です。
過ぎ去った時間は取り戻せない、そんな当たり前の現実を青春という名の刹那の日々を振り返る場所が減っていくことに僕らは悲しみとともに未来へアスファルト鳴らしながら踏み出していくのでしょうか?


今回は次々と変わりゆく、下飯田、ゆめが丘のお話です。
題字から??? となっている非シャニマスユーザーの方がほとんどかと思いますので、簡単に説明すると

アイドルマスターシャイニーカラーズというコンテンツの6番目のユニットである「ノクチル」の紹介文からもじっています。
幼馴染4人で結成されたユニットであるという話からもあるように自分たちの世界の中で生きており、ストーリーの文面から読み取れない解釈もある分複雑なユニットではありますが、青春を駆け抜ける4人の幼馴染が徐々にアイドルとして踏み出していく流れにエモさを感じているプロデューサーも多いです。

【10個、光】浅倉 透

私がシャニマスを始めた2020年5月ごろにノクチルがちょうどデビューしたころでノクチルのリーダーとも呼べる透氏の初期SSRが登場し、初心者Pだった私は黙々とガシャを回していたことを思い出します。

下飯田、ゆめが丘の歴史と成り立ち

1986年 泉区が戸塚区から分区
1990年 相鉄いずみ野線:いずみ野~いずみ中央 開業
1999年3月 いずみ野線:いずみ中央~湘南台 開業
1999年8月 横浜市営地下鉄:戸塚~湘南台 開業
つまり、相鉄いずみ野線ゆめが丘駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン下飯田駅ともに1999年に開業しています。
開業時期が同じ年であることと終点の湘南台の駅構造が上手前ににブルーライン、下奥に相鉄と構造が似ていることから想像がつくかとは思いますが、境川橋梁あたりから湘南台駅までの区間は先行開業した相鉄が主体となって建設しています。
ゆめが丘、下飯田ともに駅を作った理由ですが、おそらくいずみ中央、立場から湘南台までの距離が長かったからと思われます。
また、ブルーラインですが、長後街道の下を戸塚から立場まで走っているにもかかわらず、泉区役所の近くを通らず大きく、南へカーブしているのは、建設費を削減するため、区役所沿いにある和泉川を橋上で渡りたかったためだと思われます。そして、地上部へ出る位置も民家が少ない地点で建設したかったと考えると、立場をでてすぐカーブするしかなかったのでしょうか?
このあたりの泉区役所の位置とブルーラインの線形は町の中心部へ行きたいという利便性と建設費や工期の圧縮の兼ね合いで決まっていそうなので、またなんか機会があったら調べてみたいですね。
そんな長距離の区間の間にちょうど環状4号という主要道路があり、この位置に駅を置こうという感じで駅を作ったのかと思います。
駅名も交通局は「下飯田」という町名を暫定駅名にするつもりがそのまま進み「下飯田」相鉄側は「下飯田」を暫定とし、今後の開発に夢をかけて「ゆめが丘」としました。

ここから、ノクチルの楽曲の世界観でゆめが丘を語ります

きっと夢は叶うよなんて誰かが言ってたけど、その夢はどこで君を待っているの?

しかし、夢は夢であったという厳しい現実は20年に渡り続きました。
主要幹線に位置付けられている環状4号を抱き、2社がすぐ近くに鉄道を走っているにもかかわらず、開発計画の土地面積が約72ヘクタール大規模であったため、市街化調整区域からなかなか外れず、景気の低迷や地主の反対もあり、開発できない状態が続きました。
相鉄線内の乗降客数は長年全駅中最下位となり、数少ない周辺住民は戸塚から容易に帰れる位置にある下飯田を利用しているためか、6000人近く利用客がいるものの、舞岡に続き、ビリから2番目という乗降客数でした。

2018年8月ゆめが丘

きっと憧れているだけじゃダメだって知っているんだ

2014年前身の計画団体から規模などを計画を見直し、
「泉ゆめが丘土地区画整理組合」を発足、ゆめが丘、下飯田を中心とした約23.9ヘクタールの土地の区画整備事業に向けて、協議を重ねだしました。
儚い開発という光が一つ一つ合わさり、微かに希望の音が聞こえ始めました。

踏み出したストーリー

その後、4年という長い年月をかけて検討を重ね、境川が近いゆめが丘地区における大雨時の雨水ルートの確保やセンター街区の施設の検討、交通広場の整備等多くの課題をクリアにしていき、2018年「泉ゆめが丘地区地区計画」が決定し、地区の下に雨水調整池を設置等、開発に向けて走り始めました。

泉ゆめが丘地区地区計画図(泉ゆめが丘土地区画整理組合より)

今しかない瞬間を


2021年2月ゆめが丘
2022年7月
2023年7月

2度来ない、今しか瞬間をあきれるくらい焼き付けよう
工事が始まれば、更地にして外構工事で雨水調整池を設置し、くい打ちや埋設配管を経て、鉄骨を立てていくのですが、時々見るゆめが丘地区の風景は見るたびに変わっていきます。
ゆめが丘が何もないのは当たり前じゃないんだと、そんな気持ちが振り返るとわいてきます。
小さな風に手を伸ばしたら、少しずつ変わっていく今が少し怖くなってきて、でも、いつまでも立ち止まっているわけにはいかないから、明日へ踏み出していく街の姿が目についてきました。


2021年4月
2023年11月

だいたい下飯田駅からとっている風景が2年で変わったのは振り返ってみても驚きでした。

夢が夢じゃなくなるその日まで

ゆめが丘開発の中心地である、僕らだけの未来の(ゆめが丘)ソラトスは2024年に入ると佳境を迎え7月25日のグランドオープンに向けて着々と準備が進んでいます。

2024年1月


2024年6月ごろ
2024年6月ごろ

下飯田駅の周辺地図も何も書いてない状態にテプラを貼ってある状況から、ゆめが丘町への地名変更を含め、全面的に変わるのではないか? と思います。
ましては、町名も変わるので、横浜市営地下鉄の「下飯田駅」という駅名も改名するのではという可能性さえも考えられます。
ゆめが丘は進め、前へ行こう先へ、どんな世界であっても走っていっています。

青とオレンジ

限りある瞬間を今を繋いで少しずつ一歩ずつ
ソラ(トス)の向こう 見えなくても今日よりは明日ってオレンジ(猫鉄)に手を伸ばした。変わりゆく、ゆめが丘に手を振って、笑って来月の開業を待ちたいですね。

茶番終わったから、ここはちゃんと書くよ

とりあえず、何が言いたいって言いますと、ゆめが丘は長年の相鉄の計画が実を結び、何もない駅から大規模開発が進み、ゆめが丘ソラトスが2024年7月25日にオープンするなど、大きく変わっているということです。

2018年
2024年1月

2024年2月に泉区にあるテアトルフォンテさんで開催された「いずみ野線と泉区講座」~変わりゆくゆめが丘~ では、今度施設管理を行う相鉄ビルマネジメント取締役 齋賀さま の基調講演があり、一番印象的であったのは相鉄6大事業としての一つの要としてのゆめが丘開発といずみ野線57年の計画に於ける第1章のゴールであって、これからのスタートだという話でした。
ゆめが丘区画整備事業とソラトス開業はゴールではなく、スタートです。これからの町の発展に期待したいところですね。

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2024/future/yumegaoka/factbook.pdf

↑ 当日のレジュメは齋賀さまの独自に作られていたようですが、上の文書がかなり近しい内容になっているので、ご興味があればぜひ

また、ゆめが丘周辺といえば「農」ですね。
ゆめが丘ソラトスには農業体験のできる施設が作られるとのことですが、周辺にはファールニエンテさんや、横濱アイス工房ゆめが丘店さんもあります。
集客施設を核として、周辺のグルメなスポットが増えてくれるとさらに町も輝きを増していくと思います。

ファールニエンテでパスタ
横濱アイス工房でアイス

最後に

今回のゆめが丘の開発は終わりではなくスタートであるという楽しみな気持ちを抱えつつ、停まっていた時間が大きく動いた町だと強く感じました。
そんな、開業前の今しかない瞬間のワクワクが伝わってくれれば幸いです。
因みに7月の27,28日は横浜アリーナでシャニマスライブです。
横浜アリーナから相鉄東急直通線で一本で行ける「ゆめが丘ソラトス」に訪問するのもいいですね!
ついでに、ゆめが丘ソラトス「ノクチル」コラボ待ってます…!

これ以上、言うと怒られそうなので以上です。
ご覧いただきありがとうございました!

参考

WIKI先生

写真:本人撮影

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